厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



伊勢崎市

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その4

7号竪穴状遺構


これらの竪穴は、ほぼ同一の角度で傾いて掘られている


その掘り込みも深く、地表からは約1.3mも下まで掘られているとのこと


反対側


現地説明会では「現状でははっきりとした用途は不明」としながらも、幢竿遺構である可能性を強調していた
幢竿遺構といえば、武蔵国分寺や上総国分寺、平城宮大極殿前などからも見つかっており、ここが何らかの儀礼空間であったと思われる
古代上野国の時代、この地にどんな建物があったのか、興味は尽きない



2011年7月22日(金)21:45 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その3

44号掘立柱建物跡


周辺には、重機による撹乱の跡がおびただしい


この遺構の手前にあるのが、溝状遺構


この溝は、区画と考えられているらしい


残土の中には多くの瓦の破片が見受けられたが、これはかつてここに建っていた小学校体育館のものであるようだ


2011年7月19日(火)21:32 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その2

41号掘立柱建物跡


現地説明会で配布された資料では「全容不明」としながらも「柱穴の大きさや柱間などからかなり大型の建物であったと推定される」とある


43号掘立柱建物跡


布掘り工法で柱穴が作られているとのこと


周辺にコンクリート片が多いのは、以前ここに、小学校の体育館が建っていたからであるそうだ


2011年7月15日(金)22:26 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その1

伊勢崎市三軒屋遺跡
伊勢崎市上植木本町にある遺跡である



第16次調査の現地説明会が行われた際に、見学してきた
これは11号竪穴建物跡
遺跡自体は律令時代のものだが、これは古墳時代のものであるらしい



12号竪穴建物跡


北より見る


遺構の東側は撹乱されている


2011年7月12日(火)21:09 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡赤堀村第303号その2

この周辺は、群馬県文化財情報システムでは武秦遺跡の名で載っている


頂部


さて、現存はしないものの、同じ大林寺所有の上毛古墳綜覧佐波郡赤堀村第304号古墳について、ご住職からお話を伺ったので、紹介しておきたい


この303号とは違い、304号は確かに古墳であった
輝石安山岩の割石を使った終末期の石室を有する円墳で、羨道(「えんどう」と発音しておられた)はなく、前橋市蛇穴山古墳のように、墓道から直接玄室に入る構造だったとのことである



2011年3月29日(火)21:44 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡赤堀村第303号その1

佐波郡赤堀村第303号
現在の伊勢崎市市場町にある塚で、上毛古墳綜覧では縦の大きさ48尺(約14.5m)、横の大きさ43尺(約13.0m)とある



綜覧では方墳とされているが、所有者である大林寺のご住職に伺ったところ、方墳であるかどうかの前に、これは古墳ではなく、近くの赤堀城の残土を盛った塚であるということであった


雪の日


頂部には卵塔と小祠が祀られている


2011年3月25日(金)19:17 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市上原古墳跡

伊勢崎市上原古墳跡
伊勢崎市三和町にあった古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



詳しい資料がなく、古墳の規模は不明


現在、墳丘は全く残っていないが、石室材とされる石がいくつかまとめられて、所在していた場所付近で個人宅の庭石となって残っている


個人宅の方の話では、かつては小さな池があり、その周辺を囲むように石を並べていたということであるが、明らかに他所から持ってきた石も混じっており、どれが本来の石室材であるのか、特定は難しい状況


この石あたりは、かなりそれっぽい印象
なお、古墳名は群馬県埋蔵文化財調査事業団が2008(平成20)年に発行した「本関町古墳群」付録の古墳分布図に拠った



2010年12月28日(火)20:43 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡殖蓮村第76号古墳

佐波郡殖蓮村第76号古墳
現在の伊勢崎市本関町にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不明とある



新沼の中にぽっかりと浮かぶ小島が、実は古墳であるらしい
綜覧には現状について「沼底」とある



本古墳からは「刀二口」の他に「石棺出シトイフ」とも記載されているのだが、沼の中に取り残される前に盗掘でもされたのであろうか


本古墳のすぐ北、沼の北岸には綜覧佐波郡殖蓮村第75号古墳もあったようだが、現在その痕跡は見いだせない


2010年12月24日(金)22:12 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡采女村第49号古墳

佐波郡采女村第49号古墳
佐波郡境町を経て、現在の伊勢崎市境下渕名にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ84尺(約25.5m)、高さ11尺(約3.3m)とある



群馬県文化財情報システムには、「田端山古墳」の名で載っている
古墳名は所在地名の小字に拠るものであるが、大字のほうは綜覧期の上渕名から、現在は下渕名に移ったようだ



墳丘は樹木に覆われているものの、近付いてみればそれと分かるほどには残存している
群馬県遺跡台帳には埴輪片の存在が記録されているが、目につくのは瓦の破片ばかりであった



非常に見づらいが、墳頂部には石祠が祀られている


2010年12月21日(火)19:30 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡采女村第11号雙児山古墳跡

佐波郡采女村第11号雙児山古墳跡
佐波郡境町を経て、現在の伊勢崎市境上渕名にあった前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ276尺(約83.6m)、前方部の高さ23尺(約7m)、後円部の高さ28尺(約8.5m)とある



群馬県道2号前橋館林線がまっすぐに貫くこの位置に、かつて大きな周溝を持つ前方後円墳が所在した
土地のお年寄りが「太田新道」「太田県道」と呼ぶ道の脇には戦後間もない頃まで、墳丘が小さく残っていたそうである



現在、墳丘はまったく残っていない状態ではあるが、地図や航空写真で見ると、ここに古墳が存在していたことが、今なお分かる


「幅六〇尺」と綜覧に記載されたこの周溝は、今も地割りに緩やかなカーブを描いて、その痕跡をはっきり残している


2010年12月17日(金)21:47 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理


(2/12ページ)
最初 1 >2< 3 4 5 6 7 8 9 10 最後