厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



渋川市

勢多郡横野村第17号大塚古墳

勢多郡横野村第17号大塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町溝呂木にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ70尺(約21.2m)、南北の大きさ80尺(約24.2m)、東の高さ12尺(約3.6m)、西の高さ18尺(約5.5m)とある



手前の道路は旧沼田街道
古くから交通の要所だった場所に、墳丘は現存している



墳丘上は愛宕神社となっている
東側はそのまま宅地につながっており、かつてはこちらまで墳丘があったようだ



墳頂部
群馬県遺跡台帳では「墳丘は平夷されて」いるとある



さて、その割に出土品の話を聞かないのだが・・・?


2009年3月25日(水)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第14号地蔵塚古墳その2

北西より見る


墳頂部
一見、今ではあまりお参りする人もいないのかと思ったが、近所の方の話では「今でもちゃんとお祀りしている」とのこと



墳丘上にある石碑群
なかなかに豪放磊落な印象



「年申壬九化文」と彫り込まれた道祖神もある


2009年3月24日(火)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第14号地蔵塚古墳その1

勢多郡横野村第14号地蔵塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町上三原田にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ41尺(約12.4m)、南北の大きさ57尺(約17.3m)、高さ15尺(約4.5m)とある



群馬県遺跡台帳では径10m、高さ5mとあり、周囲をいくらか削り取られているようだ


現在でも、墳丘はけっこうな高さがある


2009年3月23日(月)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第8号十二塚古墳

勢多郡横野村第8号十二塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町三原田にあった円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ23尺(約6.9m)、南北の大きさ29尺(約8.8.m)、高さ3尺(約0.9m)とある



群馬県遺跡台帳には「頂上に十二様を祀る」とある
墳丘周辺には縄文時代の住居跡があり、平成10(1998)年度に中畦遺跡として赤城村教育委員会による発掘調査がなされ、平成12(2000)年に調査報告書が発行されている



その調査報告書を読んでいて気付いたのだが、どうも現在十二様の石祠が鎮座する場所とは違うように思えたので、渋川市教育委員会に直接問い合わせたところ、納得いく回答を得られた


十二様がある位置は本古墳の旧位置ではなく、もう少し南側にあったとのこと
墳丘自体は調査後削平されており、また画像に写っている石も、古墳の石室材ではないとの話であった



2009年3月22日(日)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その4

さて、もうひとつ、興味深いことがある
分布図にはプロットされていないものの、調査報告書の本文にはこんな記述がある
「地元の人からの聞き取り調査によると、古墳5の北東50mにもう1基古墳があり、ここから小刀が出土し埋め戻されたという。」



その北東50m地点
いかにもそれっぽい石を積み上げた上に載っかるのは、何と庚申塔だったりする



誰かに裏付けの証言を得たわけでもないが、もしかしたら上毛古墳綜覧勢多郡北橘村第91号庚申塚古墳は、ここにあったのかも知れない・・・と思った


2009年3月20日(金)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その3

分布図に4とある古墳
何やら石造物が並んでいるようだが、分布図の地図では墓地の記号が記入されている



単純に上毛古墳綜覧を見ていくだけだと、綜覧勢多郡北橘村第91号庚申塚古墳とも思えるのだが、分布図ではここ場所のすぐ北に「中井」(綜覧では「中居」だが)と小字が載っており、何とも判断しづらい


分布図に5とある古墳
藪で墳丘表面が見えない状態



調査報告書では「道路際に奥壁が露出している」とあるが、見ての通り視認が困難である


綜覧勢多郡北橘村第97号古墳からは鍔、綜覧勢多郡北橘村第98号古墳からは金環が出土したと記録されており、調査報告書では「どの古墳かは確認できない」とあるが、綜覧勢多郡北橘村第98号古墳は綜覧の現状の欄に道路敷とあり、また綜覧勢多郡北橘村第97号古墳共々規模不明とあるので、この2基は綜覧記載時にはすでに削平されていたのではないだろうか


2009年3月19日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その2

分布図に2とある古墳
石室材と葺石がかなり露出している



順当に見ていけば、綜覧勢多郡北橘村第93号古墳となりそうなのだが、調査報告書でも特定されておらず、また聞き込みでも所有者関係の話を聞けなかった


ただ、昔はもっと墳丘は大きかったとの証言は得られた
畑の中の古墳の、典型的なパターンだ



分布図に3とある古墳
墳丘は藪で覆われ、どうやら樹木も生えているようだ



現状を見るだけで判断していくなら、「灌木密生」とある綜覧勢多郡北橘村第92号古墳か


2009年3月18日(水)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その1

渋川市上遠原古墳群
渋川市北橘町真壁にある古墳群で、上毛古墳綜覧記載番号不明



綜覧には勢多郡北橘村第91号~第95号、第99号古墳の6基が記載されており、決して記載漏れというわけではない
しかし、北橘村教育委員会が平成9(1997)年に刊行した村内の遺跡の調査報告書によれば、分布図は正確に記載されたものの「1996年に旧地番と現地番の確認を行ったが、綜覧の地番に古墳がないことが判明した」という



報告書記載の分布図に1とある古墳
「わずかな高まりが残るのみで地元では単に塚と呼んでいる」ということであるが、それすらも確認できない状態



地番はさておき、所有者の名前だけで判断するのであれば、この1が綜覧勢多郡北橘村第94号古墳か綜覧勢多郡北橘村第99号古墳いずれかの可能性があるが、地番も変わっており、特定ができない


2009年3月17日(火)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡北橘村第39号道訓塚古墳

勢多郡北橘村第39号道訓塚古墳
現在の渋川市北橘町上箱田にある円墳で、上毛古墳綜覧では径21尺(約36.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある



とても小さな古墳であるが、渋川市内や旧勢多郡北橘村内を見下ろせる場所にあり、それなりの地位にいた者が眠っているのだろう


墳頂部には石塔らしきものが見えるが、何なのかは不明
ただ、古墳名の「道訓」とは医者の名前であるそうで、本古墳に彼を葬った可能性はある



墳丘全体にいろいろな木々が生い茂り、うっかりすると墳丘に気づかずに通り過ぎてしまいそうだ


北より見る
本古墳すぐ南の建物があるあたりには、縄文時代の焼町土器を出土したことで有名な道訓前遺跡があった



2008年11月6日(木)22:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡北橘村第105号経塚古墳・渋川市八幡塚古墳

勢多郡北橘村第105号経塚古墳
現在の渋川市北橘町真壁にある円墳で、上毛古墳綜覧では径45尺(約13.6m)、高さ15尺(約4.5m)とある



綜覧では「石槨存ス、経石多数発見サル」とあり、古墳の墳丘を中世に掘り返して、一字一石経や多字一石経を埋めて経塚としたのだろう
こうした信仰は、中世によく見られたものらしい



渋川市八幡塚古墳
渋川市北橘町真壁にある円墳で、綜覧記載漏れ
・・・と書いてはみたが、現地では墳丘がどこにあるのか分からなかった
この画像は、本古墳の説明看板の位置より見た構図



説明看板
市指定史跡(その前は勢多郡北橘村指定史跡)であるが・・・



2008年11月5日(水)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理


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