厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群第15号古墳

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群第15号古墳
埼玉県児玉郡上里町帯刀にある円墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では大きさ12mとある



農地の中に取り残され、墳丘裾部を削られた姿は円墳ではなく方墳のように見える


雪の日


墳丘上には小祠が鎮座しているのが分かる


埼玉県古墳詳細分布調査報告書によれば、横穴式石室が確認されているようだ


2011年11月11日(金)18:04 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群第3号古墳

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群第3号古墳
埼玉県児玉郡上里町帯刀にある古墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では墳形不明とある



藪に埋もれ、墳丘の様子ははっきりしない


雪の日


別アングル


近くにある同古墳群の鬼塚古墳や稲荷塚古墳に比べ、まったくぱっとしない一基である


2011年11月4日(金)21:34 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群鬼塚古墳

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群鬼塚古墳
埼玉県児玉郡上里町帯刀にある円墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では大きさ27.5mとある



出土品は特に知られてはいないようだ


雪の日


別アングル


農地の中にどっかりと腰を下ろした一基
近くを上越新幹線の高架橋が貫いていく風景は、高崎市の佐野古墳群によく似ている



2011年10月28日(金)19:14 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群稲荷塚古墳その2

墳頂部
稲荷社が祀られている



麦秋の頃


雪の日


近況
これほど姿かたちが違って見える古墳も、そうそうないだろう



2011年10月21日(金)22:21 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群稲荷塚古墳その1

埼玉県児玉郡上里町帯刀古墳群稲荷塚古墳
埼玉県児玉郡上里町帯刀にある円墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では大きさ31mとある



埼玉県内の現存する古墳群としては、最も北西端のものである


墳丘は草と木に覆われており、あまりはっきりとは分からない状態


帯刀古墳群の説明看板は、この稲荷塚古墳の脇に立っている


2011年10月14日(金)21:52 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県児玉郡上里町下郷古墳群第152号古墳跡

埼玉県児玉郡上里町下郷古墳群第152号古墳
埼玉県児玉郡上里町長浜にあった円墳で、埼玉県古墳詳細分布調査報告書では大きさ4mとある



所在地であったお寺の方の話では、墳丘は数年前に滅失したとのこと


その際、封土の中からこの石造物が出てきたという


前出の資料では、銅釧と玉の出土が記録されているそうなので、封土自体は墳丘を著しく改変したものだったと思われる
墳丘を取り払った際の新たな出土品は特になかったという話であった



2011年10月7日(金)19:21 | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

勢多郡木瀬村第18号諏訪山古墳

勢多郡木瀬村第18号諏訪山古墳
現在の前橋市上増田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ72尺(約21.8m)、高さ8尺(約2.4m)とある



群馬県遺跡台帳、群馬県文化財情報システムのどちらにも載っていないが、古墳と思しきマウンドが現存している


綜覧では「直刀、人骨、軍配」が出土したと記録されている


この点で、古墳かどうか怪しい気もするが・・・


墳頂部


2011年9月30日(金)20:52 | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡新里村第47号道安塚古墳その2

赤城山麓の古墳としてはかなり高い標高に位置する古墳である


雪の日


別アングル


2011年9月27日(火)21:03 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第47号道安塚古墳その1

勢多郡新里村第47号道安塚古墳
現在の桐生市新里町板橋にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ23尺(約6.9m)、高さ2尺(約0.6m)とある



群馬県遺跡台帳では平安期の墳墓となっているが、桐生市教育委員会の方に伺った話では、「やはり古墳である」という可能性は残っているらしい


墳頂部
古墳名の由来となった道安庵主の墓が建っている



2011年9月23日(金)22:31 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第45号古墳

勢多郡新里村第45号古墳
現在の桐生市新里町大久保にあった円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



現在、墳丘は完全に失われてしまっているものの、石室の奥壁とされる石材のみがぽつんと現存する


周辺は河川の氾濫によりだいぶ埋まっているらしく、平成13(2001)年頃の新里村教育委員会の調査では、周溝が検出されなかったものの、埴輪片が出土している


周溝について、報告書では「調査範囲外で回るか、すでに後世の削平によって消失している可能性」に言及されている


2011年9月20日(火)19:28 | コメント(0) | 桐生市 | 管理


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