厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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茨城県水戸市吉田古墳第7次調査その4

現状では一辺8m程度の大きさであるが
元々は26.8m~28mほどの規模であったらしい



そうすると、かつてはこのアングルいっぱいに墳丘が築かれていたということになる


墳丘の傍らには石碑が置いてあるが、これもかつては墳丘上にあったという
この人物はすぐそばにある酒蔵の関係者だったとのこと(墳丘の敷地も元は酒蔵の関係者の所有だった)
詳しいことを聞き込んでみたが、はっきりとしたことは分からなかった



太古の眠りを宿して・・・


遺構は埋め戻された
次はどのあたりから、どういう発見がなされるか、それが楽しみである



2014年5月30日(金)23:59 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市吉田古墳第7次調査その3

周溝部土層断面


周溝の幅は、3mほどはあるだろうか


手前の旧地表は見事にきれいな平坦を描いていた


その片隅からは、ちらっとだけ溝跡が検出されていた


水戸市教委の方に伺ったところ、この周辺に点在した吉田古墳群に属する未知の一基の周溝かもしれないとの見解であった


2014年5月23日(金)23:59 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市吉田古墳第7次調査その2

ここから見れば、周溝が検出されただけのように見えるのだが


その周溝が肝心要だったりするのである


かつて墳丘の裾部があったところで「前後の辺が弧を描かず直線上に走ることを確認し」たとのこと


そして「吉田古墳の形状が八角形墳であると確定するに至」ったとのことである


茨城県内で八角形墳が確認されたのはこれが初めてであるが、関東全体で考えていくとこれは非常に興味深いことである


2014年5月16日(金)23:09 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市吉田古墳第7次調査その1

茨城県水戸市吉田古墳
茨城県水戸市元吉田町にある方墳である・・・



と書いたのは、4年前の記事であるが
改めて改訂版として書き直しておきたい



平成23(2013)年12月21日に
第7次調査の現地説明会が行われたので、見学してきた



今回の調査では、墳丘の北西側の周溝が確認されたのであるが


注目すべきは、遺構の東南端にある周溝の屈曲部、「北北西コーナー」であろう


2014年5月9日(金)23:06 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市馬塚古墳その2

水戸市上水戸バス停から愛宕町の住宅街を抜けて、愛宕山古墳前方部へ向かう道の途中に、本古墳は所在する


愛宕山古墳群の古墳としては、現存するものは本古墳と盟主墳の愛宕山古墳だけである


墳丘の傍らに怪しげな巨石が置かれていたが、水戸市教育委員会の方に伺ったところ、本古墳とは関係のないものであるらしい


墳頂部
向こうに見えるのは愛宕山古墳



2014年5月2日(金)22:41 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市馬塚古墳その1

茨城県水戸市馬塚古墳
茨城県水戸市愛宕町にある円墳である



標柱


本古墳は茨城県水戸生涯学習センターの構内に現状保存されている


西側の墳丘裾部はわずかに断ち切られているようだ


2014年4月25日(金)21:56 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市愛宕山古墳その6

財団法人常陽藝文センター発行の「常陽藝文」2011(平成23)年4月号特集「茨城の古墳」には「木々は茂っているものの、墳丘の形そのものは比較的よく保たれている」とある


築造の年代について、説明看板では「六世紀初頭であると推定される」としているが、同書では水戸市教育委員会の職員の見解として「これより時代はかなりさかのぼれるとみる」とのこと


さて、後円部の裾を半周できる程度には道がある


周辺はすっかり宅地化が進み、墳丘全体をクリアに見渡せるような場所はなくなってしまっている


本古墳はこれからも、静かにこの地域の鎮守の森として眠り続けることであろう


2014年4月18日(金)17:09 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市愛宕山古墳その5

裾部より見る前方部


先端部はきれいに元のかたちを保っているようだ


周溝は現存しないが、墳丘の周囲を歩いて回ることは可能である


鞍部


後円部


2014年4月11日(金)23:08 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市愛宕山古墳その4

後円部には、前方部先端部とは別に階段が設けられている


脇には手水鉢が置かれているので、本来ならばこちら側から見学して回るべきなのだろうか


説明看板


ところで、こちら側には立派な構えの鳥居と石柱がある


その右手には公民館が所在しており、館内には茨城新聞社発行の「茨城県大百科事典」に載った愛宕神社と愛宕山古墳の記事のコピーが、誇らしげに掲げられている


2014年4月4日(金)23:45 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理

茨城県水戸市愛宕山古墳その3

鞍部より見る前方部


後円部墳頂部より見る前方部


後円部墳頂部には、愛宕神社の社殿が鎮座する


後円部墳頂部
表面はいくらか削られているのであろう、特に何かしらのものは見つからなかった



この後円部墳頂部に、本古墳を盟主墳とする愛宕山古墳群の一基であった姫塚古墳の墳丘上に祀られていた祠が移されていたのが、非常に興味をそそられた


2014年3月28日(金)21:13 | コメント(0) | 茨城県水戸市 | 管理


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