碓氷郡里見村第41号古墳 |
|
| 碓氷郡里見村第41号古墳 群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市下里見町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27.3m)、高さ15尺(約4.5m)とある
| |
| 墳頂部は里見八幡宮を祀っている 群馬県遺跡台帳では、諏訪山古墳の名で載っており、この八幡宮の石碑の下にある横穴式石室については「石室奥巾87cm、石室長さ2.3m」とある ただし「出土品は散失してしまった」とあるのが残念なところ
| |
| この「里見」は、滝沢馬琴の南総里見八犬伝で知られる、千葉の里見一族の先祖の生まれ出た土地であるとの伝承がある その城跡が、本古墳の南東200mほどの場所にあったという ところで、墳丘の周囲を巡る植え込みが、埴輪のように見えたのは気のせいだろうか・・・
| |
| 墳丘南側は、郷見神社の社殿や石祠などで一部が削り取られているが、それを除けばだいぶきれいなかたちで残っている
| |
| 本古墳の直下を走る国道406号線より見る それにしても、高い場所に造ったなぁと思う
| |
|
2008年12月21日(日)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡板鼻村第1号立的塚古墳 |
|
| 碓氷郡板鼻村第1号立的塚古墳 現在の安中市板鼻にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では周長420尺(約127.2m)、前方部の高さ14尺(約4.2m)、後円部の高さ25尺(約7.6m)とある
| |
| 現状、だいぶ改変がなされた円墳のようにしか見えないが、前方後円墳であったらしく、また綜覧では陪塚の存在が記録されている
| |
| 北西より見る 手前側には前方部があったはずなのだが、今ではその名残は見受けられない
| |
| 墳丘上は、綜覧記載当時の所有者の墓となっており、綜覧にも「(荒木山)」と本古墳の別名が載っている 現在、荒木塚とも呼ばれているようだが、古墳としてではなく、この所有者の墓として安中市の指定史跡になっているのは、古墳好きとしては納得がいかない
| |
|
2008年12月20日(土)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 安中市 | 管理
|
高崎市八幡遺跡第20号古墳 |
|
| 高崎市八幡遺跡第20号古墳 高崎市八幡町にあった円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
| |
| 石室自体は乱石積
| |
| こちら側から見ると、側壁はだいぶごちゃっとした印象
| |
| 説明看板 本古墳は現在、観音塚考古資料館の敷地内に移設されているが、本来はここから南南東に行った、碓氷川を下に見下ろす河岸段丘の縁に築かれていた
| |
|
2008年12月19日(金)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳その2 |
|
| 前方部
| |
| 後円部
| |
| 後円部より見る前方部
| |
| 前方部より見る後円部
| |
| ところで前方部の南側から西側にかけての、周堀だったと思われる辺りに転がるこの石材は何なのだろう?
| |
|
2008年12月18日(木)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳その1 |
|
| 碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳 現在の高崎市八幡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ180尺(約54.5m)、高さ30尺(約9.1m)とある
| |
| 晩秋のほうが、墳丘の様子を見やすいなぁ・・・
| |
| 西より見る 主体部は未調査・未発掘であるが、高崎市史では「横穴式石室の可能性」としている
| |
| 南東より見る 群馬県遺跡台帳では「宅地造成が遺跡東縁まで進み遺跡の保護パトロールが必要」とあるが、何とか食い止められたようだ
| |
|
2008年12月17日(水)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第6号平塚古墳その2 |
|
| 後円部墳頂部 この後円部には2基の舟形石棺が埋葬されており、1号石棺は左の石祠のあたりから、2号石棺は右の黒っぽいものが地面に埋め込まれているあたりから、それぞれ平行な状態で出土している
| |
| 後円部より鞍部を見る
| |
| 鞍部より前方部を見る 所有者の事情もあるのかも知れないが、墓地化が著しく、見ていて気分が良くない
| |
| 鞍部より見る後円部 手前には、今後も墓地として使うつもりなのであろう、区割りのコンクリが埋め込まれていた
| |
|
2008年12月16日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第6号平塚古墳その1 |
|
| 碓氷郡八幡村第6号平塚古墳 現在の高崎市八幡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ300尺(約90.9m)、高さ30尺(約9.1m)とある
| |
| 後円部東側の周堀部分が公園化されており、その中にこんなモニュメントがあるのだが、主軸の向きが本古墳とは逆になっている なお、高崎市史によれば、周堀自体は幅約22mであったとのこと
| |
| 西北西より見る前方部
| |
| 後円部南側から、墳頂部に至る道が延びている
| |
|
2008年12月15日(月)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その5 |
|
| 玄室部右壁の巨石 凝灰岩製で、推定重量20.3t
| |
| 玄室部右壁の巨石その2 同じく凝灰岩製で、推定重量14.5t
| |
| 玄室部左壁の巨石その1 これまた凝灰岩製で、左側が推定重量9.5t、右側が推定重量13.3t
| |
| 玄室部左壁の巨石その2 これも凝灰岩製で、推定重量18t
| |
| 奥壁とおいら おいらの前にある半円状の巨石は輝石安山岩製で、推定重量19t その上の長方形の巨石は凝灰岩製で、推定重量10t 画像にはほとんど写っていないが、天井石はさらに巨大で、推定重量53.3tとのこと これだけの巨石を集め、石室を構築し、封土を積み上げられるほどの財力と権力を持つ豪族というのは、なかなか想像もつかない・・・
| |
|
2008年12月14日(日)22:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その4 |
|
| 羨道部と玄室部の境界に架け渡された楣石(まぐさいし)
| |
| その裏側
| |
| 右側の袖石
| |
| 左側の袖石
| |
| 玄室部から見る羨道部 巨石だらけの荘厳な空間である
| |
|
2008年12月13日(土)22:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その3 |
|
| 石室入口の冠石(かむりいし) 凝灰岩製で、これでオリジナルだというのだから、すごい技術だ 何も知らないと、復元されたものだと勘違いしそう
| |
| その裏面 観音塚考古資料館発行の図録によれば、これで推定重量3t・・・
| |
| 羨道の側壁は、途中から巨石の壁になっていくのだが、これが実に大きな石ばかり
| |
| 反対側も同様に変化していく
| |
| 床面の手前に並ぶのが框石(かまちいし) 奥に並ぶのが間仕切り石 この框石から奥が玄室部となる
| |
|
2008年12月12日(金)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|