厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年12月を表示

碓氷郡里見村第41号古墳

碓氷郡里見村第41号古墳
群馬郡榛名町を経て、現在の高崎市下里見町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27.3m)、高さ15尺(約4.5m)とある



墳頂部は里見八幡宮を祀っている
群馬県遺跡台帳では、諏訪山古墳の名で載っており、この八幡宮の石碑の下にある横穴式石室については「石室奥巾87cm、石室長さ2.3m」とある
ただし「出土品は散失してしまった」とあるのが残念なところ



この「里見」は、滝沢馬琴の南総里見八犬伝で知られる、千葉の里見一族の先祖の生まれ出た土地であるとの伝承がある
その城跡が、本古墳の南東200mほどの場所にあったという
ところで、墳丘の周囲を巡る植え込みが、埴輪のように見えたのは気のせいだろうか・・・



墳丘南側は、郷見神社の社殿や石祠などで一部が削り取られているが、それを除けばだいぶきれいなかたちで残っている


本古墳の直下を走る国道406号線より見る
それにしても、高い場所に造ったなぁと思う



2008年12月21日(日)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡板鼻村第1号立的塚古墳

碓氷郡板鼻村第1号立的塚古墳
現在の安中市板鼻にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では周長420尺(約127.2m)、前方部の高さ14尺(約4.2m)、後円部の高さ25尺(約7.6m)とある



現状、だいぶ改変がなされた円墳のようにしか見えないが、前方後円墳であったらしく、また綜覧では陪塚の存在が記録されている


北西より見る
手前側には前方部があったはずなのだが、今ではその名残は見受けられない



墳丘上は、綜覧記載当時の所有者の墓となっており、綜覧にも「(荒木山)」と本古墳の別名が載っている
現在、荒木塚とも呼ばれているようだが、古墳としてではなく、この所有者の墓として安中市の指定史跡になっているのは、古墳好きとしては納得がいかない



2008年12月20日(土)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 安中市 | 管理

高崎市八幡遺跡第20号古墳

高崎市八幡遺跡第20号古墳
高崎市八幡町にあった円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



石室自体は乱石積


こちら側から見ると、側壁はだいぶごちゃっとした印象


説明看板
本古墳は現在、観音塚考古資料館の敷地内に移設されているが、本来はここから南南東に行った、碓氷川を下に見下ろす河岸段丘の縁に築かれていた



2008年12月19日(金)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳その2

前方部


後円部


後円部より見る前方部


前方部より見る後円部


ところで前方部の南側から西側にかけての、周堀だったと思われる辺りに転がるこの石材は何なのだろう?


2008年12月18日(木)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳その1

碓氷郡八幡村第1号二子塚古墳
現在の高崎市八幡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ180尺(約54.5m)、高さ30尺(約9.1m)とある



晩秋のほうが、墳丘の様子を見やすいなぁ・・・


西より見る
主体部は未調査・未発掘であるが、高崎市史では「横穴式石室の可能性」としている



南東より見る
群馬県遺跡台帳では「宅地造成が遺跡東縁まで進み遺跡の保護パトロールが必要」とあるが、何とか食い止められたようだ



2008年12月17日(水)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第6号平塚古墳その2

後円部墳頂部
この後円部には2基の舟形石棺が埋葬されており、1号石棺は左の石祠のあたりから、2号石棺は右の黒っぽいものが地面に埋め込まれているあたりから、それぞれ平行な状態で出土している



後円部より鞍部を見る


鞍部より前方部を見る
所有者の事情もあるのかも知れないが、墓地化が著しく、見ていて気分が良くない



鞍部より見る後円部
手前には、今後も墓地として使うつもりなのであろう、区割りのコンクリが埋め込まれていた



2008年12月16日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第6号平塚古墳その1

碓氷郡八幡村第6号平塚古墳
現在の高崎市八幡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ300尺(約90.9m)、高さ30尺(約9.1m)とある



後円部東側の周堀部分が公園化されており、その中にこんなモニュメントがあるのだが、主軸の向きが本古墳とは逆になっている
なお、高崎市史によれば、周堀自体は幅約22mであったとのこと



西北西より見る前方部


後円部南側から、墳頂部に至る道が延びている


2008年12月15日(月)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その5

玄室部右壁の巨石
凝灰岩製で、推定重量20.3t



玄室部右壁の巨石その2
同じく凝灰岩製で、推定重量14.5t



玄室部左壁の巨石その1
これまた凝灰岩製で、左側が推定重量9.5t、右側が推定重量13.3t



玄室部左壁の巨石その2
これも凝灰岩製で、推定重量18t



奥壁とおいら
おいらの前にある半円状の巨石は輝石安山岩製で、推定重量19t
その上の長方形の巨石は凝灰岩製で、推定重量10t
画像にはほとんど写っていないが、天井石はさらに巨大で、推定重量53.3tとのこと
これだけの巨石を集め、石室を構築し、封土を積み上げられるほどの財力と権力を持つ豪族というのは、なかなか想像もつかない・・・



2008年12月14日(日)22:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その4

羨道部と玄室部の境界に架け渡された楣石(まぐさいし)


その裏側


右側の袖石


左側の袖石


玄室部から見る羨道部
巨石だらけの荘厳な空間である



2008年12月13日(土)22:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その3

石室入口の冠石(かむりいし)
凝灰岩製で、これでオリジナルだというのだから、すごい技術だ
何も知らないと、復元されたものだと勘違いしそう



その裏面
観音塚考古資料館発行の図録によれば、これで推定重量3t・・・



羨道の側壁は、途中から巨石の壁になっていくのだが、これが実に大きな石ばかり


反対側も同様に変化していく


床面の手前に並ぶのが框石(かまちいし)
奥に並ぶのが間仕切り石
この框石から奥が玄室部となる



2008年12月12日(金)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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