厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年7月を表示

群馬郡清里村第8号古墳・群馬郡駒寄村第38号古墳(推定)

群馬郡清里村第8号古墳
現在の前橋市上青梨子町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ18尺(約5.5m)とある



民家の裏にある古墳で、表側のほうはどうなっているのか未確認
綜覧によれば「石槨有」とのことであるが・・・



群馬郡駒寄村第38号古墳
北群馬郡吉岡村を経て、現在の北群馬郡吉岡町大久保にある円墳で、綜覧では規模不詳とある



石室も開口しているが、綜覧ではまったく触れられていない
吉岡町教育委員会で伺った話では、「吉岡町全体でのちに地番が変わってしまっており、綜覧を元に古墳を特定することができないものが多い」とのこと
現在「源平山古墳」と呼ばれる本古墳も、あくまで「綜覧群馬郡駒寄村第38号古墳の可能性がある」だけとのことである



その根拠も「本古墳が所在する大久保字熊野地内において、綜覧記載の古墳は綜覧群馬郡駒寄村第38号古墳のみ」ということだけである
本古墳と綜覧群馬郡清里村第8号古墳の間には「大松古墳」と呼ばれる古墳もあるが、これも町教委では綜覧番号の特定に至っていないようだ
陣馬岩屑流によってできた自然丘陵を古墳と誤認して綜覧に記載されたものもかなりあり、古墳かどうか調査する前に開発・削平されてしまったものも多いようである



2008年7月23日(水)22:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・北群馬郡吉岡町 | 管理

群馬郡清里村第3号古墳

群馬郡清里村第3号古墳
現在の前橋市池端町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ118尺(約35.8m)、高さ19尺(約5.8m)とある



正面というよりは、鳥居の手前からだと、森に隠れてあまり気付かないが、けっこう比高のある墳丘が残存している
神明宮の社殿が載っかった南側はだいぶ改変されているが、一目で「これは!」と気付くものがある



南西より見る
木立の向こうには立派な墳丘がしっかり見てとれる



北西より見る
手前には恐らく周堀があったものと思われる



北東より見る
なお、綜覧では発掘歴は無しということであり、出土品も記録されていない



2008年7月22日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡清里村第1号諏訪山古墳

群馬郡清里村第1号諏訪山古墳
現在の前橋市青梨子町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ208尺(約63m)、高さ17尺(約5.2m)とある



県道を挟んで綜覧群馬郡金古町第4号高山古墳のすぐ南東にあり、行政区分こそ異なるものの、古墳自体は橋向・内林古墳群とも関係がありそうに思える
手前の道路がその県道であるが、ここは55年前まで路面電車が走っていた



さて、墳丘上には諏訪神社が鎮座しているのだが、鳥居が破損していたり、石段の段が崩れかけていたりと、だいぶ荒れてきてしまっているのが惜しいところ
手前の庚申塔は江戸期寛政年間に建てられたもの



墳丘上にはいくつかの巨石が見受けられたが、石質を見る限り、石室材ではなさそうな感じ
綜覧には「石槨アリシトイフ」と記載されているのだが・・・



2008年7月21日(月)22:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡金古町第3号稲荷山古墳・群馬郡金古町第4号高山古墳

群馬郡金古町第3号稲荷山古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市金古町にある古墳で、墳形は不詳ながら、上毛古墳綜覧では大きさ80尺(約24.2m)、高さ15尺(約4.5m)とある



現状は古墳としての原形をとどめていないが、石室材とみられる巨石が残っており、その上には石宮が建っている


周囲は畑で、一応頑張れば巨石の前まで行けるのだが、ネギ泥棒と勘違いされたくないので遠慮
しかしこれだけネギが植わっていると、某ボーカロイドが喜びそうだなぁ・・・w



群馬郡金古町第4号高山古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市金古町にある前方後円墳で、綜覧では大きさ250尺(約75.8m)、前方部の高さ15尺(約4.5m)、後円部の高さ25尺(約7.6m)とある



綜覧では「(金平山)」とも記載されており、読みは「こんぴら」であるものと推測される
綜覧群馬郡金古町第5号入道山古墳から本古墳まで、東へ連綿と群が続いており、「橋向・内林古墳群」と呼ばれている



2008年7月20日(日)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡金古町第5号入道山古墳・群馬郡金古町第6号古墳

群馬郡金古町第5号入道山古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市金古町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27.3m)、前方部の高さ10尺(約3m)、後円部の高さ17尺(約5.2m)とある



綜覧には「石槨開口」とあるが、確認できなかった
墳丘には、葺石にしてはあまり丸くない石がいくつか散見できた



群馬郡金古町第6号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市金古町にある前方後円墳で、綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、前方部の高さ8尺(約2.4m)、後円部の高さ13尺(約3.9m)とある



近くにいた方に声をかけて、古墳のすぐそばまで行ってみたが、藪と木立で墳形が確認できなかった
しかし気になることがひとつ。その方に声をかけるとき、この2基を混同して「入道山というのはこれですか?」と聞いたら「そうだよ」と言われた
あとでいろいろ調べると、これは綜覧群馬郡金古町第6号古墳に比定されているようだが・・・



こうして両古墳を見る限り、奥のほうが大きく見える
綜覧記載の数字を見ると、綜覧群馬郡金古町第5号入道山古墳の方が大きい
もしかしたら、綜覧と現在の扱いが逆になってしまったのではないかとも思うのだが・・・



2008年7月19日(土)22:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡金古町第9号愛宕山古墳

群馬郡金古町第9号愛宕山古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市金古町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ25尺(約7.6m)とある



しかし、説明看板を見る限り、綜覧記載の数字とはだいぶ違うような・・・


石室入口
だいぶ改変されてしまっている
秋になってもヤブ蚊がうろついており、閉口した



石室内部
こちらはよく残っているが、カマドウマの巣窟となっている



北側を東西に走る県道より見る
木立の中に墳丘がちらちらと見え隠れしている



2008年7月18日(金)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡金古町第72号オ春名古墳

群馬郡金古町第72号オ春名古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市足門町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ48尺(約15.5m)、高さ13尺(約3.9m)とある




この数字は二段構築の二段目の数字のようで、まいぶん群馬のHPでは「地山を削り出した直径25メートルの低い基壇の上に、直径15メートルの円丘を乗せている」とある
周囲は宅地化が進みつつあり、やがて見えなくなりそうな気もしてくる
綜覧では「石槨(丁字型)有」と記載されているが、実際には「『逆トの字形』の変形横穴式石室」(まいぶん群馬HP)とのこと
残念ながら石室は埋め戻され、現在見ることはできない



このオ春名古墳(別名オハンナ古墳、お榛名古墳とも)の北側にあるのがこの石室材
地番から見る限り、綜覧群馬郡金古町第73号~第75号古墳のいずれかのものと思われる



綜覧記載の地番と手持ちの地図を照合する限り、「群馬町の文化財」で春名原古墳群に含められているのは、綜覧群馬郡金古町第73号~第80号古墳の8基のようだ


2008年7月17日(木)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡上郊村第9号古墳

群馬郡上郊村第9号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市中里町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ12尺(約3.6m)とある



現在、大塚山古墳と呼ばれており、この名前だけを頼りに綜覧を見ていると、綜覧上郊村第25号古墳が「大塚山」と書かれており、これのことかと混同しそうになるが、地番を見ていけば間違いなく本古墳がそれである


石室入口
養豚場跡の背後にあり、藪もまたすごいことになっており、覗くのは危険
群馬郡群馬町教育委員会が発行した「群馬町の文化財」には石室内部の写真も載っているが、現状の長さ5.8m、玄室部の長さ4.2m、同じく幅2.9mと「群馬町の石室の中では最大の規模」とのことである



北より見る
すぐ横に、緑に覆われた盛り土があり、一瞬これも古墳かと思ってしまいそうだ
近くで農作業をしていた方に伺ったところ「それは古墳じゃないよ」とのこと



北西より
また、かつてはこの切り通し状の道はなく、その右の小高い盛り上がりまで墳丘が続いていたとのこと
ということは、古墳の裾部を分断したということになるのだが、その方は別に本古墳の所有者でもないので、文句を言うわけにもいかなかった



2008年7月16日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理

上野国分寺跡その4

復元された版築の塀
ところどころで崩れてきてしまっているが、本物と同じ工法なので仕方ないと言えるのかも知れない



北側から見る、復元された金堂の基壇


この通り、北側からも行くことができるが、ここは正式な駐車場ではないようだ


この北側には、説明看板が立っている


綜覧群馬郡総社町第10号愛宕山古墳が円墳扱いされているなぁ・・・とか思いつつ、やはり高崎市庚申古墳群や高崎市寝保窪古墳群の分布に目が行ってしまう


2008年7月15日(火)21:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理

上野国分寺跡その3

資料館内の七重塔復元模型
目の前で見ると実に壮観である



その七重塔をはじめとする国分寺の建物群はこのように並んでいたらしい
外に見えるのは、復元された版築の塀



東側


西側


2008年7月14日(月)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理


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