厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年8月を表示

多野郡吉井町第1号薬師堂古墳

多野郡吉井町薬師堂古墳
多野郡吉井町吉井川にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ70尺(約21.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



説明看板には多胡薬師塚古墳とある


石室内部


この辺りの地名の小字を穴塚と言う
もちろん、本古墳がその由来になっている



しかし、北側から見ると、景観にうまく溶け込んでいるなぁ・・・


2008年8月21日(木)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡吉井町多胡碑

多野郡吉井町多胡碑
律令時代に建てられたとされている石碑である
詳しくは説明看板にて・・・



 
 
 
 
 
 
 
 
 
位 太 宣 成 良 弁
石 政 左 多 郡 官
上 官 中 胡 并 符
尊 二 弁 郡 三 上
右 品 正 和 郡 野
大 穂 五 銅 内 國
臣 積 位 四 三 片
正 親 下 年 百 岡
二 王 位 三 戸 郡
位 左 多 月 郡 緑
藤 大 治 九 成 野
原 臣 比 日 給 郡
尊 正 真 甲 羊 甘
   二 人 寅



他の三面側に「字が彫ってある!」と気付いた研究者がいたという本をどこかで読んだことがあるのだが、どの本だったのか覚えていない


四面体の石碑で、裏や左右に何も彫ってないとは考えにくい


もしかしたら削り取られたのかも知れない・・・


2008年8月20日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡多胡村第115号古墳

多野郡多胡村第115号古墳
現在の多野郡吉井町神保にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



多野郡多胡町神保字南高原から多野郡吉井町池の多胡碑記念館に移設されている
また墳丘の半分は、築造当時のかたちに復元されている



石室入口


天井石


説明タイル


2008年8月19日(火)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡吉井町第65号古墳

多野郡吉井町第65号古墳
多野郡吉井町片山にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ102尺(約30.9m)、高さ15尺(約4.5m)とある



本来所在した多野郡吉井町片山字久保平から、多野郡吉井町池の多胡碑記念館内に移築されている
綜覧によれば「稲荷祠アリ」とのことだが、さすがにそれまでは移設できなかったようだ



説明看板ならぬ説明タイル
墳丘裾部にひっそりと置かれている



2008年8月18日(月)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

群馬郡佐野村第62号庚申塚古墳

群馬郡佐野村第62号庚申塚古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ144尺(約43.6m)、高さ17尺(約5.2m)とある



綜覧では刀が40本も出土したと記載されており、また「粘土槨ナリシトイフ」とあるので、高崎市倉賀野古墳群と同時期の築造と推定される
左後ろに見えるのが、その高崎市倉賀野古墳群の綜覧群馬郡倉賀野町第1号浅間山古墳



このとおり、非常に大きな径を持つ円墳である


記憶がうろおぼえであるが、確か高崎市遺跡台帳では消滅扱いされていたような・・・?


2008年8月17日(日)23:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市第178号三島塚古墳

高崎市第178号三島塚古墳
高崎市石原町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ80尺(約24.2m)、高さ22尺(約6.7m)とある



墳丘上には三島神社の社殿が鎮座する


説明看板
非常に整った円形が残っていることが分かる
しかし、出土した石棺はどこへ行ったのやら
この説明看板を読むだけでは、彦狭島王の陵墓と言われているのはここだけのようにも受け取れるが、実は結構あちこちにそういった伝承がある



北西より見る


2008年8月16日(土)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市行力町榛名社304所在古墳・群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳

高崎市行力町榛名社304所在古墳
高崎市行力町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



行力工業団地内の神社の裏にある
高崎市史では横穴式石室の存在が記載されているのだが、確認できなかった
恐らく、この石垣に埋もれてしまったのだろう



群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳
現在の高崎市上小塙町にある円墳で、綜覧では大きさ191尺(約57.9m)、高さ27尺(約8.2m)とある



石室入口と説明看板
珍しく北向きに石室が開口する貴重な円墳である



石室内部


2008年8月15日(金)22:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡箕輪町第3号古墳

群馬郡箕輪町第3号
群馬郡箕郷町を経て現在の高崎市箕郷町上芝にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ11尺(約3.3m)、南北の大きさ16尺(約4.8m)、高さ6尺(約1.8m)とある



石室入口
綜覧記載の数字から判断すると、昭和10年の時点で封土をほとんど失っていたものと思われる
現在、石室材はコンクリートで固められている



外から見る限り、石室材に使われている石ははだいぶごつい印象


こうなると、オリジナルでない石も混じっていそうな気もするのだが、実際のところはどうなのだろうか


背面にはいろいろな石造物が林立している
群馬県文化財情報システムで本古墳は「天宮古墳」と呼ばれているのだが、どこからそんな名前が付いたのか、皆目見当が付かない



2008年8月14日(木)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡箕輪町第1号椿山古墳・群馬郡箕輪町第2号行人塚古墳

群馬郡箕輪町第1号椿山古墳
群馬郡箕郷町を経て、現在の高崎市箕郷町西明屋にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長500尺(約151.5m)、前方部の高さ20尺(約6.1m)、後円部の高さ55尺(約16.7m)とある



さて、後円部と思われる高まりは分かるものの、どのあたりが前方部なのやら
綜覧には「石槨露出湟阯有」とあるものの、後者は確認できなかった
前者は墳丘上に登れば見つかるようだが、今回は登っていない



北北東より見る
この山は、箕輪城に繋がる「椿山の砦」と呼ばれていた辺りでもある



群馬郡箕輪町第2号行人塚古墳
群馬郡箕郷町を経て、現在の高崎市箕郷町矢原にある方墳で、綜覧では大きさ33尺(約9.9m)、高さ13尺(約3.9m)とある



綜覧では「円墳」として記載されているが、説明看板に書かれているように、実は方墳であったようだ
画像には写っていないが、南側は墓地となってしまっており、古墳としての景観を損ねている
また、石室も埋め戻されており見学不能である



2008年8月13日(水)21:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡相馬村第4号古墳・群馬郡相馬村第5号古墳・群馬郡相馬村第33号古墳

群馬郡相馬村第4号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ67尺(約20.3m)、南北の大きさ80尺(約24.2m)、高さ6.7尺(約2m)とある
榛東村古墳番号第42号



群馬郡相馬村第5号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ62.6尺(約18.9m)、南北の大きさ54.6尺(約16.5m)、高さ5.8尺(約1.8m)とある
榛東村古墳番号第43号は綜覧番号不詳となっているが、榛東村の古墳分布図では本古墳の位置にプロットされているようだ



群馬郡相馬村第33号古墳
北群馬郡桃井村を経て、現在の北群馬郡榛東村広馬場にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ152尺(約46.1m)、南北の大きさ142尺(約43m)、高さ12尺(約3.6m)とある



規模から見て、どうやらこの盛り土状のものが古墳であるらしい
分布図のプロットマークの色で見ると、石室が確認されているようだ
綜覧ではここのすぐ南側にある聖宮神社の社殿の載った山を綜覧群馬郡相馬村第32号方聖山古墳としているが、榛東村では古墳として見ておらず、古墳番号が付いていない
榛東村古墳番号第47号



2008年8月12日(火)21:55 | トラックバック(0) | コメント(2) | 北群馬郡榛東村 | 管理


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