高崎市高崎城遺跡その3 |
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| 10号溝 今回の現地説明会で、一番見たかったのがこれ
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| このきれいなアールを描く溝 削平された円墳の跡なのである
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| ここからは川原石や円筒埴輪片が出土している
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| 墳丘自体は径約15mの円墳と推定されている ただし、墳丘や主体部は未確認とのこと
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| 主体部があると推定される位置は、ちょうどこの未調査区との境目にあたり、竪穴式であるか横穴式であるかは今後の調査を待つしかない
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2009年1月21日(水)22:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城遺跡その2 |
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| 2号堀 榎郭の堀と見られている
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| 1号堀ほどではないが、そこそこに深い
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| 2号堀から見て、1号堀の向こうに位置する5号溝 溝のかたちや遺物から、方形周溝墓の可能性があるとのこと
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| 5号溝の手前にある11号溝 中世以前に遡るものである可能性があり、また五輪塔の一部が出土している
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| 2号堀の東に位置する8号溝 これも中世以前の可能性があるようで、内耳付土器やかわらけが多く出土したとのこと
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2009年1月20日(火)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城遺跡その1 |
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| 高崎市高崎城遺跡 高崎市にある遺跡で、中近世の高崎城の跡である 今回、第19次調査の現地説明会が行われたので、見学してきた
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| 1号堀 高崎城本丸の堀で、北東部分のにあたるらしい
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| 1号堀から見つかった木製施設 どうやら明治以降、廃城となったあとのものらしい
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| 現状ではまだ、どのような性格の遺構であるかは分かっていないようだ
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| この堀は明治中期になってもまだ残っていたとのことだが、最終的に、昭和初期頃には埋められていたそうである
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2009年1月19日(月)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その6 |
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| さて、追手門があったあたりから北側、三の丸方面へ土塁が続いている
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| 土塁の上は遊歩道になっている ただし、柵がないので転落注意
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| 三の丸側の説明看板
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| ここまで歩き回って来るのは、少々疲れる しかし、高崎城はまだまだ広い・・・
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2009年1月18日(日)21:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その5 |
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| 高崎城の追手門は、この松の木の向こうにあった
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| この石垣がオリジナルかどうかは知らない
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| 松のそばに行ける階段がある
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| 飛龍の松に関した碑が並んでいる
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| 実はここからも乾櫓が見えたりする
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2009年1月17日(土)21:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その4 |
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| 乾櫓の横に移設された、高崎城東門
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| 表側
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| 裏側
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| 裏側の続き
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| 説明看板
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2009年1月16日(金)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その3 |
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| 歩兵第15連隊の石碑の南にあるのが、乾櫓
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| なかなか立派だが、ほとんどが復元品
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| それでも、群馬県指定重要文化財だったりする
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| 説明看板
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| もう1枚ある
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2009年1月15日(木)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その2 |
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| かつてここは歩兵第15連隊の兵営があった場所 記念の石碑が建てられている
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| 連隊歌 どんな節で歌うのか、気になるところ
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| 趾碑之由来
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| その裏側 個人的には「鉄道隊」というものに興味が湧く
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2009年1月14日(水)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市高崎城址その1 |
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| 高崎市高崎城址 復元された櫓などがあって、けっこう面白い場所である
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| 高崎城記
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| 右奥の松は「飛龍の松」と呼ばれているものらしい
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| ところでこれ、古墳の石室入口のように見えてしまう
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| 反対側もそんな感じ
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2009年1月13日(火)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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群馬郡総社町第2号王山陪塚其一跡・群馬郡総社町第3号王山陪塚其二跡 |
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| 群馬郡総社町第2号王山陪塚其一跡 現在の前橋市大渡町にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ30尺(約9.1m)、高さ6尺(約1.8m)とある
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| 群馬県遺跡台帳によれば、昭和47年滅失したとのこと その直前の頃には「墳丘は大部分崩され、その中心を僅かに残すのみ」であったようだ 綜覧には石碑の存在が記載されているが、その後の状況は不明である 群馬県文化財情報システムにプロットされた位置はちょうどこの店舗の辺り。利根川を挟んだ向こうには、綜覧前橋市第11号古墳、龍海院裏古墳、綜覧前橋市第9号古墳と、古利根川に沿って古墳の造営が続いていた
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| 群馬郡総社町第3号王山陪塚其二跡 現在の前橋市大渡町にあった円墳で、綜覧では大きさ35尺(約10.6m)、高さ8尺(約2.4m)とある
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| 台帳では「盛土は平坦化され、周囲は削られ現存する部分はその中心部のみである。墓地に利用されている」とのことだが、現在その墓地すらも残っていない 綜覧群馬郡総社町第1号王山古墳の説明看板にはこれらの陪塚の存在も書かれておらず、ここに古墳が存在したことすら忘れられてしまった
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2009年1月12日(月)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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