厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年3月を表示

勢多郡富士見村第16号古墳その2

後円部より見る前方部


前方部より見る後円部


石室入口
近年フェンスが設置されたようで、内部の見学はできなくなっている



後円部墳丘上より見下ろす石室入口


2009年3月21日(土)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

渋川市上遠原古墳群その4

さて、もうひとつ、興味深いことがある
分布図にはプロットされていないものの、調査報告書の本文にはこんな記述がある
「地元の人からの聞き取り調査によると、古墳5の北東50mにもう1基古墳があり、ここから小刀が出土し埋め戻されたという。」



その北東50m地点
いかにもそれっぽい石を積み上げた上に載っかるのは、何と庚申塔だったりする



誰かに裏付けの証言を得たわけでもないが、もしかしたら上毛古墳綜覧勢多郡北橘村第91号庚申塚古墳は、ここにあったのかも知れない・・・と思った


2009年3月20日(金)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その3

分布図に4とある古墳
何やら石造物が並んでいるようだが、分布図の地図では墓地の記号が記入されている



単純に上毛古墳綜覧を見ていくだけだと、綜覧勢多郡北橘村第91号庚申塚古墳とも思えるのだが、分布図ではここ場所のすぐ北に「中井」(綜覧では「中居」だが)と小字が載っており、何とも判断しづらい


分布図に5とある古墳
藪で墳丘表面が見えない状態



調査報告書では「道路際に奥壁が露出している」とあるが、見ての通り視認が困難である


綜覧勢多郡北橘村第97号古墳からは鍔、綜覧勢多郡北橘村第98号古墳からは金環が出土したと記録されており、調査報告書では「どの古墳かは確認できない」とあるが、綜覧勢多郡北橘村第98号古墳は綜覧の現状の欄に道路敷とあり、また綜覧勢多郡北橘村第97号古墳共々規模不明とあるので、この2基は綜覧記載時にはすでに削平されていたのではないだろうか


2009年3月19日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その2

分布図に2とある古墳
石室材と葺石がかなり露出している



順当に見ていけば、綜覧勢多郡北橘村第93号古墳となりそうなのだが、調査報告書でも特定されておらず、また聞き込みでも所有者関係の話を聞けなかった


ただ、昔はもっと墳丘は大きかったとの証言は得られた
畑の中の古墳の、典型的なパターンだ



分布図に3とある古墳
墳丘は藪で覆われ、どうやら樹木も生えているようだ



現状を見るだけで判断していくなら、「灌木密生」とある綜覧勢多郡北橘村第92号古墳か


2009年3月18日(水)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市上遠原古墳群その1

渋川市上遠原古墳群
渋川市北橘町真壁にある古墳群で、上毛古墳綜覧記載番号不明



綜覧には勢多郡北橘村第91号~第95号、第99号古墳の6基が記載されており、決して記載漏れというわけではない
しかし、北橘村教育委員会が平成9(1997)年に刊行した村内の遺跡の調査報告書によれば、分布図は正確に記載されたものの「1996年に旧地番と現地番の確認を行ったが、綜覧の地番に古墳がないことが判明した」という



報告書記載の分布図に1とある古墳
「わずかな高まりが残るのみで地元では単に塚と呼んでいる」ということであるが、それすらも確認できない状態



地番はさておき、所有者の名前だけで判断するのであれば、この1が綜覧勢多郡北橘村第94号古墳か綜覧勢多郡北橘村第99号古墳いずれかの可能性があるが、地番も変わっており、特定ができない


2009年3月17日(火)22:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡富士見村第16号古墳その1

勢多郡富士見村第16号古墳
勢多郡富士見村にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ40尺(約12.1m)、高さ30尺(約9.1m)とある



・・・が、この説明看板を見ると、数字がまったく違っている
まぁ、綜覧では円墳だとされているのもあるかもしれないが・・・



前方部


後円部


2009年3月16日(月)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

勢多郡南橘村第35号古墳

勢多郡南橘村第35号古墳
現在の前橋市田口町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径50尺(約15.2m)、高さ8尺(約2.4m)とある



橘神社の奥、雷電神社の社殿裏に墳丘があるとのことだが、どうにも分かりづらい


綜覧で高さ約2.4mとあり、しかも山の上では・・・


綜覧には「秋葉社有」と記載されており、右奥に見える石祠がそれかもしれない


2009年3月15日(日)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第15号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第15号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ165尺(約49.9m)、高さ33尺(約9.9m)とある



群馬町教育委員会発行の「群馬町の文化財」に載っている地図によれば、本古墳は北寝保窪古墳とも呼ばれているようだ(ただ、その地図には誤植も多い・・・)


綜覧では、本古墳の欄に「下寝保窪古墳群ハ往古ヨリ冷水三十六塚トイフ」とあり、昔はさらに多くの古墳が存在したようだ
所在地名も観音寺字下寝保窪から棟高字北寝保窪、そして現在は棟高町と、変遷めまぐるしい



2009年3月14日(土)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第11号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第11号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ20尺(約6.1m)とある



状況としては、綜覧群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳と同じと言える


ただ、大きい樹木がないので墳丘自体は見学しやすい


方墳化しているのは、まぁ現代に残る古墳としての宿命みたいなもの
現存しているだけでもありがたいと思わねばなるまい



2009年3月13日(金)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ82尺(約24.8m)、高さ23尺(約6.9m)とある



宅地と駐車場に囲まれ、居心地の悪そうな雰囲気


綜覧には石室についての記述は何もないが、この状態では、樹木の根に侵食されていそうだ


2009年3月12日(木)22:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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