厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年11月を表示

群馬ヘリポートその3

JA200G


JA9374


JA9716


ここまで見たところで、体験搭乗で飛んでたJA9693が戻ってきた


そして無事にエプロンに到着


2008年11月10日(月)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理

群馬ヘリポートその2

JA6407


パトカーを横に見つつ、館内に保存の京都府警のヘリは以前見たのでスルー


JA9474


別アングル


この辺のイエローグリーンの色調にワクワクしちゃうのが、飛行機好き


2008年11月9日(日)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理

群馬ヘリポートその1

市内某所から送迎の貸切バスに乗って


たどり着いたのは群馬ヘリポート


今日はこんなイベントがあったりするので、行ってきた


エプロンの外から見るJA710H


同じくJA9693


2008年11月8日(土)21:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 乗り物 | 管理

高崎市内金古d号古墳

高崎市内金古d号
高崎市金古町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



高崎市というよりは旧群馬郡群馬町、綜覧でいうところの群馬郡金古町の個人宅の裏にある古墳であるが、樹木に阻まれて墳丘全体を見通す構図は撮れなかった


一瞬、前庭部の石組みかと思ったが、状況を見るとこれはどうやら羨道部の側壁のようだ
側壁部の天井石は失われてしまっている



玄室部の側壁
平たい面を表に出してはいるが、個人的には一部で面取りをしているように思う



玄室部より入口を見る
石室自体はどうやら無袖型のようだが、群馬郡群馬町教育委員会発行の「群馬町の文化財」ではそのことにについては触れていない



2008年11月7日(金)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

勢多郡北橘村第39号道訓塚古墳

勢多郡北橘村第39号道訓塚古墳
現在の渋川市北橘町上箱田にある円墳で、上毛古墳綜覧では径21尺(約36.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある



とても小さな古墳であるが、渋川市内や旧勢多郡北橘村内を見下ろせる場所にあり、それなりの地位にいた者が眠っているのだろう


墳頂部には石塔らしきものが見えるが、何なのかは不明
ただ、古墳名の「道訓」とは医者の名前であるそうで、本古墳に彼を葬った可能性はある



墳丘全体にいろいろな木々が生い茂り、うっかりすると墳丘に気づかずに通り過ぎてしまいそうだ


北より見る
本古墳すぐ南の建物があるあたりには、縄文時代の焼町土器を出土したことで有名な道訓前遺跡があった



2008年11月6日(木)22:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡北橘村第105号経塚古墳・渋川市八幡塚古墳

勢多郡北橘村第105号経塚古墳
現在の渋川市北橘町真壁にある円墳で、上毛古墳綜覧では径45尺(約13.6m)、高さ15尺(約4.5m)とある



綜覧では「石槨存ス、経石多数発見サル」とあり、古墳の墳丘を中世に掘り返して、一字一石経や多字一石経を埋めて経塚としたのだろう
こうした信仰は、中世によく見られたものらしい



渋川市八幡塚古墳
渋川市北橘町真壁にある円墳で、綜覧記載漏れ
・・・と書いてはみたが、現地では墳丘がどこにあるのか分からなかった
この画像は、本古墳の説明看板の位置より見た構図



説明看板
市指定史跡(その前は勢多郡北橘村指定史跡)であるが・・・



2008年11月5日(水)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

前橋市塩原塚古墳

前橋市塩原塚古墳
前橋市田口町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



説明看板


南西より見る
土のうで埋め戻されたという石室は、入口の場所すら分からない状態になってしまっている



北より見る
なぜ本古墳が綜覧記載漏れになったのか分からない
国道17号線を挟んで西側には、綜覧勢多郡南橘村第24号観音山古墳などの冠木古墳群が存在していたのに・・・(冠木古墳群は現在消滅している)



墳丘上は草木が生い茂り、登ることは困難であった


2008年11月4日(火)22:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第56号古墳跡

勢多郡桂萱村第56号跡
現在の前橋市上泉町にあった前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ83尺(約25.1m)、高さ10尺(約3m)とある



綜覧では円墳として記載されているが、前方後円墳集成東北関東編(山川出版社刊)では「猫見塚古墳」の名で載っており、「前方後円墳(帆立貝形?)」とされているので、そちらに倣った
現在はほぼ完全に削平された状態で、古墳としての痕跡はまったく見受けられないが、近所のお年寄りから興味深い話を聞くことができた



前方後円墳集成では、周濠あり埴輪あり葺石あり竪穴式石槨ありと記載されているのだが、お年寄りの話をまとめると、話が全然違っていた
杖で指し示すほどの比高があったにもかかわらず、土取りの際に調査したところ、石ころすら出てこなかった。これだけの高さがあるから刀でも出てくるかと思っていたのに、何も出なかった。石槨の石も出なかったから、古墳じゃなくて別の何かの塚だったのだろう。土はダンプがどこかに持っていった
さて、このお年寄りの話はどこまで本当なのだろうか。同じ旧勢多郡桂萱村内の綜覧勢多郡桂萱村第51号新田塚古墳の名や旧勢多郡荒砥村に数多くの古墳が存在すること、そして石槨という言葉をご存知だったことから、ある程度古墳に関する知識はお持ちのようであったが・・・



2008年11月3日(月)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡荒砥村第355号古墳・前橋市富田の宝塔

勢多郡荒砥村第355号古墳
現在の前橋市富田町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ165尺(約49.9m)、前方部の高さ7尺(約2.1m)、後円部の高さ16尺(約4.8m)とある



現在残っている墳丘は後円部であるらしい
説明看板と標柱が見えるが、残念ながら本古墳のものではない



墳丘上より前方部を見る
群馬県遺跡台帳では「前方部は水田となっている。前方後円墳で、前方部の一部の土がとられている」とあるのだが、その残りがこれだろうか



本古墳の墳丘上には「赤城塔」と呼ばれる宝塔が立っている


宝塔の説明看板
古墳自体は市指定文化財でも何でもないようだ



2008年11月2日(日)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡大胡町第14号狐塚古墳

勢多郡大胡町第14号狐塚古墳
現在の前橋市堀越町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ25尺(約7.6m)、高さ8尺(約2.4m)とある



旧勢多郡大胡町と前橋市の境界に近い場所に位置する神社の裏にある墳丘
墳頂部は削り取られ、石祠などがその上に鎮座している



狐塚という名前どおりに狐がいたかどうかは分からないが、綜覧には石室が開口しているとかいった記述はまったくなく、むしろ「狐イコールお稲荷さん」という意味で狐塚と呼ばれていたのではないだろうか


北東より見る
現状を見る限り、墳丘の東側に軽く土盛りをして、東隣の墓地につなげているようだ
その墓地にも、塚状のものがいくつか見られるが、綜覧にはまったく記載がなく、群馬県遺跡台帳でも群馬県文化財情報システムでもノータッチ



墳頂部の石祠
右のものが割と新しいものであるのが目を引く



2008年11月1日(土)22:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


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