碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その2 |
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| 鞍部を蛇行する、墳丘上へ至る道 まるで登山道のような急峻な角度で上り下りする
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| 後円部より前方部を見る
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| 前方部より後円部を見る
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| 住宅と比べて見ると、その比高差がよく分かる
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| 石室入口
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2008年12月11日(木)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳その1 |
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| 碓氷郡八幡村第7号観音塚古墳 現在の高崎市八幡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ376尺(約113.9m)、前方部の高さ60尺(約18.2m)、後円部の高さ50尺(約15.2m)とある
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| 周囲は宅地化が進み、地上から墳丘全体を見渡せる場所がなくなってしまった
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| 説明看板
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| 前方部
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| 後円部
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2008年12月10日(水)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市綿貫伊勢遺跡その2 |
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| 作業を見ている目の前で、次々と土器が掘り出されていく その様子は、まるで何かの展示即売会のような気分だった
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| 事務所の中では出土品を展示 ただし量が尋常じゃないレベルだった
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| 古墳時代の土器ということで、非常に興味深く見学してきた
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| ここまでくると、展示もちょっとやりすぎな気がしなくもないが・・・w
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2008年12月9日(火)22:02 | トラックバック(0) | コメント(7) | 高崎市 | 管理
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高崎市綿貫伊勢遺跡その1 |
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| 高崎市綿貫伊勢遺跡 高崎市綿貫町にある遺跡で、古墳時代を中心とした近世までの複合遺跡である
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| 住居跡がこのように重なり合っている 時代によって建て替えられた証でもある
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| 現地説明会が行われた際、見学に訪れた人は多かったようだ
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| 上の画像で見学・説明をしていた箇所 これも重なり合った住居跡
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| しかし、こうした遺跡の現地説明会で、発掘作業を実際に行っているところを見学できるのはかなり稀である
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2008年12月8日(月)21:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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伊勢崎市三軒屋遺跡第14次調査6区 |
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| 6区の大溝の断面 黒い部分は天仁元(1108)年の浅間山噴火の際の堆積物
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| 正倉の角が出たということであるが、見た感じはっきりとは分からなかった
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| その北側 こちらも、いちおう説明は受けたが状況がなかなか掴めなかった
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2008年12月7日(日)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市三軒屋遺跡第14次調査5区 |
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| 伊勢崎市三軒屋遺跡 伊勢崎市上植木本町にある遺跡で、律令~平安期の上野国佐位郡の郡衙跡とされている 今回、第14次調査の現地説明会が行われ、5区と6区の見学をしてきた
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| 5区大型土坑 どういったものかは不明ながらも、郡衙の建物を建てる際の土取りの穴の可能性もあるとのこと
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| 大型土坑の西側 シートがかけられ、状況の確認は出来なかった
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| 5区礎石建物跡 ここはまだ掘り始めてはいないが、土の色の違いがはっきりと見てとれる
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| 奥の方は、ブロック塀の向こうに続いていると推測されるが、民家敷地内にあたるため調査できないとのこと
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2008年12月6日(土)21:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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碓氷郡八幡村第8号古墳その2 |
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| 墳丘南側には葺石と思われる石が散在している
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| 露出した石室材 石室内部は小さな石で埋まっているようだ
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| こうして見ると、奈良の石舞台古墳のようにも見えてくるようなそうでないような
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2008年12月5日(金)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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碓氷郡八幡村第8号古墳その1 |
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| 碓氷郡八幡村第8号古墳 現在の高崎市若田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さ15尺(約4.5m)とある
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| 墳丘上には石室材が露出している
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| 県道10号前橋安中富岡線沿いにあり、また八幡霊園の入口前に位置する古墳である
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| 綜覧では古墳番号しか載っていないが、高崎市史では「物見塚(休塚)」とある 墳丘上に登ってみたら、確かに高崎市の少林山をはじめ、非常に眺めが良く、物見に使われたことが分かるのだが、休塚というのはどういった経緯でそう名付けられたのか不明
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| 墳丘脇を走る県道10号線は、安中方面へ出かけるときによく使う道で、古墳探訪を始めた頃は、ここにも古墳が!と驚いたものだ(その話、何度目だ・・・)
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2008年12月4日(木)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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碓氷郡八幡村第9号稲荷塚古墳 |
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| 碓氷郡八幡村第9号稲荷塚古墳 現在の高崎市若田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ102尺(約30.9m)、高さ20尺(約6.1m)とある
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| 説明看板 現在、所在の地名から若田大塚古墳と呼ばれている 八幡霊園に現存する古墳では、本古墳だけがこのように立派な看板となっている
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| こうしてみると、隣に並ぶ楢ノ木塚古墳とよく似た形態である 綜覧では「前方後円ラシキ点アリ」と書かれているが、結局そのようなことはなかったようだ
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| 墳丘に登ろうとする子供や大人がいるのだろうか、墳丘の周囲をタイガーロープが巡っている
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| 墳丘上に登れる階段も立入禁止 現状は確認できていないが、墳頂部には稲荷社の石祠があるらしい
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2008年12月3日(水)21:55 | トラックバック(0) | コメント(2) | 高崎市 | 管理
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碓氷郡八幡村第14号古墳 |
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| 碓氷郡八幡村第14号古墳 現在の高崎市若田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ45尺(約13.6m)、高さ15尺(約4.5m)とある
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| 説明看板 現在は楢ノ木塚古墳と呼ばれており、これは本古墳の墳丘にコナラなどの木々が植わっていることから名付けられたものと思われる 群馬県指定史跡の割に、看板自体はずいぶんと簡素な印象 また、看板に記された横穴式石室は調査後に埋め戻されており、現在は見ることが出来ない
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| そのコナラが色づき始めた、秋の墳丘
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| 群馬県遺跡台帳ではなぜか「径約40m余の円墳」と記されているが、実際にはそこまでの大きさはない 1971(昭和46)年8月に高崎市教育委員会で発掘調査、翌1972(昭和47)年11月、群馬県指定史跡となっている
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| 周辺は八幡霊園という霊園になっており、古墳と現代の墓が一緒に並んでいるという、ある意味時代を超えた一体感があるようなないような・・・
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2008年12月2日(火)22:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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