上野国分寺跡その2 |
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| 資料館の脇から見る、橋建設予定地の築堤 写真には写っていないが、東山道に出る参道の跡が現存していたりする
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| 資料館の中には、当然ながら発掘された瓦などが展示されている
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| さらに目玉なのは、それらに触ることもできるということ 瓦に付いた模様を指でなぞれるので、言い換えれば歴史と直にふれあえるということでもある
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| 発掘の様子もパネルで展示されている
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| そして復元の様子も・・・
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2008年7月13日(日)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理
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上野国分寺跡その1 |
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| まずは駐車場にクルマを停める 未舗装なのでバイクで行くとコケる危険があるのでちういw
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| あとは看板を見ればたどり着ける
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| ここから真っ正面に橋を架ける計画はあるものの、予算的にどうなのだろう そろそろ工事始まるかな?
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| とりあえず西側にある別の橋を渡って迂回して、と
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| おや、何か見えてきたぞ・・・?
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2008年7月12日(土)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市・高崎市 | 管理
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高崎市オトウカ山古墳・群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳 |
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| 高崎市オトウカ山古墳 高崎市小八木町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 北より見る すぐ東を縦断する県道25号線からもよく見える 本古墳の規模であるが、高崎市史では径30m、高さ3.5mとある。埴輪も出土しており、また横穴式石室を有しているらしい
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| 群馬郡堤ヶ岡村第5号薬師塚古墳 現在の高崎市菅谷町にある円墳で、綜覧では東西231尺(約69.9m)、南北115尺(約34.8m)、高さ33尺(約9.9m)とある
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| しかしこの綜覧記載の数字、高さは明らかに誤記であり、現状は2m前後といった感じ。また、現状として南北の長さに対し東西の長さが2倍もあるためか、前方後円墳にも見える 本古墳は高崎市オトウカ山古墳の北約900mの位置にあり、別名「石塚古墳」とも呼ばれている すぐ南西には「石塚古墳南」という交差点があり、本古墳も県道からの見通しは良い 本古墳の北から上野国分寺跡の手前にかけて、戦時中は陸軍前橋飛行場が所在していた
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| 墳丘上にある薬師様の説明看板 古墳であることには全く触れていない
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2008年7月11日(金)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳・高崎市浜尻町村東609所在古墳 |
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| 高崎市浜尻町稲荷塚891所在古墳 高崎市浜尻町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 地名から見るに、本古墳はかつて「稲荷塚」と呼ばれていたのだろうか 浜尻天王山古墳からJR上越線を越えてすぐ北東にあり、何らかの関係がありそうな気もする 本古墳は現在、墳丘は大幅に改変されたうえ、墓地となってしまっているが、埴輪が出土している
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| 墳丘のすぐ裏は線路。もしかしたら、線路の敷設工事の時に一部削平されていたりするのかも知れない
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| 高崎市浜尻町村東609所在古墳 高崎市浜尻町にある円墳で、綜覧記載漏れ
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| 真福寺の敷地内にあるが、木が生い茂っていて全体を見渡すことは困難 墳頂部にはお堂が建っているが、こちら側の裾部はお墓だらけで、けっこう撮りづらい
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2008年7月10日(木)21:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市中尾町所之免506所在古墳 |
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| 高崎市中尾町所之免506所在古墳 高崎市中尾町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 高崎市史によればこの稲荷神社の載っかった部分が古墳であるとのことだが、比高はあまりないようだ 埴輪小片が隣の土地から出ているとのことだが、どっちの方向に隣なのやら
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| 訪問時、すぐ近くで住宅の建設工事をやっていて、トラックに邪魔されてあまりよく見渡すことができなかった
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| それにしてもずいぶんと墳丘を削平されたものだ そこらの団地の中の空き地にひっそり佇む神社、という感じでもある
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2008年7月9日(水)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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群馬郡総社町第5号稲荷山古墳 |
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| 群馬郡総社町第5号稲荷山古墳 現在の前橋市問屋町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ51尺(約15.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある
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| 近年、あちこちに改修がなされたらしく、古墳の面影はあまり感じられないうえに、説明看板でも古墳については全く触れていない 群馬県遺跡台帳では「水田中にある。墳丘はほとんど平坦化され、その中央部のみが、径10数m、高さ2m程残っている」とあり、綜覧記載の規模とあまり変わらないように思える もちろん水田は今ではまったくなくなってしまったが、この書き方だと昔はもっと大きい古墳だったように受け取れる
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| あれこれ見て回ったが、「古墳」として書かれているのはこの石碑だけだった この稲荷社、丁間稲荷と呼ばれているのだが、総社町史ではなぜか町見稲荷と記載されていた
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| おそらく、ここが古墳であるということよりも、墳丘上に移設された笠塔婆のほうが遥かに知名度がありそうな感じ ちなみにこの傘塔婆、前橋市指定文化財だったりする
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2008年7月8日(火)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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群馬郡総社町第14号大神宮様古墳 |
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| 群馬郡総社町第14号大神宮様古墳 現在の前橋市桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある
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| 群馬県文化財情報システムでは、プロットされた位置が非常にずれており、本当にここでいいのか不安になったが、総社資料館で聞いたところ「総社の植野で大神宮と言ったらここしかない」とのこと 群馬県遺跡台帳では、残っている盛り土の「南面するその中腹には、石室の石材らしきものがみられる」ということであるが、こんな現状ではどうしようもない
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| 本古墳の南側にある墓地(道は直接繋がっていない) どうもこれは怪しいな・・・と思って、これまた総社資料館で聞いたら「これは古墳だと聞いている」とのことであった
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| 遺跡台帳の本古墳の項には「付近には4カ所古墳の跡がある」と記されており、これがそのうちの1基と思われる 本古墳と綜覧群馬郡総社町第15号薬師塚古墳はすぐそばなので、「薬師塚古墳東30m」、「北300m」の2基もこれに含まれるものと仮定して計3基 残りの1基はどこにあったのだろうか
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2008年7月7日(月)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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群馬郡総社町第13号一本木塚古墳・群馬郡総社町第15号薬師塚古墳 |
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| 群馬郡総社町第13号一本木塚古墳 現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ77尺(約23.3m)、高さ7尺(約2.1m)とある
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| 総社町史によれば「植野の稲荷神社の附近にも十二塚の名が示すように、相当古墳があつたことと思われるが利根川に欠落され」たということである 現在の利根川の流れは、古墳時代とは違うものなのだが、確かに地図で見ると、総社古墳群を、利根川を越えてそのまま南東方向に伸ばしていくと前橋市街地の古墳に突き当たる
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| この崖の南東にもかつてはいくつかの古墳が見受けられたのであろう その先は綜覧前橋市第11号古墳(前橋城内)や綜覧記載漏れ龍海院裏古墳、綜覧前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)と繋がっていき、やがて広瀬古墳群に行き着く
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| 群馬郡総社町第15号薬師塚古墳 現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、綜覧では大きさ71尺(約21.5m)、高さ8尺(約2.4m)とある
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| 綜覧には「石槨有」と記載されているが、確認できなかった 総社町史によれば、本古墳の東30mと北300mにもそれぞれ円墳のあった跡があるとのことだが、そのうち前者はどうやら道路を挟んで東側にある百庚申のことであるようだ その百庚申も、墳丘の名残と思われる高まりは見受けられない なお、綜覧群馬郡総社町第6号遠見山古墳の南側にも「薬師塚」と呼ばれる古墳跡があるとのことで、群馬県遺跡台帳では両者を混同してしまっている
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2008年7月6日(日)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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群馬郡総社町第7号大小路山古墳・群馬郡総社町第12号稲荷山古墳跡 |
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| 群馬郡総社町第7号大小路山古墳 現在の前橋市総社町総社にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ53尺(約16.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある
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| 墳頂部には熊谷稲荷神社が建っている 神社境内には石が多数見られ、群馬県遺跡台帳でも「石塔や頂上部に散在する石、及び石片は石室に使用されたものとみられる」とあるが、現状そんな感じに見られずちょっと古墳の面影が薄い
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| しいて挙げれば、この高まり程度だろうか 神社の説明看板にも、古墳については何も触れていない
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| 群馬郡総社町第12号稲荷山古墳 現在の前橋市総社町総社にあった円墳で、綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある
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| 土地の所有者のお宅にある稲荷社 元は本古墳の墳頂部にあったもので、削平時にここへ移設したもの 古墳自体はこの背後にあったが、削平前の状況は「墳丘は大部分破壊され、横穴式石室の石材も、一部露出している」状態だったようだ 土地の所有者によれば25年ほど前に削平、その際に錆びた刀が出てきたとのことで、学校に寄付したものの、管理が移ったとかで現在は所在が分からないとのこと なお、跡地にはアパートが建っている
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2008年7月5日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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群馬郡総社町第10号愛宕山古墳その2 |
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| 石室入口 かなり狭くなってしまっているが、それが探検にちょうどいいのだろう、近在の子供の遊び場にもなっているようだ いつぞや訪れたときは、何人かの子供たちが探検ごっこをしていた
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| 石室内部より入口を見る ごらんのとおり、かなり埋まっている
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| 家形石棺 盗掘の跡がしっかりと確認できる
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| 石棺内部はもちろんもぬけの殻 さて、どんな副葬品があったのやら
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2008年7月4日(金)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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