埼玉県深谷市愛宕神社古墳 |
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| 埼玉県深谷市愛宕神社古墳 埼玉県深谷市普済寺にある方墳で、岡部町史によれば一辺37m、高さ5.5mとある
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| 説明看板 ここでは「愛宕神社古墳」とあるが、岡部町史では「愛宕山古墳」とある
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| 同じ愛宕の名を冠する方墳として、地元前橋市総社古墳群の上毛古墳綜覧群馬郡総社町第10号愛宕山古墳の存在が思い出されるが、規模としてはそれよりも一回り小さい感じ
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| 西北西より見る 終末期の方墳ということは、南側に横穴式石室があるはずなのだが、見つかっていないようだ あくまで群馬の古墳の例でいえば、石室はかなり立派なものであるはず
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| 墳頂部 小振りな社殿が載っかっている
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2009年2月8日(日)21:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理
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埼玉県深谷市蛇喰古墳 |
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| 埼玉県深谷市蛇喰古墳 埼玉県深谷市岡にある円墳で、岡部町史によれば径約25m、高さ約2mとある
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| 国道17号(中山道)のすぐ脇にあるが、墳丘の半分以上が藪に覆われている
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| 東より見る 近所の人に聞いたところ、本古墳についての情報はあまりなかったが、高崎線の線路を越えた先に7、8年前まで古墳があったとのことであった しかし、それについての詳しい話はまったく分からずじまい
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| 南より見る 墳丘の向こうには、利根川の河岸段丘が広がっている
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| 墳頂部 石祠がちょこんと載っかっているが、どの神様を祀っているのかは不明(前出の近所の人は「お稲荷さんか何か」と言っていたが)
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2009年2月7日(土)21:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理
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埼玉県深谷市菅原稲荷神社古墳 |
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| 埼玉県深谷市菅原稲荷神社古墳 埼玉県深谷市普済寺にある円墳で、埼玉県古墳詳細分布報告書では大きさ31mとある
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| 墳頂部には稲荷神社が載っかっている 画像の奥にも鳥居が見えるが、こちらは菅原神社という別の神社のもの
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| 墳丘はだいぶ変形しているが、一目で古墳と分かる
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| 北西より見る 西側にある埼玉県道355号中瀬普済寺線からもよく見える 深谷市と合併する前に刊行された岡部町史によれば、墳丘の高さは4mとのこと
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| 埼玉県古墳詳細分布調査報告書によれば周堀が確認されているとのことであるが、現状ではまったく分からなかった
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2009年2月6日(金)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理
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伊勢崎市大道西遺跡その5 |
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| 道路と川が交差する場所に埋まっていた木材 木造橋の構造材である可能性が高いが、何の木からできているのか、今後の調査を進めていくとのこと
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| 別アングル
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| 橋を渡った先の道路
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| 道路はそのまま西へまっすぐ、上野国佐位郡衙の跡である三軒屋遺跡へつながっている
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| 反対側から見る 道路の両脇にある側溝は残念ながら当時の遺構ではなく、近・現代のもの
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2009年2月5日(木)21:35 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市大道西遺跡その4 |
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| 道路と川の交差する辺り
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| 道路の表面には護岸の杭が刺さっているが、当時の遺構ではないようだ
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| その先には厚い層があった
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| 接近してみると、こんな感じ
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| そして、メインの交差部分
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2009年2月4日(水)21:45 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市大道西遺跡その3 |
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| 川の遺構の土の層
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| 律令時代の道路の断面
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| 版築工法で造られている
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| しかし、平安時代になると道路の一部は崩壊してしまったようだ
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| そしてその上には浅間山の噴出物が覆い被さっている
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2009年2月3日(火)22:28 | コメント(1) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市大道西遺跡その2 |
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| 発掘された川の遺構 本遺跡とJR両毛線の間を流れる男井戸川(おいどがわ)という小さな川の前身と見られている
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| 反対側から見る 掘れば水がしみ出てくる湿地帯であり、さらに雨上がり直後のため、遺構には水がたまり、本当に川として復活したような感覚になる その向こうには赤城山が見えている。本遺跡から北へ約500mの地点には恵下古墳群があり、古くから開墾されてきた土地でもある
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| 水路の跡 中央下、土中に埋まっているのは、例の暗渠水路の土管
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| 反対側から見る
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| 雨のおかげで、畑の畝がはっきり見てとれる 本遺跡では川の遺構を境界として、東側が畑、西側が田というかたちで耕作地がしっかり区分されていたようだ
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2009年2月2日(月)21:51 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市大道西遺跡その1 |
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| 伊勢崎市大道西遺跡 伊勢崎市豊城町にある律令・平安時代の遺跡である 午前中を大雨と強風に見舞われた日、雨上がりの現地説明会を見学してきた
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| 平安時代の田の跡 天仁元(1108)年の浅間山大噴火の際に埋まってしまったものの、降り積もった火山灰の上から畦の跡が見えている その中を真横に抜けるいくつかの溝は、近・現代の排水用暗渠水路の跡
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| 西より見る たまった水が南北に細長く延びているのは、当時の水を引き入れる水路の跡
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| そこからさらに南側、同じく西より見る
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| その背面にも、しっかりと畦が浮き出ていた
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2009年2月1日(日)22:01 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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