伊勢崎市本関町古墳群その4 |
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| 2号古墳 上毛古墳綜覧番号不明
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| 今回の調査では、径12mの円墳と判明している
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| 埴輪は検出されていない
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| 主体部は「棺底粘土や棺を被覆した粘土が認められる」とのことで、組合式木棺と想定されているとのこと
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2013年5月24日(金)23:59 | コメント(1) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市本関町古墳群その3 |
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| 埴輪片
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| 近影その1
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| 近影その2
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| 主体部は未確認 遺構の表面にはこんな層も見られたが、倒木痕であるとされた ・・・ということは、仮に墳丘が削平されず主体部が残存していたとしても、樹木の根で破壊されていたことになる?
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2013年5月17日(金)18:50 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市本関町古墳群その2 |
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| 周溝の堆積物から、墳丘自体は5世紀末のものと判断されている
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| ここまでくっきりと周溝のあとが出るのも、珍しいのではないだろうか
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| 削平によって墳丘が失われているのが、実に惜しい一基である
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| こちら側は、埴輪片が多く出土している
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| 平成23(2011)年に刊行された発掘調査報告書に拠れば、埴輪は円筒、朝顔形、家形などが確認されており、その一部には赤彩が認められる物もあったとのこと
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2013年5月10日(金)21:26 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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伊勢崎市本関町古墳群その1 |
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| 伊勢崎市本関町古墳群 伊勢崎市本関町にあった古墳群である
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| 本古墳群は広範囲に広がっていたらしく、群馬県埋蔵文化財調査事業団による調査区域の他、伊勢崎市による調査でも削平された墳丘のあとが発見されている
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| 今回の記事は、平成22(2010)年に伊勢崎市が調査した範囲である
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| 1号古墳 上毛古墳綜覧でいうところの、佐波郡殖蓮村第33号古墳で、綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ5尺(約1.5m)の円墳である
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| 今回の調査では、径25mほどの円墳と推定されている 遺構は途中から道路の下に埋没しており、全体の調査をすることはできなかった模様
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2013年5月3日(金)22:36 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その9 |
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| 一緒に展示されていた鉄鏃
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| 出土状況
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| 同じく矛
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| こちらは、出土時にはどういった性格のものか分からなかったのだが、どうも矛らしいと確認された模様
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2013年4月26日(金)00:24 | コメント(0) | 渋川市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その8 |
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| 展示室内には、復元された挂甲も展示されていた これは、現在の高崎市箕郷町に石室が現存する天ノ宮古墳(上毛古墳綜覧群馬郡箕輪町第3号古墳)からの出土品を復元したもの
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| 各部の名称の説明
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| 甲は実はもう1つ見つかっているのだが、見学時はちょうど調査のため「留守」であった
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2013年4月19日(金)01:06 | コメント(0) | 渋川市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その7 |
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| ひざまずいた状態の両足
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| 大腿骨が何とも生々しい感じである
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| 展示ケースの隙間から見る
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| 足下の調査が進めば、何か履き物の痕跡でも見つかったりするのではないだろうか
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| 上から見てみる
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2013年4月12日(金)21:12 | コメント(0) | 渋川市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その6 |
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| そして、昨年暮れ以来の対面
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| 「見学」でも「拝見」でもなく、「奉拝」という言葉を使いたいくらいの気持ちであった
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| 浮き出た両腕に、絶句する
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| 顔面はまだ土中に埋没している 後頭部は損壊しているが、これは軽石に埋もれた際に熱で傷ついたのだろう
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| 甲部分
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2013年4月5日(金)20:54 | コメント(1) | 渋川市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その5 |
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| さて、本遺跡から出土した古墳人は、その後群馬県埋蔵文化財調査事業団の建物の中で、丁寧に調査が行われているらしい
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| 春先のある日、一週間ほど一般に公開されたので、列に並んできた
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| こうしてまた見学できる機会があったのは、とても嬉しく思う
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| まずは、本遺跡の概要について軽くおさらい
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| それから、ちょっと居住まいを正して・・・
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2013年3月29日(金)03:21 | コメント(0) | 渋川市 | 管理
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渋川市金井東裏遺跡その4 |
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| 乳児の頭骨も検出された
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| この頭骨と古墳人とが、どのような係わりであったのか、現段階では判明していない
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| 残されたわずかな手がかりから想像をふくらませるしかないのであるが・・・
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| さて本遺跡であるが、平日に急遽開かれた現地説明会ではあるものの、見学者は2635名を数えたという 非常に注目度の高い遺跡・遺構であったことがうかがえる
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2013年3月22日(金)22:30 | コメント(0) | 渋川市 | 管理
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