厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


新しい順に表示

福島町第5号

甘楽郡甘楽町、笹森(稲荷)古墳の西南西約300mの位置にある円墳
こちらから見るとただの藪にしか見えないのだが、コフニストとしては「ん、あれは?」と反応してしまう



東側に回り込んでみる
この時点で古墳探知アンテナが反応しなかったら、コフニスト失格かも知れない



そこからさらに南側に回り込んでみると、ほらこの通り
巨石を載っけた石室がはっきりと確認できる
さて、この福島町第5号。上毛古墳綜覧ではなぜか規模不詳とあるのだが、どうしてそう判断されたのかさっぱり分からない



石室というか玄室部分
石室自体は「石槨中玄室ノ一部存ス」と記載されており、どうやら羨道部は古くに失われてしまったもよう
とはいえ、この巨大な天井石はなかなかに迫力がある
高さも大人が余裕で立てそうなくらいというのも、この凄味に一役買っている感じ



側壁にもかなりの巨石が使われている
構造から見るに、笹森古墳の被葬者とも関わりのあった人物のものかとも思ったが、実際どうなのだろう



2008年5月9日(金)21:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

入野村第3号御穴塚古墳

上信電鉄馬庭駅の北西、飯玉神社の社殿裏にある円墳
上毛古墳綜覧では大きさ36尺(約11m)、高さ12尺(約3.6m)とあることから、昭和10年当時は封土があったものと思われる



東南東側から見る
墳丘はこの通り、南側をすっぱりと削り取られてしまい、石室も羨道部がなくなっている



石室内部というよりは玄室奥壁部分
あろうことか、この玄室内に柵を越えて酒の空き缶を捨てた不逞の輩がいたようで、撮影時は空き缶がファインダー内に入らないようにちょっと苦労した
壁面はかなりの転びがあり、またわずかに模様積みのようなところも見られた
奥壁前に何本か並ぶ太い石棒は、男根を象徴したものか?
だとすれば、この古墳名の「穴」とは・・・(以下自粛



現在残る墳丘の上部には天井石が露出している
ここにもゴミが捨てられている



天井石の別角度
一部はコンクリで固められている



2008年5月8日(木)22:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第42号若宮八幡塚古墳

現多野郡吉井町石神地区の大武神社の社殿裏にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27m)、高さ16尺(約5m)


現在、墳頂には祠や石宮が建っている
昭和18年に社殿を改築したらしく、そのときに墳丘を一部削ったものと思われる



墳丘西側は、道路で裾を削り取られている
とはいえ、墳丘の規模はなかなか立派なものが残っている



墳丘南西側には、昭和18年の社殿改築記念碑が建つ
特に何か出土したとは書いてなかったように思う



社殿裏にあたる部分の墳丘石垣、つまり石室の羨道部分なのだが、この石・・・
どうも石室材を積み上げて石垣化したように見える
中央上部や下部にある大きめの石がいかにもそれっぽい



2008年5月8日(木)22:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第37号栗塚古墳

例によって多野郡吉井村の古墳
国道254号線を挟んで34号金比羅塚の反対側にある古墳で、墳丘自体はあまり残っていない
上毛古墳綜覧では大きさ36尺(約11m)、高さ8尺(約2.4m)とあり、昭和10年の時点ではそこそこに墳丘が残っていたようだ



その近影
古墳名の由来となった栗の木が生え、イガグリごと栗の実が落ちている向こうに、石室材が見える



綜覧には「石槨一部存ス」とあり、これは残った石室材で一番大きい石


そこから90度ほど回り込んでみるとこんな感じ
墳丘をあらかた削ったとき、石室が露出したところで石をまとめて積み上げたようにも見える



2008年5月7日(水)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

加牟那塚古墳

再び友人トミイエ(ko.i.tsu)氏から画像を頂いたので、これも貼ってみる

山梨県甲府市加牟那塚古墳
直径約45m、円墳としては非常に大きな径を持つ



例によって、詳しくは(ry

地名フェチとしては、所在地名の千塚(ちづか)という名前に反応してしまう



なぜかスズキ・ジムニーも一緒に写っている画像があったのでこれも貼る
しかしこれはでかいなぁ・・・



石室入口周辺
前庭部にあたる部分の墳丘裾部が石垣化されているのは後世の改変か?
墳丘自体は、3倍の大きさになった群馬県富士見村上庄司原1号墳といった感じ



石室入口
例によって柵が設けられ、施錠されている

しかし、高さ2mを優に超す石室を持つ円墳なんて、群馬にはあっただろうか・・・



2008年5月6日(火)22:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山梨県 | 管理

入野村第29号・第34号金比羅塚古墳

多野郡入野村第29号、現在の多野郡吉井町にある古墳で、ここから東に行けばもう藤岡市に入るという立地
けっこうな大きさの墳丘が残っており、あちこちに葺石が散らばっている



上毛古墳綜覧の記載では大きさ72尺(約22m)、高さ15尺(約4.5m)、さらに「石槨存ス」ともあるのだが、現状ではどうやら埋まってしまってしまったようだ
こちら側から見ると、葺石の数がものすごくて壮観といった印象



こうして見ると、石室が開口していそうな感じにも見えるんだけどねぇ・・・
掘ってみたいと思ったのは内緒だ



29号から西に1kmほど行った場所にあるのが34号で、綜覧では「金比羅塚」という名前が載っている
墳丘の規模については何も書かれていないが、刀と玉類が出土しているらしい
晴れているように見えるが、実は雨上がりで濡れている草むら。Gパンが膝まで濡れ、靴の中はグズグズになってしまった



裏から見ると、道路を通したときに段丘を削ったらしく、どこまでが墳丘なのか見分けがつかない
正面から見るとさほど段差はなく、コンクリで土台を固めて高さをかさ上げした祠でそれと分かったようなものだ
古墳の上には石宮や祠を建てることが多いので、もしこれらがなかったら気付かなかったかも知れない



2008年5月6日(火)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

藤岡市白石古墳群猿田支群

白石古墳群猿田支群は藤岡市白石稲荷山古墳の北東、猿田川の東の河岸段丘にある古墳群で、現状5基ほどが残っている
これは「藤岡市遺跡詳細分布調査」で平井地区7号墳と命名された古墳
上毛古墳綜覧でいう多野郡平井村何号であるかは分からない



7号墳の東にある8号墳
上の写真で言えば、左手にちらっと見えるプレハブ小屋を挟んで反対側にある
見学時、手前のネギ畑を見て某ボーカロイドを思い出したのは内緒だw



7号墳から見て、ホテルを挟んで反対側に位置するのが9号墳
墳丘上部を大きく削られたのか背が低く、さらに南側も削られており、一見ただの盛り土にしか見えないが、これも立派な古墳
綜覧多野郡平井村537号にあたるらしい



9号墳の南側にあるのが13号墳と12号墳
左の奥が13号墳、右の手前が12号墳
どちらも円筒埴輪が出土しているらしい



9号墳の東側にあった怪しい石積み
近くにあった(つまり削平された)10号墳・11号墳の葺石もしくは石室材が積み上げられたものかも知れないと妄想中



2008年5月5日(月)22:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

吉井町T194号・T195号

吉井町T194号
墳丘の向こう、ガードレールのあたりで切り通し状に新しい道路が走っている



反対側からから見る
墳丘の向こうにはT206号、T209号(小屋の陰になっているが)、T210号が並んでいる



T194号より少しT200号に寄ったところにあるのがT195号
発掘調査前は墳丘いっぱいに何本も木が生えていたそうだ
奥の鉄塔の下に見えるのは大沢川に架かる上信越自動車道の橋で、地図で見るとこの大沢川を挟んで、ここ多胡古墳群と神保古墳群が隣りあっている



先ほどのT206号、T209号、T210号の見える場所からT194号を撮った位置で、さらにカメラを振ってみた構図
向こうの木立の下がT200号で、露出した奥壁もしくは裏込めの石室材がよく見える



そこから少し道路側に寄ってみる
この道路の工事で多くの古墳が失われ、現在は約20余基が残っているが、上毛古墳綜覧ではこの一帯に91基の存在が確認されており、その後発見された記載漏れの古墳を含めると100基以上が群集していたそうである



2008年5月4日(日)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

吉井町T198号・T200号

吉井町T198号
多野郡多胡村(現多野郡吉井町)の多胡古墳群に属する古墳で、上毛古墳綜覧にも記載されているはずなのだが、ここ多胡古墳群は数があまりにも多く、今ではどれがどれにあたるのか特定できないが多い
そこで吉井町教委では、現地で記載漏れも含めひとつひとつ照合し、新しく付番したために「T○○号」となった
ちなみに「T」は多胡村のアルファベット頭文字である



反対側に回ってみたところ
こちら側はすぐ左下にある道路の工事の際に大きく削り取られ、石室内部が露出している



露出した石室部分
もちろんここが石室入口ではなく、内部の断面部分だ
石室内部は埋められているが、周囲には石礫が多く、一見して積石塚かと思ってしまいそうになった



その道路沿いにT198号に隣接しているT200号
手前には元の墳丘裾部分を示しているのか、石が並べて置かれている



石室の奥壁か裏込めと思われる巨石も残っているが、埋まってしまったのか他に石室材と思われるものは見当たらなかった


2008年5月4日(日)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多胡村第133号・一本杉古墳

その多胡村第122号・123号の南東にあるのが133号
墳丘やその周囲は古い墓や石宮、石堂があり、その多くは江戸時代前半期の年号が刻まれていた



これも122号の墳頂より


南東側には石室が開口している
奥行きはさほど深くなく、玄室部分が残ったものと思われる
石室内には古くから地蔵尊が納められていたようだ



そこから少し北東に行ったところにある一本杉古墳
上毛古墳綜覧多胡村第113号で、横穴式石室を持つが埋没している
ここでも墳丘上に石宮が置かれている



古墳名と違い、杉の木は生えていないのが可笑しい
まぁおいらは花粉症ではないので、どうでもいいのだがw
墳丘の左右端は耕作によって少し削り取られたようだ



2008年5月3日(土)22:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理


(90/95ページ)
最初 86 87 88 89 >90< 91 92 93 94 95 最後