厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 


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相馬ヶ原その5

この天気で背後のヘリが飛ばなかったのは惜しかった
以下小ネタ的展開



昨今は痛車、痛単車のみならず痛ヘリまで登場するご時勢のようで・・・


とはいえ、描かれているのはとってもジモッチーなネタ
・・・って、いいのか義侠の人だぞそれw



「あのー・・・これ撮っても大丈夫ですか?」
「ハハッ、おkおk!w」

ということで何の問題もなく撮れちゃったよ、あとMINIMIも・・・



「我レノ八時ニ不審ナ撮影者アリ、至急対処サレタシ・・・」

とは言ってないと思う、多分w



2008年4月13日(日)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

相馬ヶ原その4

・・・と思ったけど、この「新型パジェロ」もけっこう撮ってることに気付いた
これ、正式には新型の73式小型トラックとか言うらしいんだけど、誰もそう呼んでないようだ
撮ってないけど、展示車で「小隊長用新型パジェロ」って説明看板に書かれてたくらいだし



こうしてみると、わずかな差異が各車にあるので、つぶさに見ていくと結構面白い


白いものもある。警務かその辺のクルマのはず


今回、初めて迷彩仕様も見た。バンパーの記号から見るに、ここ相馬ヶ原のクルマではないようだ


あいにくの天気だったけど、オートバイ隊は相変わらずかっこよかった
おいらは雨の日にバイクに乗る気はないけどw



2008年4月13日(日)21:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

相馬ヶ原その3

今回、一番撮ったように思うのがこの高機動車
米軍のハンビーに影響されて開発したということだけど、さすがに本家よりは足回りが華奢になるらしい
非常に汎用性があるので、「新型パジェロ」同様、1/35でのプラキット化が望まれる



迫撃砲だって載るし


わっちじゃないほうのホロが付くとさらにかっこいいしね


旧型のほうの73式小型トラック・・・まぁ「ジープ」で通じるけどね、ライセンス生産だしw
今回初めて見たのがその遮光カバー
大戦中のドイツ軍みたいに、真ん中にスリットがあるもんだと思ってたら、そうじゃなかった
これを装着したときは、、その下にある小型のスリット付きのライトを使うんだそうな



毎度おなじみ、消防車
それだけでお子さまがたに人気なのに、駐屯地の外じゃまずお目にかかれない自衛隊の消防車ということで
撮るのにかなり忍耐が要るもののひとつ



2008年4月13日(日)18:12 | トラックバック(0) | コメント(2) | 自衛さん | 管理

相馬ヶ原その2

行進は、始まる前からこんな感じでぞろぞろ並んで待機している
遥か先方を行く音楽隊が、煙雨に霞んでいる



このクルマは「新型パジェロ」と呼ばれるRV車
車体を見て分かるとおり、実際に市販されている三菱パジェロとはまったく別物
シャーシ部分まではどうだか分からないけれどね



それにしても、この天気なのに雨衣(あまい:要するに雨合羽)も着ることなく行事に参加している隊員さんたちを見ていると、本当に御苦労様と思う


FH-70と呼ばれる、155mm榴弾砲
実はけっこうなスピードで自走することも可能だ
牽引しているトラックは市販のトラックがベース
今回、こいつの空包射撃を近くで見られたのだが、発射音はやはり大きいと思った



ということでまたも撮るw
行進や演習では回転灯が回るので、生きた車輌という感じで好きだ



2008年4月13日(日)17:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

相馬ヶ原その1

出発したときは降ってなかったのに、途中から降り出してしまった、今日の相馬ヶ原訪問
左手に傘を持ち、ショルダーバッグにはレンズ拭きタオルを突っ込み、右肩には銀塩一眼レフも提げて
どれだけ重装備なんだよオレ・・・



ところで最近は「メディーック!」なクルマがお気に入りだったりする
飛行場の裏にもいたので、こちらもついつい撮ってしまった



気のせいでも何でもなく、相馬ヶ原に行くたびに毎回巡察所の偵察オートバイを撮っている
今回は雨なので、雨よけの天幕が張られていて、また別の雰囲気があった



その巡察所の横に置かれていたもの
これは何だ? 架橋?



さて、飛行場まで行く途中であれこれ見たところで行進開始


2008年4月13日(日)17:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

いなり塚古墳

上毛古墳綜覧では
勢多郡横野村第31号稲荷塚
とも書かれている円墳
現在の渋川市旧赤城村樽字野本地区、この辺りに唯一残った古墳でもある



昭和10年の記録では、東西36尺、南北48尺、高さ15尺とあり、換算するとそれぞれ約10.9m、約14.5m、4.5mとなる


北西から墳丘を見る
ここの東を南北に走る上越線からこの古墳はよく見える
渋川を出て利根川を渡り左カーブが終わった先、いちご園が西側に見え始める辺りにある



石室入口
服に種子がくっつく草がいっぱい生えていて
撮り終えたあとがえらいことになった



石室内部
入口に柵があり、中には入れないので、隙間からレンズを突っ込んで撮影



2008年4月12日(土)20:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

化学防護車

去年の春の相馬ヶ原で撮ったもの
あんまし詳しい車輌データは書かないけど
結構面白い外観していると思う



運転席の上の構造物が、艦船の構造物に見えるのはオレだけでいい
とか言ってみたりして
風向計も標準装備なのがミソ



プラモも一応出ているんだけど、まだ持ってない
ちなみに背後にドアがあるんだけど、車内は撮影禁止だったので撮ってない
というかその貼り紙があったからドアの閉まっている写真すら撮ってない
明後日の相馬ヶ原の公開で展示されていれば、撮り直してこようと思う



2008年4月11日(金)21:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自衛さん | 管理

南下古墳群E号墳

E号墳石室入口
径約17m、高さ約2mの円墳または方墳
周辺の改変が著しいため、正確に把握できていないとのこと
7世紀後半の築造と推定されているが、A号墳よりは時期がやや下るらしい



石室内部、奥壁部分のややアップ
石室内は極めて精緻な截石切組積で、A号墳より規模は大幅に縮小されているものの、石材加工技術や切組の手法は進んでいる
写真に写っているが、A号墳同様に朱線が残っており、その数は170本にもなるらしい

なお、F号墳は石室が開口していないということで、墳丘外観の写真すら撮ってない(ぉ



2008年4月10日(木)20:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理

南下古墳群C号墳・D号墳

C号墳石室入口
丘陵頂部に築かれた、径約19m、高さ約3.7mの円墳
6世紀中葉から後半頃の築造と推定されている



石室は自然石乱石積の無袖型、珍しく東向きに開口


D号墳の墳丘
径約13m、高さ約2mの円墳とされているが、墳頂部が宅地になっているなど、かなり削平・改変されている一基
見学時、当初これがD号墳であるとまったく気付かなかった
7世紀中頃の築造と推定されているが、B号墳より時期が若干遡る可能性があるらしい



何分も墳丘周辺をうろうろして、ようやく見つけた石室入口
石室内部の写真は撮っていないが、山石と川原石を混用した乱石積で南西方向に開口
羨道(入口の道部分)と玄室の境には二、三段に石を積んだ玄門が存在するらしい



2008年4月10日(木)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理

南下古墳群A号墳・B号墳

吉岡町にある古墳群
そのほとんどが石室が開口しており、ひととおり見学できる貴重なもの
この看板で、何も書かれていない緑丸が石室の開口が確認されていないF号墳
そして看板の裏にあるのがE号墳



A号墳を東側から見る
同じ吉岡町の三津屋古墳に置いてあるパンフレットによると、二段構築の円墳らしい
径20~27m、高さ4m以上、埴輪の使用は確認できていない
7世紀後半の築造と推定されている



石室内は角閃石安山岩截石切組積(きりいしきりくみづみ)
奥の玄室壁面には漆喰様の塗りものの痕跡があり、また切組の石材加工の際の朱線があるとのことだが、見学時に見つけることができなかった



B号墳石室入口
墳丘外観は、木立に覆われていてやや見づらい
径約30m、高さ約6mの円墳
7世紀中頃の築造と推定されている



石室内は自然石主体の乱石積だが、玄門(写真に写っている門構えに直線状の石)に切石、玄室奥壁には一部切組
規模の割に天井が高く、この付近では珍しい形態
玄室石材の隙間に漆喰様の詰めものの痕跡があるらしい



2008年4月10日(木)20:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 北群馬郡吉岡町 | 管理


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