軍配山古墳その2 |
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| そんなわけで、1周年の記念に再訪してきた ついでに今回初めて墳頂にも登ってみたりして
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| 南側の墳丘が崩されているためか、見る角度によってだいぶ印象が異なるのが特徴 これは南東側から見たところ
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| 墳頂に建つ「軍配山古墳碑」 彦狭島王の墳墓との伝承があるだとか皇紀八百年前後(え、西暦だと140年前後・・・?)の築造だとか何だとかいろいろ書いてあり、裏は昭和5年の発掘時に出土したものの一覧が書いてある
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| 墳頂より、滝川一益の気分になって神流川方面を見てみる しかし、ここからでは、神流川古戦場跡は大して見えなかった もしかして、滝川一益の敗因って・・・?
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| 滝川一益がどーのとか、軍配山古墳の詳細がどーのとかは、この看板にて熟知すべし 実際、築造年代はけっこう古く4世紀末のものとされ、主体部も竪穴式だったようだ 直径約40m、高さ約6mの円墳である
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2008年4月27日(日)22:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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