大阪府南河内郡河南町寛弘寺古墳群第45号古墳その1 |
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大阪府南河内郡河南町寛弘寺古墳群第45号古墳 大阪府南河内郡河南町寛弘寺にあった古墳である
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説明看板
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右側壁
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左側壁
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奥壁 画像で見ると、大して巨大感はないかも知れないが、実際に目の前で見ると相当に大きい この画像も、まったくしゃがむことなく、普通に立って撮ったものである
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Jan.29.2010(Fri)20:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群O4号古墳 |
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群O4号古墳 大阪府南河内郡河南町にあった直径20mの円墳である
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説明看板
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現在、墳丘は消滅してしまっているが1983(昭和58)年に調査がなされており、また本古墳の石棺が大阪府立近つ飛鳥風土記の丘の管理棟に移設保存されている
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石棺は、ふたの部分が1/3ほど欠損してしまってはいるが、精巧な造りの家型石棺であることがよく分かる
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棺身は組み合わせ式となっている これも、蓋が欠損しているからこそ分かることであったりする
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Jan.26.2010(Tue)22:26 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群I19号古墳・I20号古墳 |
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群I19号古墳 大阪府南河内郡河南町にある直径10mの円墳である
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石室は1991年の発掘調査時のものが移築されているが、一部の石が転げ落ちており状態はあまりよくはない 現状では失われてしまっているが、画像中央右上の草むらのあたりには発掘調査時、閉塞石が残っていたようだ
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群I20号古墳 大阪府南河内郡河南町にある直径11mの円墳である
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本古墳もI19号古墳と同時に発掘調査、移築されている 現在の閉塞石の状態としてはこちらのほうがよいが、やはり一部の石が転げ落ちてしまっている 本古墳の石室はI支群の中では最大の面積であるらしい
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説明看板
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Jan.22.2010(Fri)21:09 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群C7号古墳 |
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群C7号古墳 大阪府南河内郡河南町にある古墳である
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大阪府立近つ飛鳥風土記の丘の管理棟を通り過ぎてすぐの遊歩道分岐点に位置しており、阪南ネオポリスバス停方面から近つ飛鳥博物館へ行く際に最初に見る古墳でもある
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「一須賀古墳群の調査 A・O・Q支群」には一須賀古墳群全体の詳細な分布図が記載されており、それによれば本古墳はC7号古墳であるということだが、資料がなく墳形・規模ともに分からなかった
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墳頂部 大きく陥没しており、画像中央付近の巨石が天井石であるのか奥壁であるのかは判断できなかった
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Jan.19.2010(Tue)20:51 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群B7号古墳 |
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群B7号古墳 大阪府南河内郡河南町にある直径12~14mの円墳である
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現存高は1mほどで、当然天井石も失われてしまっている
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羨道部左側壁 「一須賀古墳群の調査Ⅳ B支群」に書かれた「石室は上部の大半が失われ、下部の1~3段を残す」という状況がよく分かる
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玄室部 今ではすっかり土砂に覆われてしまっているが、この下の床面には、棺台と思われる礫が検出されているらしい なお、築造年代は6世紀中頃とのことである
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Jan.15.2010(Fri)18:52 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群B4号古墳 |
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大阪府南河内郡河南町一須賀古墳群B4号古墳 大阪府南河内郡河南町にある古墳である
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大阪府立近つ飛鳥博物館発行の「一須賀古墳群の調査Ⅳ B支群」に拠れば、墳形・規模について「盛土流失等により不詳」とある
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羨道部より奥壁を見る 組み合わせ式の石棺1、同じく組み合わせ式の木棺2が検出されており、2度の追葬が行われているらしい
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群馬県民から見れば、本古墳は珍しい右片袖式の横穴式石室を有しているが、一須賀古墳群のほとんどの現存する古墳がそうであるように、天井石は失われてしまっている なお、築造年代は6世紀後半とのことである
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Jan.12.2010(Tue)21:16 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府南河内郡河南町大阪府立近つ飛鳥風土記の丘 |
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大阪府南河内郡河南町大阪府立近つ飛鳥風土記の丘 大阪府南河内郡河南町東山及び一須賀にまたがる史跡公園である
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このあたりは一須賀古墳群という群集墳が形成されており、多くの支群に分かれている
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たとえば、これはB支群の説明看板
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これだけ古墳が集まっていれば、古墳の構造をじっくり学べるというもの
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あれこれと見て回った頃、ようやく近つ飛鳥博物館に到着する 近鉄の喜志駅からバスに約20分揺られ、そこからさらに歩かねばならない場所ではあるが、ここの古墳には圧倒されるものがある
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Jan.8.2010(Fri)22:35 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府堺市狐山古墳 |
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大阪府堺市狐山古墳 大阪府堺市大仙中町にある直径23mの円墳である
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ひっそりとしたたたずまいは、群馬の小円墳にも通じるものがあるようにも思える
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墳丘の傍らに古墳名を彫った石碑があるほかは、特に説明看板も何もない
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大仙陵古墳の南西に位置し、その陪塚と見られている
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そんなわけで、この小さな円墳も宮内庁の管轄だったりする
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Jan.5.2010(Tue)23:24 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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大阪府堺市大仙陵古墳 |
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大阪府堺市大仙陵古墳 大阪府堺市大仙町にある前方後円墳で、説明看板では全長480mとある
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説明看板
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英語版
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南海電鉄三国ヶ丘駅のホームより見る 墳丘はあまりにでかすぎて、群馬の古墳の感覚では見て回れなかった いずれ、ゆっくりと時間をかけて再訪したいところ
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ところで、三国ヶ丘駅の前にはこんなものが置かれている 「古代」と名付けられたこのモニュメント、巨石はすべて百舌鳥古墳群に向けられているのが興味深い
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Jan.1.2010(Fri)13:57 | Trackback(0) | Comment(0) | 大阪府 | Admin
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