前橋市東福寺鰐口 |
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| 前橋市東福寺鰐口 前橋市三河町にある前橋市指定重要文化財である
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| 説明看板
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| 山門を通るこの坂を、天狗坂と呼ぶらしい
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| 本堂の屋根をよく見ると、鳥の意匠が取り込まれている
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| この本堂の下に、鰐口は所在する
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2012年7月27日(金)22:06 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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勢多郡木瀬村第18号諏訪山古墳 |
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| 勢多郡木瀬村第18号諏訪山古墳 現在の前橋市上増田町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ72尺(約21.8m)、高さ8尺(約2.4m)とある
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| 群馬県遺跡台帳、群馬県文化財情報システムのどちらにも載っていないが、古墳と思しきマウンドが現存している
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| 綜覧では「直刀、人骨、軍配」が出土したと記録されている
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| この点で、古墳かどうか怪しい気もするが・・・
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| 墳頂部
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2011年9月30日(金)20:52 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市山王廃寺続編その5 |
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| 個人宅内に置かれている石製鴟尾 これ自体は、以前撮ってきたものをすでに掲載してあるのだが・・・
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| 傍らに転がっているこれがどうも気になっていた 今回の現地説明会で伺ったところ、これもやはり山王廃寺に関連するものであるらしい
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| これがあと3つ集まって、柱の根元に巻き付いていたのではないかと言われている
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| このお宅の近くには、双体道祖神も鎮座している
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| その裏手にも、石造物がまとめて置かれておりとても興味深い
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2010年11月16日(火)21:11 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市山王廃寺続編その4 |
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| 日枝神社の北東に位置する調査区
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| 数千点もの遺物が出土しており、その大半は瓦の破片だったそうだが、その中には羽口や須恵器も混じっていたとのこと
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| 西側からは、布掘り工法による掘立柱建物の跡が見つかっている
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| 東側からは、浅い溝状のくぼみが見つかっている
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| 側面には瓦の破片が残っていることから、まだかなりの数が埋まっていることがうかがい知れる
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2010年11月12日(金)21:55 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市山王廃寺続編その3 |
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| その東側も、古墳時代の住居跡と柱穴の跡が検出されている
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| 別角度
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| そのまたさらに東側
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| 別角度
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| 東端から突き出しているコンクリは、近代の養蚕施設のものであるらしい
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2010年11月9日(火)20:33 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市山王廃寺続編その2 |
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| 平成9(1997)年と同11(1999)年の調査で、塑像が大量に出土した地点 特に目新しい情報でもないのだが、今回の現地説明会ではしっかりと表示されていた そもそもは、下水道の工事の際に調査したものであるらしい
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| 6世紀中頃に噴火した榛名山の軽石が混ざっていたことから、同時期の住居跡と見られる遺構が見つかっている 住居跡であるという割に、馬の歯が見つかっているというのが興味深い
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| 南東より見る
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| 住居跡からは、カマドの遺構も見つかっている
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2010年11月5日(金)21:03 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市山王廃寺続編その1 |
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| 前橋市山王廃寺 前橋市総社町にあった古墳・律令時代の寺院跡である
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| 今年10月23日に現地説明会が行われた際に、見学してきた これは今回の調査で出土した瓦
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| 布目に、シワの跡がくっきりと浮き出ているのが興味深い
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| 3年前にも見学しているが、今回の出土品展示は瓦ばかりであった
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| 調査が終わった個人宅の庭 今回、掘立柱建物跡と集瓦遺構が見つかっている
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2010年11月2日(火)20:59 | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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前橋市東公田古墳 |
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| 前橋市東公田古墳 前橋市嶺町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 1982(昭和57)年、群馬県道34号渋川大胡線の改良工事に際し、群馬県教育委員会によって調査がなされており、報告書では「墳丘の北半分ほどがすでに削平されて」いる「直径14m前後の円墳であろう」とある
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| 報告書に記載された写真を見る限り、このコンクリート塀に塞がれるかたちで石室が現存するようだ また、土地の所有者は「先祖塚」と呼んでいたが、所在地名の小字から東公田(ひがしくでん)古墳と名付けられたとも書かれている
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| 近付いてみると、今も墳丘の南半分がしっかり現存するのが分かる 本古墳は「周堀は存在しない」とも報告されているが、地形図を見ると僅かに斜面がちな場所に占位しており、山寄せに構築したのではないかとも思えてくる
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2010年8月3日(火)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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勢多郡下川淵村第1号浅間神社古墳 |
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| 勢多郡下川淵村第1号浅間神社古墳 現在の前橋市横手町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長140尺(約42.4m)、前方部の高さ6尺(約1.8m)、後円部の高さ20尺(約6.1m)とある
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| 墳頂部には浅間神社を祀っている 綜覧では「石槨露出湟阯ヲ存ス」とあり、また前方後円墳集成でも横穴式石室の存在が記載されており、確認しようとしたが、所有者が留守だったために分からずじまい
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| 群馬県遺跡台帳によれば「前方部は大半破壊され、その現状をとどめず後円部は東南方と南方部が崩されている」とあるが、その後前方部は道路になり消滅した
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| 北北東より見る 分断された墳丘の断面形状がよく分かる
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| 道路の北には怪しげな土盛りも残っている 石祠を載せているあたり、どうも前方部の残滓の可能性を感じるが・・・?
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2009年5月13日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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佐波郡上陽村第34号経塚古墳その2 |
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| 本古墳の所有者の方にも話を伺うことができた 現在、墳丘上には桜の木が植わっているが、終戦直後までは樹齢何百年かの松の大木があったとのこと 終戦前夜の空襲で佐波郡宮郷村(現伊勢崎市)の学校が焼失し、再築の際に切り倒して木材を提供したそうである
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| 墳丘の周りは一面麦穂の海となっているが、かつては桑畑であったとのこと その頃は墳丘の裾が少しくぼんでいたということで、それが周堀の跡にあたるのだが、現在は埋まってしまっている 先々代にあたる方が墳丘を残す努力をされたらしく、その甲斐あって今もこうして墳丘を見ることができるのはありがたいことだ
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| 墳丘の南側には石垣があったとのことで、石室材かと思ったが、丸い石だったとの話から葺石と思われる 埴輪片などの出土は今もないようで、もしかしたら埴輪は並べられていなかったのかも知れない 前橋市指定史跡ということで、草刈りや周辺での農作業も含め、管理が大変だと奥様がこぼしておられたのが印象に残っている
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2009年5月12日(火)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
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