厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



前橋市

勢多郡荒砥村第1号古墳その1

勢多郡荒砥村第1号古墳
現在の前橋市荒子町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径99尺(約29.9m)、高さ13尺(約3.9m)とある



元々は木々が生い茂っていたそうであるが、宅地開発のため周辺を含めきれいに整地され、古墳の姿を拝めるようになった


とはいえ、墳丘上には竹を伐採した跡が見受けられ、恐らく封土は竹の根に侵食されているものと思われる


墳丘の裾部付近に、コンクリ片が積み上げられているあたりに、石室があるものと推測される
綜覧にも「石槨現存」と記載されているが、現状では確認できなかった



2008年9月7日(日)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第9号大塚古墳・勢多郡桂萱村第66号二子塚古墳

勢多郡桂萱村第9号大塚古墳
現在の前橋市東片貝町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ190尺(約57.8m)、前方部の高さ8尺(約2.4m)、後円部の高さ23尺(約6.9m)とある



石室部分
言われないと分からないほど改変されてしまっている
墳丘自体は後円部がよく残っているが、前方部はだいぶ削られ片貝神社の社殿が載っかっている



勢多郡桂萱村第66号二子塚古墳
現在の前橋市堀之下町にある前方後円墳で、綜覧では全長241尺(約73.0m)、前方部の高さ23尺(約6.9m)、後円部の高さ26尺(約7.9m)とある



綜覧に「一名正円寺塚」と記載されているとおり、墳丘南側には正円寺というお寺が建っている
明治2年に発掘され、直刀、鉄鏃、人骨が見つかっているのだが、後円部に初期の横穴式石室、くびれ部に竪穴式石槨を有する珍しい形態を持つ



2008年9月6日(土)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第58号ほっこし塚古墳

勢多郡桂萱村第58号ほっこし塚古墳
現在の前橋市荻窪町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径72尺(約21.8m)、東西の大きさ53尺(約16.1m)、高さ8尺(約2.4m)とある



樹木の陰になっており、ちょっと気付きにくい場所にある
実質、冬場にしか見られないと言ってもよい感じ



綜覧によれば2尺3寸(約69.7cm)の長刀が出土しているとのことである


夏場の本古墳周辺の状況
墳丘自体は中央の一段と背の高い木の下にあるのだが、下草も多くて見通しが利かない状態である



2008年9月5日(金)21:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第57号古墳

勢多郡桂萱村第57号古墳
現在の前橋市荻窪町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ30尺(約9.1m)、高さ3尺(約0.9m)とある



本古墳は荻窪神社の社殿裏にあるのだが、大正年間に社殿の改築があり、その際に墳丘を大きく削り取られてしまっている


そのため、外からは墳丘が残っているようには見えないが、確かにその名残があった
ただし、群馬県文化財情報システムのプロット位置がずれているので注意



2008年9月4日(木)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第52号薬師塚古墳

勢多郡桂萱村第52号薬師塚古墳
現在の前橋市亀泉町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ56尺(約16.9m)、高さ10尺(約3m)とある



説明看板は半分がどこかへ消えてしまい、残った部分もこのとおりボロボロになってしまっている
消えてしまった部分も補うと、こういう文章になる


薬師塚古墳(やくしづかこふん)
前橋市亀泉町字西前原にある。
1973年に土地改良事業に伴って前橋市教委が調査した。
寺沢川右岸段丘上の基盤層を堀込んで構築された直径20m、高さ3.5mの円墳で、
一部に葺石がある。埋葬施設は安山岩自然石積の袖無(そでなし)型横穴式石室で、
玄室は長さ2.35m、奥幅1.1m高さ1.5mの大きさである。天井石は奥から3石、
2.85mまでは残っていたがほかは破壊されていた。
石室床面は15cmほどの厚さで玉石を敷き詰めていた。墳頂部から須恵器大甕
(すえきおおがめ)と碗(わん)、石室内から直刀4、刀子(とうす)1、耳環(じかん)6、
管玉2、小玉10、鉄鏃(てつぞく)、馬具破片などが出土し、石室奥壁から60cmの
ところで骨粉が玉とともに出土した。
6世紀初頭ころの構築と考えられる。
出土品は前橋市教委に保管されている。 〈井上唯雄〉
[文献] 「薬師塚古墳発掘調査報告書」
      前橋市教委1973(昭和48年)



現在の石室残存部分
石室入口というわけではないということであるが、それにしても他の石室材はどこへ行ってしまったのだろう



外から見る奥壁部
封土もなく、露出している石室以外には古墳としての面影はあまりない感じ



2008年9月3日(水)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡南橘村第6号丑子塚古墳・勢多郡桂萱村第51号新田塚古墳

勢多郡南橘村第6号丑子塚古墳
現在の前橋市上細井町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では径148尺(約44.8m)、前方部の高さ13尺(約3.9m)、後円部の高さ10尺(約3m)とある



とはいえ、現在墳丘は藪に覆われ、墳形すら確認できないほど
綜覧には「石槨ヲ存ス、入口破損セルヲ以テ入ルヲ得ズ」とあるのだが、その崩壊した石室入口もどこにあるのやら、さっぱり分からない状態であった



勢多郡桂萱村第51号新田塚古墳
現在の前橋市上泉町にある円墳で、綜覧では大きさ155尺(約46.9m)、高さ15尺(約4.5m)とある



墳形の違いはあるが、墳丘の西に道路があり、緑に覆われているあたりは、綜覧勢多郡芳賀村第48号オブ塚古墳とよく似た立地である
ただし、本古墳は主体部未発掘とされている



説明看板
ちなみに「桂萱」は「かいがや」と読む
しかしこの新田塚(にったづか。しんでんづかではない)という名の由来は何なのだろう・・・



2008年9月2日(火)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡芳賀村第48号オブ塚古墳

勢多郡芳賀村第48号オブ塚古墳
現在の前橋市勝沢町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では前方部の径66尺(約19.9m)、後円部の径155尺(約46.9m)、前方部の高さ7尺(約2.1m)、後円部の高さ16尺(約4.8m)とある



説明看板
ここに書かれた大きさを見ると、綜覧記載の後円部の径とは直径ではなく円周のことかとも思えるのだが、実際どうなのだろう
あるいはただの誤記誤植か・・・



石室入口
かつては自由に見学出来たようだが、現在は柵が設けられ、石室への立ち入りが出来なくなっている



その柵越しに撮影した石室内部
綜覧には「皇子ノ墳墓及火雨伝説アリ」とあるが、どこの何という皇子のことなのやら・・・
ちなみに「オブ塚」とは「大塚」の転訛と聞いたことがある



2008年9月1日(月)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡芳賀村第11号大日塚古墳・勢多郡芳賀村第14号社口塚古墳

勢多郡芳賀村第11号大日塚古墳
現在の前橋市五代町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ100尺(約30.3m)、高さ不詳とある



東から見ると、前方後円墳であることが分かる・・・はずなのだが、見た目とは逆に、後円部に見える部分が実は前方部であるらしい


墳丘を失った、後円部であったと思われる部分には、藪と化した草に埋もれるようにして、横穴式石室の石室材が散乱している
綜覧には「彦狭島王ノ墳墓ト伝フ」と書かれているが、実際どうなのだろうねぇ・・・



勢多郡芳賀村第14号社口塚古墳
現在の前橋市五代町にある前方後円墳で、綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、前方部の高さ5尺(約1.5m)、後円部の高さ13尺(約3.9m)とある
どうやら現在は、五代神社入り口の階段部分の石垣の下に埋もれているようで、石垣の中に残された切り株の隙間からそれと思しき盛り土がわずかに見える



2008年8月31日(日)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡芳賀村第1号吉祥寺塚古墳跡

勢多郡芳賀村第1号吉祥寺塚古墳跡
現在の前橋市鳥取町にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ132尺(約39.9m)、高さ不詳とある



現在墳丘は完全に削平された状態であるが、まいぶん群馬のHPの発掘最新情報「胴城遺跡」7月分で紹介されているとおり、馬蹄状に巡る周堀が発見されている
ただし、現在は埋め戻され、このとおり見学不能



胴城遺跡発掘現場の担当者の話では、周堀が馬蹄形であるということで、古墳自体は古い時期のものである可能性があるとのことであった
また、主体部も境界線の向こうであるようで、調査はできていないとのこと



最初、場所を示されたときはこの藪のなかに主体部が・・・とも一瞬思ったのだが、そうではなく、墳丘に当たる部分にまたがって植わっているらしい


2008年8月30日(土)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡上川淵村第1号古墳

勢多郡上川淵村第1号古墳
現在の前橋市上佐鳥町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ87尺(約26.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある



春日神社の裏にある古墳であるが、現在その高さはだいぶ失われており、古墳があったようには見えなくなりかけている
しかし、ここのすぐ東側にある上川淵地区郷土民俗資料館の方に伺った話では、昔は確かにもっと高さがあったとのことであった



石祠や石塔などが建っているが、ここが古墳であることを知っていること人間は、ほとんどいなくなってしまったようである
ある意味、忘れられた古墳といえるのかも知れない



その上川淵地区郷土民俗資料館に建つ石碑の台座の石
聞いた話では、綜覧勢多郡上川淵村第2号荒神様古墳の石室材で、綜覧にも「石槨蓋石ラシキモノアリ」と記載されているものであるらしい



館内2階にある金冠塚古墳(綜覧佐波郡上陽村第14号二子山古墳)調査概報付録の古墳分布図拡大コピー
現在の前橋市広瀬町・山王町の地図にプロットされた古墳分布図であるが、綜覧記載漏れのものを含め非常に数多くの古墳があったことが分かる



2008年8月29日(金)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


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