佐波郡玉村町向田遺跡その7 |
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| 復旧痕 天明3(1783)年の浅間山噴火の際の遺構
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| 遺跡の西側部分は、ほとんどが古代の溝の遺構
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| しかし、諸事情で全ての遺構が調査されなかったことは惜しまれる
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| 遺跡の西側部分より東側部分を見る
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| 南より見る
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2011年5月13日(金)21:33 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その6 |
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| 遺跡の東端に位置する、石敷地業建物跡
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| 1号から3号までの地業面が見つかっているが、重複しているため、建て替えがあったと見られている
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| 2号は1号の地業層を再利用、竪穴も再利用という状況 いったいどんな状態があって、建て替えられたのだろう
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| 遺跡内にまとめて置かれていた出土品
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2011年5月10日(火)18:20 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その5 |
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| 遺跡の中心付近 建物が何度も建て替えられた跡が分かる
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| 13号掘立柱建物跡 中世の屋敷跡の遺構としては、その中心となる主屋の可能性があるらしい
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| 4号掘立柱建物跡 ピットが輻輳していて、どれがどれだかさっぱりつかめない
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| 9号掘立柱建物跡 10号、11号掘立柱建物跡も重なっており、だいぶ建て替えられたようだ
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| 21号掘立柱建物跡の東端から、31号溝 この辺りはどういった性格のものなのか分からないピットが多い
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2011年5月6日(金)21:54 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その4 |
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| 6号溝 ここからは小型の礫が出ている
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| その北にある1号井戸と4号井戸
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| この1号井戸からも礫が出ているが、こちらは埋め戻された形跡があるらしい
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| そこから見て北東に位置する3号掘立柱建物跡 これは古墳時代前期のものらしい
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| 周囲は時代が重複している箇所も多く、報告書を見ても素人目にははっきり分からない部分だらけだ
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2011年5月3日(火)21:57 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その3 |
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| 2号溝 これも中世の遺構
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| 3a号溝
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| さらにその手前、3b号溝と3b号土橋 3a号溝と3b号溝で幅が違い、また溝が廃絶されたあと、建物跡が溝をまたぐように建てられていたというのが興味深い
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| 4号溝と5号溝
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| さらにその先 溝の右には井戸も掘られている
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2011年4月29日(金)22:05 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その2 |
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| 1号溝
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| これも中世の遺構で、1号土橋から北の方向へ伸びている
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| この日は午前中が雨だったため、溝に水が溜まっている
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| この周辺からは、遺物が多く出たらしい
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| ここで溝は東へカーブしていくが、遺構全体での囲繞状況は分からなかったようだ
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2011年4月26日(火)20:41 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町向田遺跡その1 |
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| 佐波郡玉村町向田遺跡 佐波郡玉村町上茂木にある古墳時代と中世を主とした遺跡である
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| 遺跡名は地名の小字によるもので、「むこうた」と読む 平成21(2009)年3月20日に現地説明会が行われており、その際に撮影してきた
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| 1号土橋 中世の屋敷跡の遺構で、上部に円礫があるが、基本的には土で固められている
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| 2号土橋 これも同じように中世の遺構であるが、円礫はこちらのほうが多い
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| 現地説明会での見学時、どうも石の様子が気になったので聞いてみたところ、やはり工具痕があり古墳の石室材や葺石を転用している可能性があるとのこと 円礫に混じって、緑泥片岩も見られたが、板碑由来のものではなさそうだ
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2011年4月22日(金)20:50 | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡芝根村第5号二ッ子山古墳 |
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| 佐波郡芝根村第5号二ッ子山古墳 現在の佐波郡玉村町川井にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ18尺(約5.5m)とある
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| 綜覧では「二ッ子山」とあるのになぜか円墳とされているが、群馬県遺跡台帳の佐波郡玉村町、川井古墳群の項では前方後円墳となっている
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| 所在地の小字が「伊勢塚」というのが気にかかる 本古墳の北東約300mの地点にあった綜覧佐波郡芝根村第7号稲荷山古墳(消滅)も、「松塚」という小字となっていてこちらも気になるところ
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| 墳丘はコンクリ要塞化された墓地となっているが、その南西側には古墳としての面影がかいま見られる しかし、台帳記載の角閃石安山岩はどこへ行ってしまったのやら
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| 北東側もゆったりとカーブしている
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2009年5月27日(水)23:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町少林山古墳 |
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| 佐波郡玉村町少林山古墳 佐波郡玉村町箱石にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 玉村町の遺跡台帳ではNo.195遺跡として載っている 前方後円墳集成では箱石少林山古墳の名で載っているが、前方後円墳であるということ以外にほとんど情報が書いてない
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| 北より見る 墳丘が西側へ延びているように見えるが、これは自然堤防であって墳丘ではないとのこと 玉村町教育委員会で拝見した遺跡地図には、主軸が南北方向(つまり画像とは角度が直交する)に書き込まれていたのだが、お話を伺う限りはっきりとそう分かっているわけではないらしい
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| 墳頂部 お堂の裏には石祠がぽつんとあるだけだった
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2009年5月26日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町第33号古墳改訂版その2 |
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| 西より見る 墳丘南側が石垣ですっぱりと断ち切られているのが分かる
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| 真新しい鳥居と祠 社殿の代わりに祠を建てることを改築と言っていいのかどうは知らない
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| 階段も新設された かつてはここまで石垣が続いており、その端に階段がひっそりと置かれていたがなかなかに立派なものとなった
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| 墳頂部 祠の向こうには大正5(1916)年の霜害に関する記念碑が建つ しかし群馬県遺跡台帳では「径10m~15m高さ1.5mの円墳で、お堂がまつられ、可成り平夷がすすむ。」とあり、本来の墳頂部ではないようだ
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| その西側は庚申塔だらけであった
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2009年5月25日(月)21:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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