厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2011年7月を表示

勢多郡新里村第4号古墳その1

勢多郡新里村第4号古墳
現在の桐生市新里町武井にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ14尺(約4.2m)とある



民家の敷地内に位置するが、公道からも墳丘を見ることができる


何も知らずに通りかかっても、「あれ?」とすぐに気付けるような存在感がある一基


雪の日


これでも、現在残っている墳丘の規模はそんなに大きくないのだが、写真で見るとずいぶん大きく見えてしまうのはなぜだろう


2011年7月29日(金)22:51 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第2号古墳・勢多郡新里村第3号古墳

勢多郡新里村第2号古墳
現在の桐生市新里町武井にあった円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ46尺(約13.9m)、南北の大きさ48尺(約14.5m)、高さ11尺(約3.3m)とある



勢多郡新里村第3号古墳
現在の桐生市新里町武井にあった円墳で、綜覧では東西の大きさ53尺(約16.1m)、南北の大きさ56尺(約16.9m)、高さ8尺(約2.4m)とある



それぞれ、城古墳2号・3号もしくは武井5号墳・6号墳と呼ばれており、20年近く前までは墳丘が僅かに現存していたが、地主が勢多郡新里村教育委員会に黙って削平、村教委が気付いたのは、封土も石室材も何もかも業者が搬出してしまったあとだったという


ただ、墳丘は失ったものの、削平されたのは現地表面だけだということで、畑の下にはまだ周溝部が埋没した状態で残存しているらしい


手前には怪しげな石がごろごろしているが、桐生市教育委員会の方の話では「業者が全部持っていったから、それはよその石である」とのこと
余談ながら、当時の地主は、本古墳を削平してからほどなく、持病で急死したそうである



2011年7月26日(火)20:16 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その4

7号竪穴状遺構


これらの竪穴は、ほぼ同一の角度で傾いて掘られている


その掘り込みも深く、地表からは約1.3mも下まで掘られているとのこと


反対側


現地説明会では「現状でははっきりとした用途は不明」としながらも、幢竿遺構である可能性を強調していた
幢竿遺構といえば、武蔵国分寺や上総国分寺、平城宮大極殿前などからも見つかっており、ここが何らかの儀礼空間であったと思われる
古代上野国の時代、この地にどんな建物があったのか、興味は尽きない



2011年7月22日(金)21:45 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その3

44号掘立柱建物跡


周辺には、重機による撹乱の跡がおびただしい


この遺構の手前にあるのが、溝状遺構


この溝は、区画と考えられているらしい


残土の中には多くの瓦の破片が見受けられたが、これはかつてここに建っていた小学校体育館のものであるようだ


2011年7月19日(火)21:32 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その2

41号掘立柱建物跡


現地説明会で配布された資料では「全容不明」としながらも「柱穴の大きさや柱間などからかなり大型の建物であったと推定される」とある


43号掘立柱建物跡


布掘り工法で柱穴が作られているとのこと


周辺にコンクリート片が多いのは、以前ここに、小学校の体育館が建っていたからであるそうだ


2011年7月15日(金)22:26 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

伊勢崎市三軒屋遺跡第16次調査2区その1

伊勢崎市三軒屋遺跡
伊勢崎市上植木本町にある遺跡である



第16次調査の現地説明会が行われた際に、見学してきた
これは11号竪穴建物跡
遺跡自体は律令時代のものだが、これは古墳時代のものであるらしい



12号竪穴建物跡


北より見る


遺構の東側は撹乱されている


2011年7月12日(火)21:09 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

新田郡沢野村第103号古墳その2

墳頂部には、御嶽神社の社殿が載る


前方後円墳集成によれば、主体部は横穴式であるらしい


墳丘東側は、だいぶ削りとられている


断面も、大きなサイズである


春、墳丘北側の桜がとてもきれいだった


2011年7月8日(金)19:52 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡沢野村第103号古墳その1

新田郡沢野村第103号古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市高林町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ196尺(約59.4m)、後円部の高さ24尺(約7.3m)とある



こちら側からだと、樹木で隠されていてよく見えないが、前方部は確かに西方へ延びている
この辺りは東矢島古墳群とも称される大古墳群があったが、現存する墳丘はごく僅かとなってしまった



鳥居脇に建つ石碑


北側に回ると、墳丘のかたちがよく分かる


雪の日のほうが、より分かりやすい気がする


2011年7月5日(火)20:44 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡沢野村第46号朝子塚古墳その4

墳丘脇を走る国道354号線から見ると、後円部が異様にでかいのが分かる


そのでかさは、この構図で見るとよく分かる


特に西側から見ると、そのこんもりとした様子で、墳丘の存在に遠くからもすぐ気付く


後円部の端には、こんな面白いものもあったり・・・


後円部墳頂部には、雷電神社の社殿が載る


2011年7月1日(金)20:40 | コメント(0) | 太田市 | 管理


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