厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年9月を表示

多野郡平井村第585号古墳(推定)その2

群馬県遺跡台帳に「乱石積み羨道なし、天井石2枚、現在奥壁より一枚は自然石」とあるとおり、かろうじて石室の一部が現存している


最近の様子
手前に転がる石も天井石だろうか



別角度


葺石らしき石も散見できた


上より見る


2009年9月30日(水)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第585号古墳(推定)その1

多野郡平井村第585号古墳(推定)
現在の藤岡市三ツ木にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



群馬県遺跡台帳には「円墳、径東西11.3m、南北9.2m、高さ1m、玄室開口巾1.1m、長さ2m」とある
かつては猿田川に面した崖の上に位置していたが、長い年月を経るうちに崖そのものが後退し、墳丘の半分以上が崖の下に崩落してしまったようだ



平成20(2008)年3月


平成21(2009)年8月


皇子塚古墳や平井地区1号古墳を見に来た人の何割が、さらに2基の古墳がすぐ脇に眠ることに気付くだろうか
一見名もないようなこれらの円墳は、それぞれ平井地区2号北古墳(群馬県文化財情報システムでは古018とある)、平井地区2号古墳と名付けられている



2009年9月29日(火)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第584号古墳(推定)その2

今はふさがれてはいるものの、本古墳の横穴式石室は北を向いていた
群馬県内に於いて石室が北を向いているのは非常に珍しく、現在実際に見られるものとしては高崎市上小塙町の上毛古墳綜覧群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳が挙げられる



肝心の石室であるが、1993年に藤岡市教育委員会が発行した平井地区1号古墳範囲確認調査報告書Ⅷによれば「石室は基壇を掘り込んで構築された横穴式両袖型石室」とのことで、ここだけを読めば他の古墳と大きな差異はないように感じられる


しかしこの報告書の中には、見逃せない一文が記されている
「石室の構造で特記すべきことは、天井石が確認されなかったことである。また、玄室内の床面に多量の炭化物が見られ、特に側壁際に厚くみられたことである」
ということは、天井石ではなく木材による天井板が架け渡されていた可能性がある



他にも、埴輪の配列について「配置形態から考えると異質である」とあり、全体的にちょっと珍しい様式と言える
追葬も行われていたようで、隣接の皇子塚古墳よりは新しい時代のものということから、この2基の関係に関心が行くが、皇子塚古墳を中心に、まるで囲繞するかの如くに本古墳を含め7、8基以上の古墳が密集していたようだ



位置的にも、高崎市の山名地区や藤岡市の上落合地区がよく見える場所にあり、これらの地域との関わりを想像してみたくなる
なお本古墳の上毛古墳綜覧番号であるが、藤岡市では綜覧を参考にしてはおらず、群馬県遺跡台帳にも綜覧番号は記載されていないが「多野郡平井村第584号である可能性はあるが、藤岡市としては指定できない」とお話をいただいた
本古墳が現在、平井地区1号古墳と呼ばれているのはそのためである



2009年9月28日(月)22:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第584号古墳(推定)その1

多野郡平井村第584号古墳(推定)
現在の藤岡市三ツ木にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



説明看板


平成19(2007)年5月


平成20(2008)年3月


平成21(2009)年8月


2009年9月27日(日)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第580号皇塚山古墳その2

上毛古墳綜覧では、古墳名について「皇塚山又ハ皇子山」としている
白石古墳群調査報告書では「皇塚 一名皇子塚」とあり、いつの間にか現在の古墳名に変化したようだ



かつて石室が開口していたが、近年の史跡整備の際にふさがれたようだ
群馬県遺跡台帳には「奥室巾2.3m、長さ5m、前室巾2m、長さ2.5m、羨道5m、奥室切石積み、前室自然石積み」とあり、なかなか立派なものだったらしい



墳丘は、群馬大学の尾崎教授が「標式的な円墳ともいい得るもので、極めて美しい形をしている」と述べているほどにきれいなもので、藤岡市教育委員会の方に伺った話では、墳丘の復元整備はまったく施していないとのこと
それでいてこの形状を保っているのだから、実に驚きである



藤岡歴史館の駐車場より見る
手前では撮影当時、三ツ木東原遺跡の発掘中であった



その後の様子
毛野国白石丘陵公園の一部としての史跡整備がなされている



2009年9月26日(土)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第580号皇塚山古墳その1

多野郡平井村第580号皇塚山古墳
現在の藤岡市三ツ木にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ25尺(約7.6m)とある



説明看板


平成19(2007)年5月


平成20(2008)年3月


平成21(2009)年8月


2009年9月25日(金)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

藤岡市三ツ木東原遺跡

藤岡市三ツ木東原遺跡
藤岡市三ツ木にある古墳時代の遺跡である



発掘調査で、古墳の跡が何基か発見されているが、天災によるものか、人為的なものかは不明であるが、平安時代には墳丘が崩壊しているものがあるとのこと
奥の発掘作業員のいる辺りが、三ツ木東原遺跡K-1号古墳跡、手前の石の並ぶ辺りが三ツ木東原遺跡K-2古墳跡



三ツ木東原遺跡K-3号古墳跡
本古墳のみ、昭和54年の調査で「東原遺跡1号古墳」としてすでに存在が確認されていたらしい



現在はきれいに埋め戻されており、古墳の跡を確認することはできない


2009年9月24日(木)21:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第577号十二天塚古墳・藤岡市十二天塚北古墳

多野郡平井村第577号十二天塚古墳
現在の藤岡市白石にあった長方形墳で、上毛古墳綜覧では大きさ400尺(約121.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



藤岡市十二天塚北古墳
藤岡市白石にあった方墳で、綜覧記載漏れ



十二天塚古墳は、綜覧では前方後円墳とされていたのだが、昭和62(1987)年の発掘調査で前方部とされていたものが長軸36.8m、短軸26.8m、高さ2.6mの長方形墳と判明
そして後円部とされていたものが新たに十二天塚北古墳と命名され、こちらは長軸23m、短軸22m、高さ2.2mの方墳と判明している



北東より見る
こちらから見ると、わずかに墳丘が残っているように見えるが、白石古墳群調査報告書によれば「今は全く平夷されて、はたして前方後円墳であったと立証する確実な資料は得られない程で」、「土地の人は前方、後円の二部を別個の古墳と考えていた」のは、結局正しかったことになる



2009年9月23日(水)22:06 | トラックバック(0) | コメント(1) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第576号稲荷山古墳その2

後円部墳頂部


昭和10(1935)年に建てられた稲荷山古墳碑


見づらいが、稲荷社があったことを示す石碑もある


これらの石碑の建つ場所から周りを見ると、白石古墳群の円墳群がよく見える


2009年9月22日(火)21:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡平井村第576号稲荷山古墳その1

多野郡平井村第576号稲荷山古墳
現在の藤岡市白石にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ500尺(約151.5m)、前方部の高さ15尺(約4.5m)、後円部の高さ50尺(約15.2m)とある



説明看板


後円部
資料によってここまで墳丘の規模が異なる古墳もあまりないだろう
群馬県遺跡台帳では92.5m、白石古墳群調査報告書では92.3m、古墳巡りハンドブックでは140mとあるが、どうやら藤岡市としては175mで落ち着いた模様



後円部墳頂部より見る前方部
主軸を南西に向けた古式前方後円墳で、前方部が低いのがよく分かる



前方部墳頂部より見る後円部
昭和8(1933)年の発掘調査で、ずいぶんといろいろなものが出土しており、そのほとんどは東京上野の国立博物館に収蔵されている



2009年9月21日(月)23:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理


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