多野郡平井村第584号古墳(推定)その2 |
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| 今はふさがれてはいるものの、本古墳の横穴式石室は北を向いていた 群馬県内に於いて石室が北を向いているのは非常に珍しく、現在実際に見られるものとしては高崎市上小塙町の上毛古墳綜覧群馬郡六郷村第12号稲荷山古墳が挙げられる
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| 肝心の石室であるが、1993年に藤岡市教育委員会が発行した平井地区1号古墳範囲確認調査報告書Ⅷによれば「石室は基壇を掘り込んで構築された横穴式両袖型石室」とのことで、ここだけを読めば他の古墳と大きな差異はないように感じられる
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| しかしこの報告書の中には、見逃せない一文が記されている 「石室の構造で特記すべきことは、天井石が確認されなかったことである。また、玄室内の床面に多量の炭化物が見られ、特に側壁際に厚くみられたことである」 ということは、天井石ではなく木材による天井板が架け渡されていた可能性がある
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| 他にも、埴輪の配列について「配置形態から考えると異質である」とあり、全体的にちょっと珍しい様式と言える 追葬も行われていたようで、隣接の皇子塚古墳よりは新しい時代のものということから、この2基の関係に関心が行くが、皇子塚古墳を中心に、まるで囲繞するかの如くに本古墳を含め7、8基以上の古墳が密集していたようだ
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| 位置的にも、高崎市の山名地区や藤岡市の上落合地区がよく見える場所にあり、これらの地域との関わりを想像してみたくなる なお本古墳の上毛古墳綜覧番号であるが、藤岡市では綜覧を参考にしてはおらず、群馬県遺跡台帳にも綜覧番号は記載されていないが「多野郡平井村第584号である可能性はあるが、藤岡市としては指定できない」とお話をいただいた 本古墳が現在、平井地区1号古墳と呼ばれているのはそのためである
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2009年9月28日(月)22:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理
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