厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年5月を表示

佐波郡伊勢崎町第6号稲荷山古墳

佐波郡伊勢崎町第6号稲荷山古墳
現在の伊勢崎市華蔵寺町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ115尺(約34.8m)、高さ13尺(約3.9m)とある



群馬県道103号深津伊勢崎線の脇に位置し、群馬県遺跡台帳では「御嶽山古墳」とある


墳丘上には石造物が多く並ぶ
綜覧では曲玉、刀出土とあり、台帳でも埴輪片の存在が記されている



墳頂部
台帳によれば「北部で葺石の露出している部分が見える」とのこと



2009年5月31日(日)21:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡伊勢崎町第1号赤石山古墳

佐波郡伊勢崎町第1号赤石山古墳
現在の伊勢崎市三光町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ82.5尺(約24.9m)、高さ8.9尺(約2.7m)とある



墳丘上は赤石稲荷となっている
その階段の脇にはしっかりと墳丘が残っている



群馬県遺跡台帳には金蔵院古墳の名で載っており、「墳丘の2/3は広瀬川の侵食により崩壊し1/3程残存」とある
ただ、「洪水等により更に崩落のおそれがある」というところがやはり気にかかる



綜覧には「円筒破片」出土とある
江戸期寛政4(1792)年、伊勢崎藩家老関重嶷(せきしげたか)が著した「発墳暦」にも名が出てくるらしい



社殿の奥には台帳記載の「無縫塔数基」が確認できる


2009年5月30日(土)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡茂呂村第22号古墳その2

社殿の裏に回り込んでみる


本殿の載る部分が墳丘の一部ということか


道路が墳丘をよけるように湾曲しているのが分かる


比高自体は少しは感じられる
写真に撮るとその感覚が薄れがちだけど・・・



2009年5月29日(金)21:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡茂呂村第22号古墳その1

佐波郡茂呂村第22号古墳
現在の伊勢崎市南千木町にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



千本木神社の社殿裏に墳丘が残る
この周辺にはいくつかの古墳が集まって群をなしているが、群馬県遺跡台帳では「古墳の主体部は1つを残して他はほとんど破壊されている」とある



ところで、千本木神社には上杉謙信が立ち寄ったという伝承があるらしい


2009年5月28日(木)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理

佐波郡芝根村第5号二ッ子山古墳

佐波郡芝根村第5号二ッ子山古墳
現在の佐波郡玉村町川井にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ18尺(約5.5m)とある



綜覧では「二ッ子山」とあるのになぜか円墳とされているが、群馬県遺跡台帳の佐波郡玉村町、川井古墳群の項では前方後円墳となっている


所在地の小字が「伊勢塚」というのが気にかかる
本古墳の北東約300mの地点にあった綜覧佐波郡芝根村第7号稲荷山古墳(消滅)も、「松塚」という小字となっていてこちらも気になるところ



墳丘はコンクリ要塞化された墓地となっているが、その南西側には古墳としての面影がかいま見られる
しかし、台帳記載の角閃石安山岩はどこへ行ってしまったのやら



北東側もゆったりとカーブしている


2009年5月27日(水)23:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理

佐波郡玉村町少林山古墳

佐波郡玉村町少林山古墳
佐波郡玉村町箱石にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



玉村町の遺跡台帳ではNo.195遺跡として載っている
前方後円墳集成では箱石少林山古墳の名で載っているが、前方後円墳であるということ以外にほとんど情報が書いてない



北より見る
墳丘が西側へ延びているように見えるが、これは自然堤防であって墳丘ではないとのこと
玉村町教育委員会で拝見した遺跡地図には、主軸が南北方向(つまり画像とは角度が直交する)に書き込まれていたのだが、お話を伺う限りはっきりとそう分かっているわけではないらしい



墳頂部
お堂の裏には石祠がぽつんとあるだけだった



2009年5月26日(火)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理

佐波郡玉村町第33号古墳改訂版その2

西より見る
墳丘南側が石垣ですっぱりと断ち切られているのが分かる



真新しい鳥居と祠
社殿の代わりに祠を建てることを改築と言っていいのかどうは知らない



階段も新設された
かつてはここまで石垣が続いており、その端に階段がひっそりと置かれていたがなかなかに立派なものとなった



墳頂部
祠の向こうには大正5(1916)年の霜害に関する記念碑が建つ
しかし群馬県遺跡台帳では「径10m~15m高さ1.5mの円墳で、お堂がまつられ、可成り平夷がすすむ。」とあり、本来の墳頂部ではないようだ



その西側は庚申塔だらけであった


2009年5月25日(月)21:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理

佐波郡玉村町第33号古墳改訂版その1

佐波郡玉村町第33号古墳
佐波郡玉村町上之手にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ102尺(約30.9m)とある



本古墳は、昨年6月28日に一度掲載しているのだが、最近大きく景観が変わったので、改訂版として改めて撮影し直した


以前は墳丘全体が雑草に覆われていたのだが、墳頂部に載る若王子(やこうじ)神社の改築に伴い、すっきりとした姿になった


とはいえ、その際に墳丘をちょっと整形したように思えるのだが・・・


玉村町教育委員会に確認したところ、この改築に際しての発掘調査はなされていないとのこと


2009年5月24日(日)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理

佐波郡玉村町第27号古墳

佐波郡玉村町第27号古墳
佐波郡玉村町角淵にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ15尺(約4.5m)とある



周囲は墓地であるが、そのまた周辺を宅地に囲まれているため、なかなか気付かない場所にある
比高も割とあるのだが・・・



佐波郡玉村町26号古墳と隣接しており、正直言ってどちらが何号古墳か把握できていない
古墳名は埼群古墳館さんの表記に従ったが、佐波郡玉村町教育委員会発行の小泉大塚越遺跡の報告書では逆に記されている



墳頂部
石祠がぽつんと置かれている



2009年5月23日(土)21:17 | トラックバック(0) | コメント(2) | 佐波郡玉村町 | 管理

佐波郡玉村町第26号古墳

佐波郡玉村町第26号古墳
佐波郡玉村町角淵にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ84尺(約25.5m)、高さ15尺(約4.5m)とある



綜覧には発掘歴無とあり、出土品についてもまったく記載されていない


墳丘西側に、石造物が集められている


隣接する佐波郡玉村町第27号古墳の墳頂部より見る
周辺を含め墳丘が墓地化されてはいるが、割合によく原形をとどめているといった印象



コンクリで改変されてないからそう感じるだけなのかも知れないが・・・


2009年5月22日(金)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理


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