厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年1月を表示

埼玉県深谷市皿沼西遺跡その4

出土品


古墳時代のものがあると、やはりそちらに目が行く


それにしても、こうした展示は本当にありがたいものである
ただ遺構を見るだけでなく、そこに何があったのかを知ることができる



初めての県外での現説で、そんなことを考えていた


2009年1月31日(土)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県深谷市皿沼西遺跡その3

遺跡の東側は畠の跡が見つかっている


反対側から見ると・・・ナスカの地上絵みたいな感じがした


ちゃんとした跡も出ている
右奥は赤城山、左奥には白く谷川連峰も見えている



天仁元(1108)年に噴火した浅間山の火山灰が積もった層


2009年1月30日(金)21:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県深谷市皿沼西遺跡その2

一部の竪穴式住居では、床面から噴砂の跡が確認されている
大地震が起きたときに、地下の砂の層が液状化し、地割れした箇所から地表に出てきたもので、資料によれば弘仁9(818)年か元慶2(878)年のものである可能性があるようだ



4号掘立柱建物跡


その南の遺構
白線を見ていると、何だか中南米あたりの遺跡にありそうな模様に見えてきた



建て替えの痕跡のある掘立柱建物跡


井戸の跡も見つかっている


2009年1月29日(木)21:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

埼玉県深谷市皿沼西遺跡その1

埼玉県深谷市皿沼西遺跡
深谷市上敷免字皿沼にある古墳・律令・平安時代の遺跡である
太田市上野国新田郡庁跡と同じ日に現地説明会が行われたので、見学してきた



竪穴式住居跡
現地説明会の際にいただいた資料を見る限り、番号は振られていないようだ
左に重なっている赤線が12号竪穴式住居、右側に重なっている赤線が11号竪穴式住居跡



この遺跡では、かまどの向きはほとんどが北向きであった


しかし中には、切り欠きがないのにかまどが設置されていた住居もあったようだ
資料では、ここも番号が振られていない



ここのかまどは、やや南よりの西側
先ほどの住居とはちょっと時期が異なるのかも知れない



2009年1月28日(水)22:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 埼玉県 | 管理

太田市上野国新田郡庁跡その4

3号礎石建物跡
大きさは8m×10.5m
ここと4号礎石建物跡の周囲から多量の炭化米が出土しており、失火か放火かは不明ながらも、正倉が炎上したことを物語っている



5号掘立柱建物跡
3号礎石建物のすぐ南側に、重なるように建てられていた
柱穴の配置から、八角形の建物と推定されている
上野国内の郡庁の建物としては2例目の発見である



4号礎石建物跡
大きさは7.2m×10.5m
2号礎石建物と同一の数字である



3号礎石建物と同様に、掘り込み地業の正倉と見られている


2009年1月27日(火)22:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市上野国新田郡庁跡その3

史跡としての国指定地の西からも、新田郡庁の遺構は見つかっている
これはその1号礎石建物跡



大きさは6.3m×9m
正倉の跡と見られている



西から見る


2号礎石建物跡
壷地業の正倉跡とのことである



大きさは7.2m×10.5m


2009年1月26日(月)22:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市上野国新田郡庁跡その2

前殿と見られる10号掘立柱建物跡
時期としては1号礎石建物と同じ頃のものらしい



その先には石敷き通路がある


こちらのほうは、9号掘立柱建物が正殿だった頃のものと見られている
西側、画像でいう右奥は残念ながら撹乱されていていた



南から見る
この石敷き通路の先に前殿があり、そしてその向こうに正殿・・・
その時代の栄華に、胸を馳せてみる



2009年1月25日(日)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

太田市上野国新田郡庁跡その1

太田市上野国新田郡庁跡
太田市天良町にある律令期の郡庁跡で、以前は天良七堂遺跡と呼ばれていたが、2008年夏に「史跡上野国新田郡庁跡」として国指定史跡となっている
今回、2008年度の現地説明会が行われたので、見学してきた



白線が1号礎石建物跡
青線が9号掘立柱建物跡
どちらも郡庁の正殿と見られているが、先に9号掘立柱建物が建てられ、その後1号礎石建物に建て替えられている



建て替えの際、建物としての規模も拡大されているのが分かる


9号掘立柱建物跡の礎石


トレンチ断面


2009年1月24日(土)21:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 太田市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その5

明治期の煉瓦


「製免敷上」の刻印が見られる
上敷免とは当時の埼玉県榛沢郡上敷免村のことで、これらは現在の深谷市にあった日本煉瓦製造株式会社で作られた煉瓦である



こちらは「煉日」の刻印
当初、上敷免製と打たれていた刻印は、その後製造会社の略称である日煉へと変化する



これらの煉瓦が、10号溝の脇などから見つかっている


その向こうには、多くの煉瓦が積み上げられていたが、先ほどの煉瓦とは別のものとの話であった


2009年1月23日(金)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その4

出土した形象埴輪と須恵器


五輪塔と鉄滓


板碑と内耳付土鍋


内耳付土鍋とかわらけ


鬼瓦


2009年1月22日(木)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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