厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



勢多郡富士見村

勢多郡富士見村第16号古墳その2

後円部より見る前方部


前方部より見る後円部


石室入口
近年フェンスが設置されたようで、内部の見学はできなくなっている



後円部墳丘上より見下ろす石室入口


2009年3月21日(土)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

勢多郡富士見村第16号古墳その1

勢多郡富士見村第16号古墳
勢多郡富士見村にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ40尺(約12.1m)、高さ30尺(約9.1m)とある



・・・が、この説明看板を見ると、数字がまったく違っている
まぁ、綜覧では円墳だとされているのもあるかもしれないが・・・



前方部


後円部


2009年3月16日(月)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

勢多郡富士見村第25号古墳

勢多郡富士見村第25号古墳
勢多郡富士見村時沢にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さは56尺(約16.9m)とある
(この高さは明らかに誤記もしくは誤植である)



北東より見る
墳丘の全体を見渡すことは事実上不可能
墳丘の北側には道路に面して塀が建ち、その道路の向かいにあるのが綜覧勢多郡富士見村26号古墳
この位置からの本古墳は、肉眼では見られるものの、写真に撮るのはなかなかにつらい



個人宅の裏手にあり、南側から墳丘にたどり着けるものの、こちら側は墓地となっている
墳丘の南東には石段があり、墳丘上に登れる



石室入口は未開口ながら、天井石は失われているため、まるで古代ローマの入浴施設のか何かの遺構のようにも見える
本古墳は群大の尾崎教授によって調査されており、所在地名(富士見村時沢字鎧塚)から鎧塚古墳と名付けられている
その調査では、径18.5m、高さ3.1m、入口未開口のため石室全長は不明ながら、転びを持つ横穴式両袖型自然石乱積と判明
なお、玄室内の長さは3.4m、幅1.95mとのこと



結局、綜覧勢多郡富士見村第26号古墳のある諏訪神社の境内から、雪の日に見るのが一番よく見えるというオチ
尾崎教授の著書によれば、このあたりは白川古墳群という名があり、昭和10年の一斉調査に漏れたもので痕跡の認められるものはすこぶる多いとのこと



2008年5月21日(水)23:00 | トラックバック(0) | コメント(2) | 勢多郡富士見村 | 管理

勢多郡富士見村第26号古墳

勢多郡富士見村第26号
勢多郡富士見村時沢にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ40尺(約12.1m)、高さ10尺(約3m)とある



例によって雪の日
墳丘のかたちがはっきり分かる



北西側から見る
裏側から見るとしっかり残っているように見えるが・・・



墳丘の南側は諏訪神社の社殿に食われてしまい、三日月型になってしまっている
富士見村時沢地区の赤城白川東岸に位置する古墳としては、本古墳と綜覧勢多郡富士見村第25号くらいしか残っていないようだ



社殿裏、主体部にあたる部分
石室材と思われる石が数個露出している
綜覧にも「石槨現存」と記載されており、これらのことを指すものと思われる



2008年5月20日(火)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

上庄司原1号墳

少々、貼る順序が前後してしまったが、これが横室古墳公園である
入口から見える緑の小山が上庄司原1号墳、綜覧でいう勢多郡富士見村第8号で、2号墳石室と4号墳石室は入ってすぐ左手にある
背後の木々が生い茂る山は十二山といい、この山の北西の麓に初室古墳(綜覧第7号)があったはずなのだが、村教委の話によるとどうやら削平されたらしい



上庄司原1号墳とその説明看板
以前訪れたときは、このように草ぼうぼうだったのだが・・・



今回訪れたときは、これこのとおり
前庭部もはっきり分かる



ちなみに雪の日はこんな感じ
墳丘の段になった場所には雪が積もらず、かたちがよく分かる



石室内部
輝石安山岩の自然石乱石積で、中央上に見えるのが楣石(まぐさいし)
石室全長は右壁が6.62m、左壁が6.5m
奥の玄室は奥幅が2.12m、中幅が2.22mとごくわずかに胴張り型

撮り終えて顔を上げたらすぐ横に小さなトカゲがいてびっくりしたのは内緒だw



2008年4月22日(火)19:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

上庄司原補遺

先日書いた、上庄司原の古墳群について、疑問点があったので富士見村教委に確認しに出向いた結果、2号墳は綜覧第9号と判明した
そうなると、大正7年に発掘されていたことになる・・・その割によく遺物が残っていたものだと思う
ついでに石室も撮り直してきたが、きれいな削り石だ



その2号墳石室と、覆い屋根のかかった4号墳石室
4号墳は綜覧第11号と判明、こちらは大正14年に発掘されている
この綜覧第11号、「石槨アリシモ今ハ亡」と記載されているのだが、こうして残っている石室を見ていると、どういう状態をいうのか当時の人に話を聞きたくなる



その4号墳のかつての所在地の現況
この農地を見ていると、ここに古墳があったことすら分からない
そして右側のあたりには方形周溝墓が眠っているはずである



2008年4月22日(火)19:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理

上庄司原2号墳・4号墳

富士見村横室地区にある「横室古墳公園」
ここには1基の古墳が保存されているほか、2基の古墳石室が移設保存されている
この横室地区には、上毛古墳綜覧で9基(勢多郡富士見村第6号~第14号)の古墳の存在が記録されているのだが、看板に描かれた7基は、図で見てもどれがどれにあたるのか、まったく分からない状態だ



上庄司原2号墳・4号墳石室の説明看板
対比しながら見ていくと石室の進化が分かるというナイスな構造だが、どうせなら1号墳の石室の写真も並べてほしかった
ちなみにこの公園の裏にある道はよく出かけていた道で、当時は古墳公園の存在には全く気付かなかった



2号墳石室
奥壁に巨石を使っていないところが興味深いところ
この2号墳、上毛古墳綜覧をそのまま信用するのであれば、発掘(盗掘)無、石槨現存と記されている富士見村第8号かも知れない
古墳自体は周堀が馬蹄形に巡る円墳で、石室は角閃石安山岩の削石積
墳丘の規模は15mで、テラスを含むと28m。石室全長は右壁が5.85mで左壁が5.90mだったという



4号墳石室
覆い屋根があるせいか、ちょっと離れたところから見るとまるでキャンプ場の設備のように見えるが、そう見えてしまうほど、この角閃石安山岩(一部で輝石安山岩も使用)の截石切組積が立派な造りだとも言える
上毛古墳綜覧で石槨現存と記された富士見村第13号かとも思ったが、富士見村教委が発行した調査報告書では位置が大きく違い、別の綜覧記載古墳なのかも知れない
墳丘の規模は15~16m、石室全長は右壁が5.24m、左壁が5.20m
なお、この4号墳のすぐ東から、方形周溝墓(上庄司原西遺跡)が1基発見され、下庄司原東遺跡でも4基が発見されている



2008年4月20日(日)22:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 勢多郡富士見村 | 管理


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