厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2011年6月を表示

新田郡沢野村第46号朝子塚古墳その3

前方部


後円部


鞍部は小径となっており、大きくえぐれている


後円部墳頂部より見る前方部


前方部墳頂部より見る後円部


2011年6月28日(火)20:28 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡沢野村第46号朝子塚古墳その2

綜覧では「長慶帝御陵ト伝フ」とあるが、これはいくら何でも誤った伝承だろう


また「湟アリ」とも書かれているが、その痕跡はもはや明らかではない


かつてはこの周辺から周溝の跡が確認できたらしく、群馬県遺跡台帳にも「水田には、周湟の跡が認められ」たとある


雪の日の同アングル


その昔、周囲に水をたたえていたであろうその姿は、どんなものだったのだろうか


2011年6月24日(金)20:41 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡沢野村第46号朝子塚古墳その1

新田郡沢野村第46号朝子塚古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市牛沢町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ360尺(約109.1m)、前方部の高さ18尺(約5.5m)、後円部の高さ33尺(約9.9m)とある



説明看板


雪の日


春の日


初夏の日


2011年6月21日(火)21:05 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第61号古墳その2

確かに遺跡台帳の記述通り、墳丘はだいぶ削られてしまってはいるが、古墳としての面影はまだまだ残っている


北より見る


北東より見る


墳丘は馬蹄形に、ちょうど石室付近まで削り込まれている


その石室のあったであろう辺り


2011年6月17日(金)21:31 | コメント(0) | 太田市 | 管理

新田郡九合村第61号古墳その1

新田郡九合村第61号古墳
新田郡太田町を経て、現在の太田市東別所町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ7尺(約2.1m)とある



東日本大震災の影響で、神社境内の集会所に被害が出たものの、墳丘そのものは大丈夫だったようだ


さて、肝心の墳丘は、社殿裏に位置する


群馬県遺跡台帳では「長良神社境内にあり、直刀を出土す。神社造営のため変形し、原形をとどめない」とある


綜覧にはこのほか、「鐔(つば)、馬具」の出土も記録されている


2011年6月14日(火)21:35 | コメント(0) | 太田市 | 管理

藤岡市中大塚縄文時代敷石遺構

藤岡市中大塚縄文時代敷石遺構
藤岡市中大塚にある縄文時代の遺跡である



説明看板


建屋の中には、敷石遺構が保存されているが、金網に邪魔されてとても見づらい


遺跡や古墳には疎い同行人をして「鶏小屋かと思った」と言わしめた目立たないこの建物も、何とかならないものだろうか・・・


2011年6月10日(金)21:04 | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

東京都三鷹市国立天文台その3

ゴーチェ子午環観測室
大正13(1924)年に完成



正面がちに見ると気付かないのだが、ちょっと側面に回り込んでみれば、このとおり
なかなか面白い造形をしている



建物の裏側はこんな感じ


内部に収められたゴーチェ子午環の本体


太陽分光写真儀室
昭和5(1930)年に完成したもので、アインシュタイン塔とも呼ばれている



2011年6月7日(火)21:44 | コメント(0) | 東京都 | 管理

東京都三鷹市国立天文台その2

子午儀資料館
レプソルド子午儀による観測を行っていた建物で、大正14(1925)年に建てられた



建物のあちこちに、セセッション式の影響が色濃く残る


この辺りからは、大赤道儀室が見え隠れする


大正15(1926)年の建物で、ロンバルト帯の装飾が付いているのが特徴


ドイツ製で当時国内最大口径を誇った65cm屈折望遠鏡が、中に収まっている


2011年6月3日(金)21:17 | コメント(0) | 東京都 | 管理


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