高崎市北寝保窪C号古墳その7 |
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| そして、墳丘は姿を消した
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| それは、これまでがまるで夢か幻だったかのように
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| だが、目を凝らしてみるといい
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| ここに古墳があったことを、地面はまだ主張し続ける・・・
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2013年2月15日(金)23:48 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その6 |
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| 前庭部
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| 墳丘を巡るように敷き詰められた葺石だが、封土上面には葺かれていなかったらしい
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| 現地説明会での配付資料によれば「墳丘には幅約80cmほどの」基壇の付いた二段築成の古墳であるとのこと
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| 墳丘自体はかろうじてこちら側からも見回すことができた
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| ところで、その脇に転がっていたこの巨石は、石室材なのではあるまいか・・・?
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2013年2月8日(金)23:05 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その5 |
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| 今回の発掘調査よりも前、平成4(1992)年の調査では、周溝の幅は5mと判明している
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| 今回の調査では、調査範囲の関係からその全容が明らかになることはなかったようだ
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| とはいえ、周溝の様子はしっかり見てとれた
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| 墳丘も、葺石がはっきりと現存していた
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2013年2月1日(金)22:18 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その4 |
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| 石室側壁部の裏込め石
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| その脇の墳丘の土層
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| 墳丘上には樹木が植わっていたため、土層の一部は侵食を受けている
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| とはいえ、こうして墳丘全体で土層を確認できるのは、貴重なことである
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| 墳丘の下部には、周溝も確認されている
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2013年1月25日(金)21:23 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その3 |
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| 石室の手前、前庭部からは左右両側から須恵器が出土している
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| こうしたかたちで大型の須恵器が見つかるのは非常に珍しいもので、今後どのように検討されるかが注目される
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| 横瓶や壺も出土
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| 須恵器だけでなく、土師器もある
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| こうして見る限り、かなりの須恵器・土師器が出土したようだ
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2013年1月18日(金)23:10 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その2 |
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| 羨道部
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| 玄室部
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| 現地説明会で配布された資料に拠れば、墳丘は直径約16m、高さ約2m
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| 羨道部の長さ3.5m、幅0.8m~1m
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| 玄室部の長さ3.6m、幅1.8m
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2013年1月11日(金)23:59 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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高崎市北寝保窪C号古墳その1 |
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| 高崎市北寝保窪C号古墳 高崎市棟高町にあった円墳で、上毛古墳綜覧番号不明
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| 本古墳自体は、2009年3月13日の記事で「群馬郡堤ヶ岡村第11号古墳」として紹介しているが、高崎市教育委員会では「綜覧番号不明」としているため、今回はそちらに拠った
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| 3年前の記事と同アングル
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| これも同じアングルで撮ってみたが、いざ発掘されてみると、それまでの残存状況との雰囲気が変わり、印象も異なってくる
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| 石室入口
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2013年1月4日(金)22:46 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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王の儀式2012その7 |
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| 榛名の神(イカホ)の神への祈りその1
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| 榛名の神(イカホの神)への祈りその2
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| 国褒めの儀
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| 終演後その1
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| 終演後その2
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2012年12月28日(金)23:59 | コメント(1) | 高崎市 | 管理
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王の儀式2012その6 |
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| 大刀合わせの儀その1
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| 大刀合わせの儀その2
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| 大刀合わせの儀その3
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| 渡来人による絹の献上
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| ヤマトからの贈り物
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2012年12月21日(金)22:46 | コメント(0) | 高崎市 | 管理
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王の儀式2012その5 |
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| 田の舞その1
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| 田の舞その2
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| 田の舞その3
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| 猪狩りの儀
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| 祝言の儀
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2012年12月14日(金)22:57 | 高崎市 | 管理
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