厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



高崎市

多野郡八幡村第59号稲荷塚古墳その1

多野郡八幡村第59号稲荷塚古墳
現在の高崎市山名町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ360尺(約109.1m)、高さ17尺(約5.2m)とある



綜覧では円墳とされているが、高崎市史では「前方後円?」とある
墳丘の規模も、ずいぶん大きい数字であるが高崎市史ではそれぞれ108.0m、5.1mとされ、特に訂正されてはいない



さらに綜覧では頭椎太刀、金環、舟形石棺の出土が記録されているが、どこへ行ってしまったのやら


墳頂部
古墳名のとおり、稲荷社が祀られている



2009年10月9日(金)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市上大類町北宅地1236所在古墳

高崎市上大類町北宅地1236所在古墳
高崎市上大類町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



古墳名は高崎市史に拠った


市史では、規模15m×3m、高さ1mとある
見ての通り、楕円状に改変されてしまっている



墳丘上には新井薬師の碑が建っている


碑の裏には「明和五年一月祖先ノ建テタ御婆破損シタノデ昭和三十六年十月二十二日再建シマシタ」とある
それが隣に建つ薬師像であるらしいが、詳しいことは不明



2009年5月17日(日)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡大類村第6号古墳

群馬郡大類村第6号古墳
現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さ6尺(約1.8m)とある



高崎市史によれば、現在の規模はそれぞれ4m、1mであるとのこと
かなり小さくなっており、藪に覆われてはいるものの、まだ何とか古墳と分かる



綜覧には「石槨有」とあり、市史でも「横穴式石室?」「石室壁石が見え、角閃石安山岩を一部使用。」とあるが、確認は出来なかった
所有者の方にも伺ってみたが、分からないとのことであった



また、市史には「地境の西側は削平」とあるが、それがこれ
墳丘はすっぱりと断ち切られている



墳頂部
藪の中に錆びた稲荷祠が転がっている
右下の板石で蓋がされた壷は綜覧記載の壷(市史では「中世壷出土」とある)で、許可をいただいて中を拝見させていただいた
中は土砂で埋まっていたものの、骨片らしきものが見受けられ、どうやら骨蔵器であるらしい



2009年5月16日(土)21:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡大類村第5号古墳

群馬郡大類村第5号古墳
現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さ7尺(約2.1m)とある



個人宅の庭にひっそりと位置し、墳頂部には綜覧記載の八幡祠が載る


高崎市史では「横穴式石室?」とあるが、確認はできなかった


現状こんな小さな古墳ではあるが、綜覧には刀、金環、勾玉、管玉の出土が記録されている


北西より見る
石が多く転がっているが、所有者の方の話では古墳の石ではないとのことであった



2009年5月15日(金)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡大類村第3号稲荷塚古墳

群馬郡大類村第第3号稲荷塚古墳
現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ8尺(約2.4m)とある



実際にはもう少し規模が大きかったようで、高崎市史ではそれぞれ約25m、約3mに訂正されている


墳頂部は稲荷社となっており、所有者の方に伺った話では伏見稲荷を勧請したものであるとのこと
また、勧請した時期もかなり古い時期のようであった



その周囲は石垣化されているが、その裾も実は墳丘であるらしい
要するに稲荷社の周辺だけ凸字状に高く残っている状態で、市史でも「現存するが、著しく改変」と記されている



2009年5月14日(木)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第15号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第15号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ165尺(約49.9m)、高さ33尺(約9.9m)とある



群馬町教育委員会発行の「群馬町の文化財」に載っている地図によれば、本古墳は北寝保窪古墳とも呼ばれているようだ(ただ、その地図には誤植も多い・・・)


綜覧では、本古墳の欄に「下寝保窪古墳群ハ往古ヨリ冷水三十六塚トイフ」とあり、昔はさらに多くの古墳が存在したようだ
所在地名も観音寺字下寝保窪から棟高字北寝保窪、そして現在は棟高町と、変遷めまぐるしい



2009年3月14日(土)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第11号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第11号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ20尺(約6.1m)とある



状況としては、綜覧群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳と同じと言える


ただ、大きい樹木がないので墳丘自体は見学しやすい


方墳化しているのは、まぁ現代に残る古墳としての宿命みたいなもの
現存しているだけでもありがたいと思わねばなるまい



2009年3月13日(金)20:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳

群馬郡堤ヶ岡村第10号古墳
群馬郡群馬町を経て、現在の高崎市棟高町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ82尺(約24.8m)、高さ23尺(約6.9m)とある



宅地と駐車場に囲まれ、居心地の悪そうな雰囲気


綜覧には石室についての記述は何もないが、この状態では、樹木の根に侵食されていそうだ


2009年3月12日(木)22:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡佐野村第52号大山古墳

群馬郡佐野村第52号大山古墳
現在の高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ198尺(約59.9m)、高さ23尺(約6.9m)とある



高崎市史の編纂をする際、高崎市が墳丘の現況測量図を作成したところ、直径約56m、高さ約8mであったとのこと
この数字は円墳としては非常に大きく、古墳めぐりハンドブックでは「県下最大の円墳であろう」と述べられている
墳丘自体は二段で構築されていたようだ



綜覧では「湟阯有」とのことであるが、市史では「現在の周囲の地割りには周堀の痕跡らしいものは認められないが(中略)かつては地割りにその痕跡を残していたのかもしれない」とある
古墳めぐりハンドブックには「かつての周濠部分が、周りの水田としてよく残る」とあるが、書かれた内容が古いような・・・



南西より見る
市史にある「南西部分破壊」の箇所である



さて、忘れてはならないのが、本古墳に隣接していた綜覧群馬郡佐野村第53号茶臼山(鏡餅山)古墳の存在
本古墳とほぼ同規模の円墳で、両古墳が並ぶ姿はさぞや壮観であったと思われる
しかし、茶臼山古墳は市史で「直径57mの見事な墳丘を残すものであったが、土地改良工事の中で調査されることなく平夷される無惨な結果を迎えた」と書かれるほど、その消滅が惜しまれている



2009年3月11日(水)22:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市下佐野町稲荷塚1012所在古墳

高崎市下佐野町稲荷塚1012所在古墳
高崎市下佐野町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



高崎市史によれば規模不明高さ不明で削平扱いとなっているが、現在でもわずかに比高が認められる状態である


見る限り、規模不明ではあるものの、径は10m前後はありそうな感じ


昭和34(1959)年に群馬大学で調査、下佐野5号墳とも呼ばれている


ところで、近所の人に聞いたところ「浅間山の火山灰を集めたもので、古墳ではない」という話を聞いた
市史には確かにそうした「調査したら、古墳じゃありませんでした」という話も載っているが、それは本古墳ではなく下佐野7号墳(綜覧群馬郡佐野村第63号)が該当するようだ



2009年3月10日(火)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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