太田市笠松遺跡その6 |
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掘立柱建物は他にも多数あったようだ
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その奥 ちょうど、竪穴式住居跡の検出された位置の真東にあたる
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それにしても、これだけの大きさの穴が要る掘立柱建物とは、どんなものだったのだろうか・・・
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その南東には柵列の跡が見つかっているのも気になる
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そのさらに南東にもまた掘立柱建物跡 古代の東山道駅家か、それとも倉庫群か、はたまた新田郡庁の別院か、現地説明会配布資料でも「今後の課題」としている
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Jul.31.2009(Fri)21:46 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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太田市笠松遺跡その5 |
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ちょっと変わった掘立柱建物の遺構
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現地説明会の配付資料では、布掘りの掘立柱建物とある
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別角度
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そのすぐ北からは、竪穴式住居跡が見つかっている
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これも全体の1/3ほどが調査区の外になってしまっている
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Jul.30.2009(Thu)21:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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太田市笠松遺跡その4 |
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基壇の上に載っかっていたとされる掘立柱建物の跡
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別角度
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その脇には、小ぶりの掘立柱建物が建っていたようだ
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アップで見てみる
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その周囲には、深さ20cmほどの小さな溝が走っている
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Jul.29.2009(Wed)21:27 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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太田市笠松遺跡その3 |
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粘土採掘坑
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別角度
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そのアップ
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別の所にも粘土採掘坑が見つかっている これらの場所から掘り出された粘土は、画像中央部の掘立柱建物が建っていた辺りの基壇に使われたということである
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その基壇の断面 版築状に突き固められているが、現状での厚さは最大で20cmほどしかない 本来はその数倍の厚さがあるはずなのであるが、残念ながらその部分は後世の撹乱で失われてしまっているらしい
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Jul.28.2009(Tue)21:46 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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太田市笠松遺跡その2 |
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さて、その古代の溝の全体図を南西より見る
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1枚目の画像の立ち位置の真下の層
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そこからぐっと北東に向かった場所
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何やら石礫の混じった黒土があった
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そこからさらに北東側 北西に向かいゆっくりと曲がり角になっていくところで、調査区の外に出てしまうのが残念
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Jul.27.2009(Mon)21:31 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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太田市笠松遺跡その1 |
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太田市笠松遺跡 太田市新田小金井町にある律令期の遺跡である
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今回、現地説明会があり見学してきた 発掘作業で掘り返された土の山が展望台となっており、遺構全体の把握がしやすかった
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その展望台の上より見る 国指定史跡新田郡庁のすぐ南西に位置し、出土した遺構の多くが新田郡庁と共通していることから、本遺跡には新田郡庁の出先機関、関連施設があったものと推測される なお、現地説明会資料では本遺跡の名称を「笠松遺跡・天良七堂遺跡」と併記している
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展望台より見る反対側 こちらはすでに埋め戻されているが、南側で縄文時代後期の土坑や古墳時代初頭の集落跡などが発見されており、もしかしたら本遺跡のすぐ南の松尾神社境内に位置する上毛古墳綜覧新田郡生品村第9号古墳にも関係があるかも知れない
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3枚目の画像の中央付近を斜めに横切る大溝が写っているが、これは古代の溝で、遺構を角形に囲繞しているらしい そしてこの画像は本遺跡最北端で発見された大溝で、現地表からの深さ1.5m以上、幅2mとの話であった
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Jul.26.2009(Sun)22:11 | Trackback(0) | Comment(0) | 太田市 | Admin
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碓氷郡磯部町第10号古墳その2 |
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北西より見る
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北より見る
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北東より見る
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Jul.25.2009(Sat)21:56 | Trackback(0) | Comment(0) | 安中市 | Admin
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碓氷郡磯部町第10号古墳その1 |
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碓氷郡磯部町第10号古墳 碓氷郡安中町を経て、現在の安中市大竹にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ30尺(約9.1m)、高さ13尺(約3.9m)とある
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どうやらこの土台部分も、墳丘の基壇部にあたるらしい また、綜覧には太刀の出土が記録されている
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墳頂部には庚申塔が立ち並ぶ
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その周辺には、石室材と思われる石が転がっている
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Jul.24.2009(Fri)21:27 | Trackback(0) | Comment(0) | 安中市 | Admin
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碓氷郡後閑村第3号古墳その2 |
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説明看板に書かれた規模は、直径12.6m、高さ2.2m 実際には、上毛古墳綜覧記載の規模より大きかったようだが、後年だいぶ削られていたようで、群馬県遺跡台帳では「径約7m、高さは50cm位に平夷されている」とある
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本古墳の石室の石の積み方は、綜覧碓氷郡原市町第13号二子塚古墳(簗瀬二子塚古墳)と非常によく似ており、同一時代、同一勢力、同一工人の作である可能性があるらしい
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北西より見る すぐ向こうは、九十九川が流れている
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ところでこの石碑、墳丘見学の邪魔なんだけど・・・
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Jul.23.2009(Thu)22:51 | Trackback(0) | Comment(0) | 安中市 | Admin
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碓氷郡後閑村第3号古墳その1 |
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碓氷郡後閑村第3号古墳 碓氷郡安中町を経て、現在の安中市下後閑にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ23尺(約6.9m)、高さ5尺(約1.5m)とある
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説明看板 「基壇部」であるべき箇所が「墓壇部」と誤植されてしまっている
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石室入口
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石室内部
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Jul.22.2009(Wed)22:12 | Trackback(0) | Comment(0) | 安中市 | Admin
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