厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



多野郡吉井町

多野郡吉井町第2号浅間塚古墳

多野郡吉井町第2号浅間塚古墳
多野郡吉井町吉井川にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ48尺(約14.5m)、高さ21尺(約6.4m)とある



墳丘の西側と北側は道路になり、方墳状に切り取られてしまっている


とはいえ、角は丸いままなので、一見してすぐそれと気付く


現在もそこそこ高めの比高が残っている


2008年8月22日(金)21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡吉井町第1号薬師堂古墳

多野郡吉井町薬師堂古墳
多野郡吉井町吉井川にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ70尺(約21.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



説明看板には多胡薬師塚古墳とある


石室内部


この辺りの地名の小字を穴塚と言う
もちろん、本古墳がその由来になっている



しかし、北側から見ると、景観にうまく溶け込んでいるなぁ・・・


2008年8月21日(木)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡吉井町多胡碑

多野郡吉井町多胡碑
律令時代に建てられたとされている石碑である
詳しくは説明看板にて・・・



 
 
 
 
 
 
 
 
 
位 太 宣 成 良 弁
石 政 左 多 郡 官
上 官 中 胡 并 符
尊 二 弁 郡 三 上
右 品 正 和 郡 野
大 穂 五 銅 内 國
臣 積 位 四 三 片
正 親 下 年 百 岡
二 王 位 三 戸 郡
位 左 多 月 郡 緑
藤 大 治 九 成 野
原 臣 比 日 給 郡
尊 正 真 甲 羊 甘
   二 人 寅



他の三面側に「字が彫ってある!」と気付いた研究者がいたという本をどこかで読んだことがあるのだが、どの本だったのか覚えていない


四面体の石碑で、裏や左右に何も彫ってないとは考えにくい


もしかしたら削り取られたのかも知れない・・・


2008年8月20日(水)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡多胡村第115号古墳

多野郡多胡村第115号古墳
現在の多野郡吉井町神保にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



多野郡多胡町神保字南高原から多野郡吉井町池の多胡碑記念館に移設されている
また墳丘の半分は、築造当時のかたちに復元されている



石室入口


天井石


説明タイル


2008年8月19日(火)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

多野郡吉井町第65号古墳

多野郡吉井町第65号古墳
多野郡吉井町片山にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ102尺(約30.9m)、高さ15尺(約4.5m)とある



本来所在した多野郡吉井町片山字久保平から、多野郡吉井町池の多胡碑記念館内に移築されている
綜覧によれば「稲荷祠アリ」とのことだが、さすがにそれまでは移設できなかったようだ



説明看板ならぬ説明タイル
墳丘裾部にひっそりと置かれている



2008年8月18日(月)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第3号御穴塚古墳

上信電鉄馬庭駅の北西、飯玉神社の社殿裏にある円墳
上毛古墳綜覧では大きさ36尺(約11m)、高さ12尺(約3.6m)とあることから、昭和10年当時は封土があったものと思われる



東南東側から見る
墳丘はこの通り、南側をすっぱりと削り取られてしまい、石室も羨道部がなくなっている



石室内部というよりは玄室奥壁部分
あろうことか、この玄室内に柵を越えて酒の空き缶を捨てた不逞の輩がいたようで、撮影時は空き缶がファインダー内に入らないようにちょっと苦労した
壁面はかなりの転びがあり、またわずかに模様積みのようなところも見られた
奥壁前に何本か並ぶ太い石棒は、男根を象徴したものか?
だとすれば、この古墳名の「穴」とは・・・(以下自粛



現在残る墳丘の上部には天井石が露出している
ここにもゴミが捨てられている



天井石の別角度
一部はコンクリで固められている



2008年5月8日(木)22:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第42号若宮八幡塚古墳

現多野郡吉井町石神地区の大武神社の社殿裏にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27m)、高さ16尺(約5m)


現在、墳頂には祠や石宮が建っている
昭和18年に社殿を改築したらしく、そのときに墳丘を一部削ったものと思われる



墳丘西側は、道路で裾を削り取られている
とはいえ、墳丘の規模はなかなか立派なものが残っている



墳丘南西側には、昭和18年の社殿改築記念碑が建つ
特に何か出土したとは書いてなかったように思う



社殿裏にあたる部分の墳丘石垣、つまり石室の羨道部分なのだが、この石・・・
どうも石室材を積み上げて石垣化したように見える
中央上部や下部にある大きめの石がいかにもそれっぽい



2008年5月8日(木)22:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第37号栗塚古墳

例によって多野郡吉井村の古墳
国道254号線を挟んで34号金比羅塚の反対側にある古墳で、墳丘自体はあまり残っていない
上毛古墳綜覧では大きさ36尺(約11m)、高さ8尺(約2.4m)とあり、昭和10年の時点ではそこそこに墳丘が残っていたようだ



その近影
古墳名の由来となった栗の木が生え、イガグリごと栗の実が落ちている向こうに、石室材が見える



綜覧には「石槨一部存ス」とあり、これは残った石室材で一番大きい石


そこから90度ほど回り込んでみるとこんな感じ
墳丘をあらかた削ったとき、石室が露出したところで石をまとめて積み上げたようにも見える



2008年5月7日(水)23:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

入野村第29号・第34号金比羅塚古墳

多野郡入野村第29号、現在の多野郡吉井町にある古墳で、ここから東に行けばもう藤岡市に入るという立地
けっこうな大きさの墳丘が残っており、あちこちに葺石が散らばっている



上毛古墳綜覧の記載では大きさ72尺(約22m)、高さ15尺(約4.5m)、さらに「石槨存ス」ともあるのだが、現状ではどうやら埋まってしまってしまったようだ
こちら側から見ると、葺石の数がものすごくて壮観といった印象



こうして見ると、石室が開口していそうな感じにも見えるんだけどねぇ・・・
掘ってみたいと思ったのは内緒だ



29号から西に1kmほど行った場所にあるのが34号で、綜覧では「金比羅塚」という名前が載っている
墳丘の規模については何も書かれていないが、刀と玉類が出土しているらしい
晴れているように見えるが、実は雨上がりで濡れている草むら。Gパンが膝まで濡れ、靴の中はグズグズになってしまった



裏から見ると、道路を通したときに段丘を削ったらしく、どこまでが墳丘なのか見分けがつかない
正面から見るとさほど段差はなく、コンクリで土台を固めて高さをかさ上げした祠でそれと分かったようなものだ
古墳の上には石宮や祠を建てることが多いので、もしこれらがなかったら気付かなかったかも知れない



2008年5月6日(火)22:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理

吉井町T194号・T195号

吉井町T194号
墳丘の向こう、ガードレールのあたりで切り通し状に新しい道路が走っている



反対側からから見る
墳丘の向こうにはT206号、T209号(小屋の陰になっているが)、T210号が並んでいる



T194号より少しT200号に寄ったところにあるのがT195号
発掘調査前は墳丘いっぱいに何本も木が生えていたそうだ
奥の鉄塔の下に見えるのは大沢川に架かる上信越自動車道の橋で、地図で見るとこの大沢川を挟んで、ここ多胡古墳群と神保古墳群が隣りあっている



先ほどのT206号、T209号、T210号の見える場所からT194号を撮った位置で、さらにカメラを振ってみた構図
向こうの木立の下がT200号で、露出した奥壁もしくは裏込めの石室材がよく見える



そこから少し道路側に寄ってみる
この道路の工事で多くの古墳が失われ、現在は約20余基が残っているが、上毛古墳綜覧ではこの一帯に91基の存在が確認されており、その後発見された記載漏れの古墳を含めると100基以上が群集していたそうである



2008年5月4日(日)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 多野郡吉井町 | 管理


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