厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



甘楽郡甘楽町

北甘楽郡福島町第2号神明塚古墳

北甘楽郡福島町第2号神明塚古墳
甘楽郡福島町を経て、現在の甘楽郡甘楽町福島にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ248尺(約75.1m)、前方部の高さ21尺(約6.3m)、後円部の高さ27.9尺(約8.4m)とある



前方部
高さがいくらか低い



後円部
こちらは非常に大きく感じる



後円部墳頂より前方部を見る
綜覧では「神明宮アリ」と記載されているが、墳丘上にあったのかそれとも墳丘南側の公園のあたりだったのかは不明
今日では神明塚ではなく専ら天王塚と呼ばれ、綜覧でも「(天王塚)」と併記されている



後円部南側には、葺石が顔を覗かせていた


2008年6月16日(月)23:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

北甘楽郡福島町第1号笹森稲荷古墳

北甘楽郡福島町第1号笹森稲荷古墳
甘楽郡福島町を経て、現在の甘楽郡甘楽町福島にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ336尺(約101.8m)、前方部の高さ34.5尺(約10.5m)、後円部の高さ32尺(約9.7m)とある



説明看板
実測図は載っていないが、高崎市綿貫観音山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第22号観音山古墳)とほぼ同規格で墳丘が構築されているらしい



石室入口
標柱と鳥居がでかく見えるが、これが案外小さい
要するに石室入口自体が小さく改変されてしまっているからなのだが



石室内部
羨道部が非常に長い(約9m)ため、入口からは玄室部が見通せなかった



2008年6月15日(日)22:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

福島町第53号稲荷社古墳

上信電鉄上州福島駅の北東約300m、西濃運輸の営業所の向かいにある古墳・・・の石室部分
封土は完全に失われており、言うなれば奈良の石舞台古墳と同じ状態である



上毛古墳綜覧でも墳形・規模ともに不詳と記載されており、昭和10年の時点でもうこういう状態だったのかとも思ったが、その割には石室のことについては何も触れておらず、また埴輪土偶が出土したという謎の記述がある


本来、埴輪と土偶は別のものであり、弥生期には土偶と言えるものは作られなくなっているため、埴輪と土偶は直接的には時代がつながらない
つまり、土をこねて焼く人形(ひとがた)というものは、弥生期に一旦隔絶しているので、この記述がどういったものなのか気にかかる



石室内部
古タイヤやらダルマやら、写ってないけどプラ製大カゴやら、すっかり物置か何かと化している
被葬者がこれを見たら何と思うことやら・・・



2008年5月10日(土)22:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理

福島町第5号

甘楽郡甘楽町、笹森(稲荷)古墳の西南西約300mの位置にある円墳
こちらから見るとただの藪にしか見えないのだが、コフニストとしては「ん、あれは?」と反応してしまう



東側に回り込んでみる
この時点で古墳探知アンテナが反応しなかったら、コフニスト失格かも知れない



そこからさらに南側に回り込んでみると、ほらこの通り
巨石を載っけた石室がはっきりと確認できる
さて、この福島町第5号。上毛古墳綜覧ではなぜか規模不詳とあるのだが、どうしてそう判断されたのかさっぱり分からない



石室というか玄室部分
石室自体は「石槨中玄室ノ一部存ス」と記載されており、どうやら羨道部は古くに失われてしまったもよう
とはいえ、この巨大な天井石はなかなかに迫力がある
高さも大人が余裕で立てそうなくらいというのも、この凄味に一役買っている感じ



側壁にもかなりの巨石が使われている
構造から見るに、笹森古墳の被葬者とも関わりのあった人物のものかとも思ったが、実際どうなのだろう



2008年5月9日(金)21:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 甘楽郡甘楽町 | 管理


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