東京都三鷹市国立天文台その3 |
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| ゴーチェ子午環観測室 大正13(1924)年に完成
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| 正面がちに見ると気付かないのだが、ちょっと側面に回り込んでみれば、このとおり なかなか面白い造形をしている
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| 建物の裏側はこんな感じ
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| 内部に収められたゴーチェ子午環の本体
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| 太陽分光写真儀室 昭和5(1930)年に完成したもので、アインシュタイン塔とも呼ばれている
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2011年6月7日(火)21:44 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市国立天文台その2 |
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| 子午儀資料館 レプソルド子午儀による観測を行っていた建物で、大正14(1925)年に建てられた
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| 建物のあちこちに、セセッション式の影響が色濃く残る
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| この辺りからは、大赤道儀室が見え隠れする
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| 大正15(1926)年の建物で、ロンバルト帯の装飾が付いているのが特徴
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| ドイツ製で当時国内最大口径を誇った65cm屈折望遠鏡が、中に収まっている
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2011年6月3日(金)21:17 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市国立天文台その1 |
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| 東京都三鷹市国立天文台 ここには、戦前に建てられた数々の施設が残っており、貴重な存在である
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| 第一赤道儀室 大正10(1921)年に完成
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| 冬枯れの中に佇む
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| 第一赤道儀室内部
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| スクラッチタイルの貼られた旧図書庫
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2011年5月31日(火)21:37 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市天文台構内古墳 |
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| 東京都三鷹市天文台構内古墳 東京都三鷹市大沢にある上円下方墳である
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| 説明看板
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| 国立天文台の敷地内にあり、墳丘の脇には国登録有形文化財の第一赤道儀室がそびえ立つが、墳丘自体はあまりよく見えない
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| それもそのはず、国立天文台の施設や建築物の一部は見学コースとして公開されているものの、古墳自体は公開対象となっておらず、墳丘周辺への立ち入りもできない
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| しかし、国立天文台でいくらか気を利かせてくれているようで、先に何もない道の端から、こんな感じで墳丘を拝むことが出来る 関東どころか東国でも貴重な上円下方墳であり、こうして見られるだけでもありがたいことである
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2011年5月27日(金)20:19 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市出山横穴墓群その3 |
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| 他にも、何やら怪しげな横穴がいくつか見受けられた
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| 何か、これ違うような・・・
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| とか思っていたら
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| 軍用防空壕・・・!?
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| 調布の飛行場も近いし、まぁさもありなんということで
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2011年5月24日(火)20:55 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市出山横穴墓群その2 |
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| 第8号墓は、立派な建物に囲われている
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| 羨門部 内部には、レプリカの人骨が置かれている
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| また、傍らにはこれまたレプリカの須恵器が置かれている
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| 第9号墓
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| 第10号墓
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2011年5月20日(金)21:45 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都三鷹市出山横穴墓群その1 |
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| 東京都三鷹市出山横穴墓群 東京都三鷹市大沢にある横穴墓群である
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| 説明看板
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| 英語版
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| 群の中では、現在第8号墓が整備されて保存・公開されている
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| その第8号墓の説明タイル
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2011年5月17日(火)21:39 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都旧新橋停車場その2 |
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| 復元された鉄道起点
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| その説明看板
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| ホームの説明看板
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| その下には、自由に見学できるホームが顔を覗かせている
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2010年11月23日(火)21:37 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都旧新橋停車場その1 |
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| 東京都旧新橋停車場 東京都港区東新橋にある鉄道遺跡である
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| 説明看板
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| 鉄道歴史展示室で出土品や遺構をいろいろ見ることができるが、館内の撮影は禁止であった
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| 外には、かつての遺構の直上に当時のプラットホームが再現されている 石の積み方も当時の積み方に倣っている
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| 線路もちょっとだけ敷かれている 開業当時に使っていたものと思われる双頭レールを使用しており、鉄道趣味的にも興味深い
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2010年11月19日(金)21:26 | コメント(0) | 東京都 | 管理
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東京都北区飛鳥山古墳群その4 |
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| 1997年の時点で、飛鳥山には3基の古墳と1基の石棺墓の存在が確認されているが、古墳らしきものは他にも検出されているそうで、渋沢庭園内にあるこの築山も、土台そのものは古墳でないかと見られている
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| こうして見ていると、確かに古墳としての面影はあるように思われる 「飛鳥山遺跡Ⅱ」では「SZ03(飛鳥山3号墳)と1号墳の間及び1号墳の南東側で未報告の古墳が検出されている」とあり、後者がこれに該当するらしい
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| ただし、戦前に渋沢栄一がこの辺りを別荘の茶室を建てており、その頃には大きく墳丘が改変されていたものと思われる(別荘や茶室自体は戦時中にそのほとんどが空襲で焼失している)
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| 墳頂部
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2010年5月28日(金)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 東京都 | 管理
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