厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2008年10月を表示

勢多郡大胡町第11号古墳

勢多郡大胡町第11号古墳
現在の前橋市茂木町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長135尺(約40.9m)、前方部の大きさ72尺(約21.8m)、後円部の大きさ70尺(約21.2m)、高さ10尺(約3m)とある



綜覧によれば武人埴輪が出土しているとのことであるが、現在どこにあるのだろう
墳丘の位置も明瞭ではないが、この盛り上がった部位が墳丘だろうか



古い時期のものでなければ、前方後円墳ということで、このあたりが後円部ということになる
しかし、そのあたりは詳しく話を知っている人に出会わなかったので、まったく分からない



2008年10月31日(金)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡大胡町第4号古墳

勢多郡大胡町第4号古墳
現在の前橋市茂木町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ100尺(約30.3m)、高さ10尺(約3m)とある



墳頂部を削平して社殿を乗せたようで、現在の比高は2mもない感じ
周囲の道路に合わせ、裾部も削られているようだ



綜覧を見る限り、同一地番にもう1基、綜覧勢多郡大胡町第3号古墳が所在していたようだが、こちらは消滅したらしい
その綜覧勢多郡大胡町第3号古墳は、綜覧では大きさ82尺(約24.8m)、高さ4尺(約1.2m)とある



2008年10月30日(木)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第70号古墳

勢多郡粕川村第70号古墳
現在の前橋市粕川町東田面にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧では長さ102尺(約30.9m)、幅72尺(約21.8m)、高さ8尺(約2.4m)とある



神明宮の社殿裏に墳丘が現存するのだが、石垣化が著しい


比高はそこそこにあるが、墳頂部はだいぶ削られている
綜覧には帆立貝形古墳として記載されているが、はたしてどうであろうか



実際に現状を見る限り、確かに社殿西側に伸びているようには見えたが、それだけで墳形は判断できない
残念ながら勢多郡粕川村の遺跡地図からは抹消されているらしく、古墳ではない可能性も高い



2008年10月29日(水)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第62号庚申塚古墳・勢多郡粕川村第67号古墳

勢多郡粕川村第62号庚申塚古墳
現在の前橋市粕川町深津にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ90尺(約27.2m)、高さ12尺(約3,6m)とある



すぐ北にある綜覧勢多郡粕川村第61号古墳に比べると、規模が大きく残っているのが目に付く
ただし、こちらは墳丘自体が藪だらけで、姿かたちがはっきりとは分からない



勢多郡粕川村第67号古墳
現在の前橋市粕川町深津にある円墳で、綜覧では大きさ24尺(約7.3m)、高さ3尺(約0.9m)とある
墳丘西側に卵塔と呼ばれる形の墓があるが、墳丘自体は非常に高さが低いようで、視認が難しい状態であった



2008年10月28日(火)21:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第61号庚申塚古墳

勢多郡粕川村第61号庚申塚古墳
現在の前橋市粕川町深津にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ5尺(約1.5m)とある



訪問時、上の画像の墓地が墳丘かと思ってうろうろしていたら、奥にこんなものが見えた
どうやら墳丘があったのは墓地ではなく、奥の植え込みのほうだったらしい



この並び方から見るに、石室の天井石だろうか
それにしては厚さが薄いような気もするが・・・



仮にこれが天井石だとすれば、石室自体はこの下に埋没していることになる


残念ながら、現在の所有者が判然としないため、詳しい話はまったく分からない


2008年10月27日(月)22:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第49号古墳その2

削り取られた後円部のアップ
石室材と思しき石がいくつか露出しているが、肝心の石室自体は埋め戻されたようだ
また、このあたりは古墳が多いため、正式な地名でないが「ツカッパラ(塚っ原?)」と地域の人は呼んでいたとのこと



前方部の墳丘
植栽が多く、見通しが利かない状態
綜覧には「埴輪出土」「出土品所在不明」とあるが、それとは別に、所有者の話では家型埴輪や人物埴輪や動物埴輪などが出土していたが、みんな県に持っていかれたとのこと



後円部墳頂部には、いくつかの石塔が立ち並んでいた
県に無断で粕川村が本古墳を発掘してしまったこともあったそうで、出土品はすべて元の位置に戻させられ、改めて県が発掘調査をしなおしたこともあるとの話だった
お世話になっている群馬県埋蔵文化財調査事業団の先生に伺ってみたが、専門範囲が違うらしく詳しい経緯はご存じないようであった



2008年10月26日(日)21:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第49号古墳その1

勢多郡粕川村第49号古墳
現在の前橋市粕川町月田にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長132尺(約39.9m)、前幅38尺(約11.5m)、前方部の高さ5尺(約1.5m)、後円部の高さ15尺(約4.5m)とある



現在、個人宅の裏山となっているが、以前は墳丘を外から見ることができたようだ。所有者の方に伺った話では、10年近く前に植え込みをしたとのこと。現在、墳丘西側周辺を中心に、植え込みがあり、このとおり、後円部の墳頂部くらいしか見えなくなってしまっている


後円部
許可をいただいて、敷地内で撮影



北東より見る


2008年10月25日(土)21:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第46号古墳

勢多郡粕川村第46号古墳
現在の前橋市粕川町月田にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ40尺(約12.1m)、高さ15尺(約4.5m)とある



南東より見る
背後には綜覧勢多郡粕川村第44号鏡手塚古墳が横たわっている
綜覧では金環が出土と記載されているものの、所在不明とある



北東より見る
本古墳は現在、丸塚古墳と呼ばれているようだが、群馬大学史学研究室の尾崎教授の著書「古墳のはなし」(學生社刊)に載っている「月田の古墳群」の分布図では、丸塚古墳は壇塚古墳の南、鏡手塚古墳の北西にマークされている
この分布図は間違っているということなのだろうか・・・



西より見る
右奥には綜覧勢多郡粕川村第49号古墳が見えている



2008年10月24日(金)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第44号鏡手塚古墳

勢多郡粕川村第44号鏡手塚古墳
現在の前橋市粕川町月田にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ105尺(約31.8m)、前方部の高さ6尺(約1.8m)、後円部の高さ15尺(約4.5m)とある



説明看板


すぐ北にある綜覧勢多郡粕川村第36号古墳(壇塚古墳)と非常によく似た雰囲気を持つが、こちらは円墳ではなく前方後円墳


石室入口
やはりよく似ているなぁ・・・



北から見る


2008年10月23日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡粕川村第36号古墳

勢多郡粕川村第36号古墳
現在の前橋市粕川町月田にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ95尺(約28.8m)、高さ15尺(約4.5m)とある



説明看板


現在、壇塚古墳と呼ばれているが、これは綜覧にも「墳丘二段アリ」と記されているように、基壇部と二段目がはっきり分かることから付けられた古墳名であると思われる


石室入口
綜覧には、そういった記述がまったくないので、それ以降に開口したのだろう



西より見る


2008年10月22日(水)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


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