厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



Show by Jul/2010

群馬郡駒寄村第50号穴倉薬師古墳改訂版

群馬郡駒寄村第50号穴倉薬師古墳
北群馬郡吉岡村を経て、現在の北群馬郡吉岡町大久保にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ12尺(約3.6m)、高さ8尺(約2.4m)とある



・・・と、2008年7月25日に紹介しているのだが、改めて撮り直した画像で、「改訂版」としたい
さて、ケヤキの根に埋もれながらも、石室の側壁はしっかりと残っていた



上の画像のさらに右側
結構踏ん張ってるなぁと、感心してしまう



反対側も、割合によく残っているのではないだろうか


天井石もよく見える
こうして見ると、石の厚さはそんなにないような感じ
ともあれ、南下古墳群に勝るとも劣らない貴重な石室であり、今後も大切に守られてほしいところ



Jun.29.2010(Tue)23:38 | Trackback(0) | Comment(0) | 北群馬郡吉岡町 | Admin

利根郡久呂保村第64号御門塚古墳その2

墳頂部


雪の日


別角度


今回は手前の畑で農作業をしていた方に断って墳丘まで歩いて行けたのだが、望遠しないと説明看板が読めないというのは何とかならないものだろうか


Jun.25.2010(Fri)21:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 利根郡昭和村 | Admin

利根郡久呂保村第64号御門塚古墳その1

利根郡久呂保村第64号御門塚古墳
現在の利根郡昭和村森下にある古墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



説明看板
一部に間違っていたり不可解な箇所があるのが気にかかる



このマウンドが御門塚古墳の封土そのものであるのか、それとも後世に新しく盛り直されたものなのかは、はっきりしない
綜覧には「片品川ノタメニ流失サレ原型崩ル」とあるが、そのあとに「石祠アリ」と続けて記されている



群馬県遺跡台帳では「森下御門古墳群」の欄に「御門塚と呼ばれていた古墳は、川岸の決壊により今はない」とある
これらの記述が、御門塚古墳が封土・主体部などのすべてを失ったのかごく一部残存であるのか、はっきりしたことは分からなかった



Jun.22.2010(Tue)22:00 | Trackback(0) | Comment(0) | 利根郡昭和村 | Admin

茨城県水戸市吉田古墳その2

北東より見る


東隣の畑で農作業をしていた方に伺ったところ、かつての墳丘は、この方の立ち位置の辺りまであったとの話であった


墳頂部


奥の箱状のものは、気象と土壌水分の観測をするための機械であるらしい


墳丘の一部には、このような石材が露出しているのが見受けられた


Jun.18.2010(Fri)22:22 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin

茨城県水戸市吉田古墳その1

茨城県水戸市吉田古墳
茨城県水戸市元吉田町にある方墳である



説明看板


標柱
説明看板でも触れられているように、この数字は現状でのものである



南西より見る
墳丘周辺は、金網で囲われているが、立ち入ることが可能



南南東より見る
こちらからだと、墳丘が大きく削り取られていることが見てとれる



Jun.15.2010(Tue)23:14 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin

茨城県水戸市福沢古墳群2号古墳

茨城県水戸市福沢古墳群2号古墳
茨城県水戸市米沢町にある円墳である



古墳群の名は、所在地名の小字に拠る


水戸市埋蔵文化財分布調査報告書及び茨城県遺跡地図によれば、現存の規模は径約7m、高さ約1mであるらしい


閑静な住宅街の中にひっそりと佇むといった趣である


墳頂部
稲荷社が祀られている



Jun.11.2010(Fri)22:31 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin

茨城県水戸市千波山古墳群3号古墳・茨城県水戸市柳崎貝塚

茨城県水戸市千波山古墳群3号古墳
茨城県水戸市千波町にある前方後円墳である



後円部墳頂部より見る前方部
本古墳の性格はよく分からないが、水戸市埋蔵文化財分布調査報告書及び茨城県遺跡地図では、全長約25m、高さ約1.3mとある



前方部墳頂部より見る後円部
主軸は千波湖へ指向しているが、築造当時の周辺はどのような状況であったのだろうか



茨城県水戸市柳崎貝塚
茨城県水戸市千波町にある貝塚である



標柱
貝塚について詳しいことが記されている
縄文海進の頃、海岸線は千波湖のあたりまで迫っていたらしいが、これまた詳しいことはよく分からない



Jun.8.2010(Tue)23:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin

茨城県水戸市千波山古墳群2号古墳

茨城県水戸市千波山古墳群2号古墳
茨城県水戸市千波町にある円墳である



1号古墳からほんの少し離れて、千波公園の遊歩道の脇にひっそりとたたずんでいる


水戸市埋蔵文化財分布調査報告書及び茨城県遺跡地図では、径約20m、高さ約2.5mとある


今回、本古墳についてそれ以上の情報は見つからなかった


墳頂部


Jun.4.2010(Fri)23:59 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin

茨城県水戸市千波山古墳群1号古墳

茨城県水戸市千波山古墳群1号古墳
茨城県水戸市千波町にある円墳である



水戸市の千波湖の南西、千波山と呼ばれる自然丘陵上に位置し、墳丘周辺は千波山児童遊園という名の公園となっている


公園の管理事務所で伺った話では、この辺りが公園化されたのは、昭和55(1980)年10月であるとのこと
それ以前の状況を知りたかったのだが、資料が全く見つからなかった



古墳そのものは、水戸市埋蔵文化財分布調査報告書及び茨城県遺跡地図に載っており、径約20m、高さ約2mと報告されており、円筒埴輪も検出されているようだ


墳頂部


Jun.1.2010(Tue)23:21 | Trackback(0) | Comment(0) | 茨城県水戸市 | Admin


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