厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



高崎市

高崎市安楽寺古墳

高崎市安楽寺古墳
高崎市倉賀野町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
高崎市史では径約20m、高さ4mとある



説明看板
文字がだいぶ薄れていたが、何とか判読できた



墳丘は、寺の本堂で南側が削られている


その削られた箇所に、石垣を積まれているのが横口式石槨のあった場所
羨道部から、玄室部を経由することなく直接、横に口を開けた石棺にたどり着く構造で、県内では非常に珍しい形態
近畿との関連性が注目される一基である



現存する墳丘は、いくつかの石造物と竹の根に覆われている


2009年2月19日(木)22:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡倉賀野町第3号小鶴巻山古墳その2

西より見る


前方部
かつては桑畑でもあったようだ



前方部の真ん中は墓地になっている


後円部はあちこちで土取りの跡が見られた


2009年2月18日(水)21:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡倉賀野町第3号小鶴巻山古墳その1

群馬郡倉賀野町第3号小鶴巻山古墳
現在の高崎市倉賀野町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では規模が記載されていない



隣接する大鶴巻古墳の墳頂より見る
高崎市史では全長約87.5m、後円部の径45m、後円部の高さ6m、前方部の幅40m、前方部の高さ2.5mとある



後円部より見る前方部


前方部より見る後円部


以前は草木に覆われていた
市史によればこの後円部の中に、凝灰岩製刳抜式石棺の存在が確認されているという



2009年2月17日(火)22:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡倉賀野町第2号大鶴巻山古墳その3

周堀は非常によく残っている


墳丘北側の周堀


墳丘南西側の周堀


墳丘東側の周堀


看板も大事にしてください


2009年2月16日(月)21:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡倉賀野町第2号大鶴巻山古墳その2

前方部
後円部に比べてかなり低いため、非常に細長い印象がある



鞍部
前方部から後円部へ、墳丘はきれいな立ち上がりを見せている



後円部
高崎市史では「墳頂部から5m程下位の地点で等高線の間隔が緩やかになる部分がみられ」るとあり、ちょうど真ん中の高さの辺りでこの様子がはっきりと分かる



後円部より見る前方部
前方部南側の墳丘が、やや削り取られてしまっているのが分かる



前方部より見る後円部
主体部は未調査であるが、竪穴式と見られている



2009年2月15日(日)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

群馬郡倉賀野町第2号大鶴巻山古墳その1

群馬郡倉賀野町第2号大鶴巻山古墳
現在の高崎市倉賀野町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ408尺(約123.6m)、前方部の高さ30尺(約9.1m)、後円部の高さ45尺(約13.6m)とある



2007年5月の墳丘


2009年1月の墳丘


説明看板
国指定史跡なのに何なのだろう、この放置っぷりは・・・



北西より見る後円部


2009年2月14日(土)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その5

明治期の煉瓦


「製免敷上」の刻印が見られる
上敷免とは当時の埼玉県榛沢郡上敷免村のことで、これらは現在の深谷市にあった日本煉瓦製造株式会社で作られた煉瓦である



こちらは「煉日」の刻印
当初、上敷免製と打たれていた刻印は、その後製造会社の略称である日煉へと変化する



これらの煉瓦が、10号溝の脇などから見つかっている


その向こうには、多くの煉瓦が積み上げられていたが、先ほどの煉瓦とは別のものとの話であった


2009年1月23日(金)22:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その4

出土した形象埴輪と須恵器


五輪塔と鉄滓


板碑と内耳付土鍋


内耳付土鍋とかわらけ


鬼瓦


2009年1月22日(木)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その3

10号溝
今回の現地説明会で、一番見たかったのがこれ



このきれいなアールを描く溝
削平された円墳の跡なのである



ここからは川原石や円筒埴輪片が出土している


墳丘自体は径約15mの円墳と推定されている
ただし、墳丘や主体部は未確認とのこと



主体部があると推定される位置は、ちょうどこの未調査区との境目にあたり、竪穴式であるか横穴式であるかは今後の調査を待つしかない


2009年1月21日(水)22:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理

高崎市高崎城遺跡その2

2号堀
榎郭の堀と見られている



1号堀ほどではないが、そこそこに深い


2号堀から見て、1号堀の向こうに位置する5号溝
溝のかたちや遺物から、方形周溝墓の可能性があるとのこと



5号溝の手前にある11号溝
中世以前に遡るものである可能性があり、また五輪塔の一部が出土している



2号堀の東に位置する8号溝
これも中世以前の可能性があるようで、内耳付土器やかわらけが多く出土したとのこと



2009年1月20日(火)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理


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