佐波郡玉村町第20号古墳 |
|
| 佐波郡玉村町第20号古墳 佐波郡玉村町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ6尺(約1.8m)とある
| |
| 墳丘上には稲荷社の小祠が載っている
| |
| 南東より見る 綜覧には埴輪出土と記載されている
| |
| 北東より見る
| |
|
2009年5月21日(木)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
|
佐波郡玉村町第19号古墳 |
|
| 佐波郡玉村町第19号古墳 佐波郡玉村町角淵にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ70尺(約21.2m)、高さ7尺(約2.1m)とある
| |
| 墳丘は緩やかな斜面ながらも、しっかりときれいに円形を描いている
| |
| 北東より見る
| |
| 墳丘上は王子稲荷神社となっている
| |
| その手前にある、社殿の改築記念の碑 ということは、今の社殿はこの年に改築されたものなのだろうか
| |
|
2009年5月20日(水)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
|
佐波郡玉村町No.351遺跡 |
|
| 佐波郡玉村町No.351遺跡 佐波郡玉村町上茂木にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
| |
| 玉村町の遺跡台帳には「白山神社古墳」とも記載されている かつては白山神社があったようで、地図には鳥居のマークが記載されたものもあるが、現在神社であることを示すものは何もない
| |
| 墳丘の西側から北側にかけては墓地となっているが、いささか古いものばかり 墳丘北西側の裾部には何やら石造物が転がっているのが見える
| |
| すぐ南西には佐波郡玉村町第1号軍配山古墳があるせいか、こちらは忘れられた古墳といった雰囲気が漂う 本古墳の東には綜覧記載漏れの佐波郡芝根村第10号萩塚古墳も存在したが、現在は削平されてしまっている
| |
|
2009年5月19日(火)21:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
|
佐波郡玉村町第2号古墳 |
|
| 佐波郡玉村町第2号古墳 佐波郡玉村町上茂木にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ66尺(約19.9m)、高さ5尺(約1.5m)とある
| |
| 佐波郡玉村町第1号軍配山古墳のすぐ東に位置し、消滅した佐波郡玉村町第3号古墳などと共に茂木古墳群の北の一角を形成している
| |
| 南東より見る 近所の方は、「この墓地の土台は塚である」と話しておられた 塚といっても、話の内容から古墳のことをそう表現したようであった
| |
| 南南西より見る 手前にはかつて佐波郡玉村町第3号古墳があり、前述の方はその存在もしっかり記憶しておられた
| |
| ただ、群馬県遺跡台帳、群馬県文化財情報システム、玉村町遺跡地図のいずれにも本古墳は記載されていない 綜覧には「明治四十年以前発掘開墾セラレタルモノノ如シ」とあるが、出土品については何も書かれていない
| |
|
2009年5月18日(月)21:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
|
高崎市上大類町北宅地1236所在古墳 |
|
| 高崎市上大類町北宅地1236所在古墳 高崎市上大類町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
| |
| 古墳名は高崎市史に拠った
| |
| 市史では、規模15m×3m、高さ1mとある 見ての通り、楕円状に改変されてしまっている
| |
| 墳丘上には新井薬師の碑が建っている
| |
| 碑の裏には「明和五年一月祖先ノ建テタ御婆破損シタノデ昭和三十六年十月二十二日再建シマシタ」とある それが隣に建つ薬師像であるらしいが、詳しいことは不明
| |
|
2009年5月17日(日)21:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
群馬郡大類村第6号古墳 |
|
| 群馬郡大類村第6号古墳 現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さ6尺(約1.8m)とある
| |
| 高崎市史によれば、現在の規模はそれぞれ4m、1mであるとのこと かなり小さくなっており、藪に覆われてはいるものの、まだ何とか古墳と分かる
| |
| 綜覧には「石槨有」とあり、市史でも「横穴式石室?」「石室壁石が見え、角閃石安山岩を一部使用。」とあるが、確認は出来なかった 所有者の方にも伺ってみたが、分からないとのことであった
| |
| また、市史には「地境の西側は削平」とあるが、それがこれ 墳丘はすっぱりと断ち切られている
| |
| 墳頂部 藪の中に錆びた稲荷祠が転がっている 右下の板石で蓋がされた壷は綜覧記載の壷(市史では「中世壷出土」とある)で、許可をいただいて中を拝見させていただいた 中は土砂で埋まっていたものの、骨片らしきものが見受けられ、どうやら骨蔵器であるらしい
| |
|
2009年5月16日(土)21:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
群馬郡大類村第5号古墳 |
|
| 群馬郡大類村第5号古墳 現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ50尺(約15.2m)、高さ7尺(約2.1m)とある
| |
| 個人宅の庭にひっそりと位置し、墳頂部には綜覧記載の八幡祠が載る
| |
| 高崎市史では「横穴式石室?」とあるが、確認はできなかった
| |
| 現状こんな小さな古墳ではあるが、綜覧には刀、金環、勾玉、管玉の出土が記録されている
| |
| 北西より見る 石が多く転がっているが、所有者の方の話では古墳の石ではないとのことであった
| |
|
2009年5月15日(金)21:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
群馬郡大類村第3号稲荷塚古墳 |
|
| 群馬郡大類村第第3号稲荷塚古墳 現在の高崎市上大類町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ8尺(約2.4m)とある
| |
| 実際にはもう少し規模が大きかったようで、高崎市史ではそれぞれ約25m、約3mに訂正されている
| |
| 墳頂部は稲荷社となっており、所有者の方に伺った話では伏見稲荷を勧請したものであるとのこと また、勧請した時期もかなり古い時期のようであった
| |
| その周囲は石垣化されているが、その裾も実は墳丘であるらしい 要するに稲荷社の周辺だけ凸字状に高く残っている状態で、市史でも「現存するが、著しく改変」と記されている
| |
|
2009年5月14日(木)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 高崎市 | 管理
|
勢多郡下川淵村第1号浅間神社古墳 |
|
| 勢多郡下川淵村第1号浅間神社古墳 現在の前橋市横手町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長140尺(約42.4m)、前方部の高さ6尺(約1.8m)、後円部の高さ20尺(約6.1m)とある
| |
| 墳頂部には浅間神社を祀っている 綜覧では「石槨露出湟阯ヲ存ス」とあり、また前方後円墳集成でも横穴式石室の存在が記載されており、確認しようとしたが、所有者が留守だったために分からずじまい
| |
| 群馬県遺跡台帳によれば「前方部は大半破壊され、その現状をとどめず後円部は東南方と南方部が崩されている」とあるが、その後前方部は道路になり消滅した
| |
| 北北東より見る 分断された墳丘の断面形状がよく分かる
| |
| 道路の北には怪しげな土盛りも残っている 石祠を載せているあたり、どうも前方部の残滓の可能性を感じるが・・・?
| |
|
2009年5月13日(水)21:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
|
佐波郡上陽村第34号経塚古墳その2 |
|
| 本古墳の所有者の方にも話を伺うことができた 現在、墳丘上には桜の木が植わっているが、終戦直後までは樹齢何百年かの松の大木があったとのこと 終戦前夜の空襲で佐波郡宮郷村(現伊勢崎市)の学校が焼失し、再築の際に切り倒して木材を提供したそうである
| |
| 墳丘の周りは一面麦穂の海となっているが、かつては桑畑であったとのこと その頃は墳丘の裾が少しくぼんでいたということで、それが周堀の跡にあたるのだが、現在は埋まってしまっている 先々代にあたる方が墳丘を残す努力をされたらしく、その甲斐あって今もこうして墳丘を見ることができるのはありがたいことだ
| |
| 墳丘の南側には石垣があったとのことで、石室材かと思ったが、丸い石だったとの話から葺石と思われる 埴輪片などの出土は今もないようで、もしかしたら埴輪は並べられていなかったのかも知れない 前橋市指定史跡ということで、草刈りや周辺での農作業も含め、管理が大変だと奥様がこぼしておられたのが印象に残っている
| |
|
2009年5月12日(火)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理
|