佐波郡上陽村第34号経塚古墳その2 |
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本古墳の所有者の方にも話を伺うことができた 現在、墳丘上には桜の木が植わっているが、終戦直後までは樹齢何百年かの松の大木があったとのこと 終戦前夜の空襲で佐波郡宮郷村(現伊勢崎市)の学校が焼失し、再築の際に切り倒して木材を提供したそうである
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墳丘の周りは一面麦穂の海となっているが、かつては桑畑であったとのこと その頃は墳丘の裾が少しくぼんでいたということで、それが周堀の跡にあたるのだが、現在は埋まってしまっている 先々代にあたる方が墳丘を残す努力をされたらしく、その甲斐あって今もこうして墳丘を見ることができるのはありがたいことだ
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墳丘の南側には石垣があったとのことで、石室材かと思ったが、丸い石だったとの話から葺石と思われる 埴輪片などの出土は今もないようで、もしかしたら埴輪は並べられていなかったのかも知れない 前橋市指定史跡ということで、草刈りや周辺での農作業も含め、管理が大変だと奥様がこぼしておられたのが印象に残っている
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May.12.2009(Tue)21:11 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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