厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



2009年9月を表示

多野郡平井村第440号天王塚古墳

多野郡平井村第440号天王塚古墳
現在の藤岡市白石にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ100尺(約30.3m)、高さ13尺(約3.9m)とある



墳頂部が削り取られているのがよく分かる
元々、墳丘上には八坂神社が祀られていたが、明治40(1907)年に近くの飯玉神社に合祀され、社殿だけが残った
その後、戦後になってから社殿を修築、天王神社としたらしいが、それ以前から「天王塚」と呼ばれていたようだ



この社殿の「修築の際に、石室まで掘り込んで、出土したものもあったような話も残っている」と、群馬大学の尾崎教授は「白石古墳群調査報告書」で述べている
それとは別に、綜覧では鳥形埴輪の出土が記録されている



周囲は畑と建物に囲まれているものの、まだまだじっくりと見学できる状態


墳頂部
手前の石段に使われている石の一部は、石室材であるという話をどこかで見たような気がするのだが、はてさてどこであったか・・・



2009年9月20日(日)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第56号伊勢塚古墳その3

石室内部
ちょっと露出オーバー気味だが、実際に目で見てみると、見事な石積みに感動する
群馬県遺跡台帳では「用石、石室構成上から全国的にも稀にみる貴重な古墳である」としている



きれいなラインを描くドーム型の天井
真ん中に落とし込まれた天井石と奥壁の石は牛伏砂岩製らしい



玄室部右側壁より玄門部を見る
あちこちにちりばめられた大きい石は鏑川から、その間を埋め尽くす棒石は鮎川からそれぞれ集められたらしい
そして、それらの使い分けが実にすばらしい対比を織りなしている



ちょっと露出を変えて撮っているうちに気付いた
この模様積み、どうしてこういう積み方にしたのだろうと考えていたが、夜空の満天の星を表現したのではないだろうか



2009年9月19日(土)22:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第56号伊勢塚古墳その2

南より見る


西より見る
墳丘の段がしっかり見てとれる



西より見る北西裾部
八角形の基壇部の上に円形の墳丘が載るかたちで、まるで皿に盛ったアイスクリームのような感じ
墳丘自体はどうやら、四隅を切り取って八角形となった上円下方墳、という趣であったようだ



羨道部左側壁


羨道部右側壁


2009年9月18日(金)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第56号伊勢塚古墳その1

多野郡美土里村第56号伊勢塚古墳
現在の藤岡市上落合にある八角形墳で、上毛古墳綜覧では大きさ108尺(約32.7m)、高さ14尺(約4.2m)とある



説明看板


本古墳の南、七輿山古墳の墳頂部より見る
説明看板の「不正八角形墳」とは、方墳の四隅がスパッとカットされたようなかたちで、一辺の長さが長短長短と交互につながるものであるという
この辺は、昭和63年藤岡市教育委員会発行の伊勢塚古墳・十二天塚古墳範囲確認調査報告書に記載の図面を見ると分かりやすい



石室入口
羨門の位置から約1.5mほどまで、天井石が失われているのが残念なところ



草に埋まるとこうなる


2009年9月17日(木)22:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第51号古墳

多野郡美土里村第51号古墳
現在の藤岡市上落合にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ15尺(約4.5mとある)



・・・と書いたものの、厳密に言えばこれは古墳そのものではないらしい
確かに古墳を構成するものの一部であり、円筒埴輪や人物埴輪も出土しているが、墳丘ではない
では何かというと、背後にある七輿山古墳の中堤帯の一部である可能性が高いとのこと



以前からここは墓地として利用されており、石垣も後世の改変であるそうだが、近年になって、史跡として整備する際に墓を撤去している
その奥に見える池も、七輿山古墳の周堀だった名残の可能性があるらしいが、どこまで本当なのだろうか



2009年9月16日(水)22:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第26号古墳

多野郡美土里村第26号古墳
現在の藤岡市上落合にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ342尺(約103.6m)、前方部の高さ13尺(約3.9m)、後円部の高さ17尺(約5.2m)とある



綜覧では立派な数字が記録されているが、現在は前方部の一部が墓地として残るのみ
大きさや位置的に見て、七輿山古墳との関連もありそうに思えるだけに、この現状は惜しまれる



画像中央付近の石垣は、石室材の転用であるとのこと
綜覧には「石室開口ス」とあり、なかなかに大きい石を使っていたらしい



2009年9月15日(火)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第17号古墳

多野郡美土里村第17号古墳
現在の藤岡市上落合にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ6尺(約1.8m)、高さ5尺(約1.5m)とある



綜覧記載の数字はどうやら誤記もしくは誤植だったようで、藤岡市遺跡詳細分布調査によると径21m、高さ1.6mとのこと


こちらから見ると、けっこう大きいように見えるが、これはどうやら地形であるらしい
こうした、地形を利用した墳丘というのはすぐ近くにある綜覧多野郡平井村第576号稲荷山古墳(白石稲荷山古墳)がいい例だ



2009年9月14日(月)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第7号古墳その2

その宗永寺裏東塚古墳から出土したとされているのが、この石棺
宗永寺の境内に保存されていて、自由に見学できる



説明看板ならぬ説明石碑
記述の中に「天神山古墳」という古墳が出てくるが、これは上毛古墳綜覧で「石室、長持形石棺アリ」と書かれた多野郡美土里村第2号古墳のことであろうか



肝心の石棺自体は、身の部分だけが残っているといった感じ


縄掛突起の位置もはっきりと分かる


その手前に転がっている破片は、身の欠けた部分のものなのか、それとも蓋の残骸なのか・・・


2009年9月13日(日)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第7号古墳その1

多野郡美土里村第7号古墳
現在の藤岡市上落合にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ180尺(約54.5m)、前方部の高さ15尺(約4.5m)、後円部の高さ19尺(約5.8m)とある



前方部
手前は幼稚園



後円部
コンクリ要塞化された墓地となっているが、段の付いた高さがあるせいか、古墳だと分かりやすいかたちをしている



別アングルから見てみる


ちなみにこれは、藤岡市平井地区1号古墳からの眺望
本古墳の向こう、鏑川を越えた先には高崎市山名町、綜覧期で言うところの多野郡八幡村があり、そこにも古墳が数多く所在している
なお、本古墳は宗永寺裏東塚古墳とも呼ばれているようだ



2009年9月12日(土)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理

多野郡美土里村第4号古墳その2

後円部墳頂部より見る前方部


前方部墳頂部より見る後円部


前方部北西側
ここから見ると、古墳としての面影は色濃く残っている



前方部南西側
こちらもよく角が残っている
本古墳は現在、「宗永寺裏西塚古墳」と呼ばれているようだ



2009年9月11日(金)22:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 藤岡市 | 管理


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