佐波郡玉村町第34号古墳・佐波郡玉村町No.238遺跡 |
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| 佐波郡玉村町第34号古墳 佐波郡玉村町上之手にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ103尺(約31.2m)、高さ15尺(約4.5m)とある
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| 畑と新興住宅が混在する場所に、ぽつんと佇んでいる 訪問時、柿がとても美味しそうに成っていた 「上之手薬師前古墳」とも呼ばれており、佐波郡玉村町の遺跡台帳ではNo.239遺跡として登録されている
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| 反対側は墓地となっている 葺石が大量に露出しているのが見える
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| 佐波郡玉村町No.238遺跡 佐波郡玉村町上之手にある古墳で綜覧記載漏れ
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| こちらも墓地となっている
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2008年6月27日(金)21:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡芝根村第4号殿台山古墳・佐波郡玉村町No.370遺跡 |
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| 佐波郡芝根村第4号殿台山古墳 現在の佐波郡玉村町下茂木にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では前方部の幅77尺(約23.3m)、前方部の高さ4尺(約1.2m)とある
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| 現存する部位は前方部のみで、後円部は削平されてしまっている また、綜覧では「デンデ山」という名前も併記されている。発掘歴有とも書かれているが、出土品については記載なし 「日本の古代遺跡16 群馬東部」(保育社刊)によれば「規模は明確ではないが、金環、銀環、勾玉、管玉、小玉、大刀、鉄鏃、銀製弓弭(ゆはず)、轡、銅鋺、土器などが出土」とのことである 現在、墓地入口には多数の石碑や石宮が並んでいる
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| 東から見る 左側のこんもりしたところが綜覧佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳 本古墳の木の枝の下に重なる墓地が佐波郡玉村町No.370遺跡、そして右端の住宅地が綜覧佐波郡芝根村第2号オトカ塚古墳跡地で、その遥か向こうには綜覧佐波郡玉村町第1号軍配山古墳がある
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| 佐波郡玉村町No.370遺跡 現在の玉村町下茂木にある古墳で、綜覧記載漏れ
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| 北西より 綜覧佐波郡芝根村第4号殿台山古墳と綜覧佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳が背景に写っている 本古墳の遺跡番号は佐波郡玉村町が作成した遺跡台帳の番号である
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2008年6月20日(金)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳・佐波郡芝根村第6号古墳 |
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| 佐波郡芝根村第3号梨ノ木山古墳 現在の佐波郡玉村町下茂木にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ32尺(約9.7m)とある、
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| 綜覧でも説明看板でも円墳とされているが、最近の発掘調査で前方後円墳と分かっている 明治16年に発掘された際、刀や曲玉が出土したとのこと ここも彦狭島王の陵墓という伝承があり、別名「皇院廻り古墳」とも呼ばれていたようだ
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| 墳丘を南側より見る こちらからだと、確かに前方部を失した前方後円墳に見える ここのすぐ北東には、綜覧佐波郡芝根村第2号オトカ塚古墳という前方後円墳があり、現在削平され宅地になっているが、宅地化前に行われた発掘調査の際の写真が玉村町歴史資料館に展示されている
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| 佐波郡芝根村第6号古墳 現在の佐波郡玉村町川井にある円墳で、綜覧では大きさ36尺(約10.9m)、高さ4尺(約1.2m)とある
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| 北東から見る 墳丘はコンクリで固められた墓地となっている 左側は、本古墳に隣接する東栄寺の本堂
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2008年5月23日(金)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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佐波郡玉村町第15号古墳 |
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| 佐波郡玉村町第15号 佐波郡玉村町角淵にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ85尺(約25.8m)、高さ10尺(約3m)とある
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| 綜覧記載の大きさは誤記であったようで、説明看板によれば径12mとのこと この数字を尺貫法に直せばだいたい40尺となるのだが、どう誤記したら85尺になるのだろう 以前は玉村町中央公民館の敷地内に石室部分が移築復元されていたのだが、中央公民館の閉鎖に伴い、玉村町文化センターの敷地内に再度移築された
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| 石室部分を正面より見る 天井石は失われており、どのような石が使われていたのかも不明とのこと この削石の互目積を見ていると、勢多郡富士見村の横室古墳公園に移築された上庄司原2号古墳(綜覧勢多郡富士見村第9号古墳)の石室を思い出す
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| こちらから見ると、前庭部の石積みが厚いことが分かる ほとんどの古墳では、封土に埋まったり崩落したりと、なかなかはっきりとは見られない部分でもある
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| ここ文化センターに再移築された際に、墳丘を復元されているため、古墳とはっきり分かるようになった ちなみに文化センター2階には玉村町歴史資料館があり、玉村町小泉の小泉古墳群についての展示も見ることが出来る
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2008年5月22日(木)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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軍配山古墳その2 |
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| そんなわけで、1周年の記念に再訪してきた ついでに今回初めて墳頂にも登ってみたりして
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| 南側の墳丘が崩されているためか、見る角度によってだいぶ印象が異なるのが特徴 これは南東側から見たところ
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| 墳頂に建つ「軍配山古墳碑」 彦狭島王の墳墓との伝承があるだとか皇紀八百年前後(え、西暦だと140年前後・・・?)の築造だとか何だとかいろいろ書いてあり、裏は昭和5年の発掘時に出土したものの一覧が書いてある
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| 墳頂より、滝川一益の気分になって神流川方面を見てみる しかし、ここからでは、神流川古戦場跡は大して見えなかった もしかして、滝川一益の敗因って・・・?
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| 滝川一益がどーのとか、軍配山古墳の詳細がどーのとかは、この看板にて熟知すべし 実際、築造年代はけっこう古く4世紀末のものとされ、主体部も竪穴式だったようだ 直径約40m、高さ約6mの円墳である
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2008年4月27日(日)22:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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軍配山古墳その1 |
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| 上毛古墳綜覧佐波郡玉村町第1号軍配山古墳 ちょうど1年前の今日、古墳訪問を始めたときのファーストショットがこれ ここの古墳自体は高校のとき、地元玉村町に住む同級生に案内してもらったことがあり、まったく知らない古墳ではなかった
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| ここから少し西に行った県道40号藤岡大胡線にも案内板があり、所在自体は高校当時から知っていたと言える この県道を通ったとき、軽い気持ちでついでに立ち寄ったのがすべての始まり それから1年、群馬県内だけで200以上の古墳を訪れ、その写真を撮ってきた
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| その後もやはり何度か見に行ったりしており、馴染みのある古墳の一基でもある
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2008年4月27日(日)22:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 佐波郡玉村町 | 管理
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