厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



前橋市

勢多郡下川淵村第2号古墳

勢多郡下川淵村第2号古墳
現在の前橋市亀里町にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ39尺(約11.8m)、南北の大きさ52尺(約15.8m)、高さ9尺(約2.7m)とある



綜覧では「石槨ノ一部現存」とあるが、確認できなかった


墳丘上には薬師像が忘れられたように鎮座している
聞き込みの際に案内していただいたお年寄りの話では「ここで悪ふざけすると神様(薬師様)に怒られる」と子供の頃から言われていたそうである
そうした話を知っている年頃の人たちはもうみんな死んだと、寂しそうに話しているのが印象に残っている



その薬師像のすぐ下に転がる、笠の外れた宝塔
「地震で笠が落ちた」との話だったが、いつの地震なのかは聞きそびれた
恐らく関東大震災かと思われるが・・・



2008年8月28日(木)21:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡清里村第3号古墳

群馬郡清里村第3号古墳
現在の前橋市池端町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ118尺(約35.8m)、高さ19尺(約5.8m)とある



正面というよりは、鳥居の手前からだと、森に隠れてあまり気付かないが、けっこう比高のある墳丘が残存している
神明宮の社殿が載っかった南側はだいぶ改変されているが、一目で「これは!」と気付くものがある



南西より見る
木立の向こうには立派な墳丘がしっかり見てとれる



北西より見る
手前には恐らく周堀があったものと思われる



北東より見る
なお、綜覧では発掘歴は無しということであり、出土品も記録されていない



2008年7月22日(火)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡清里村第1号諏訪山古墳

群馬郡清里村第1号諏訪山古墳
現在の前橋市青梨子町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ208尺(約63m)、高さ17尺(約5.2m)とある



県道を挟んで綜覧群馬郡金古町第4号高山古墳のすぐ南東にあり、行政区分こそ異なるものの、古墳自体は橋向・内林古墳群とも関係がありそうに思える
手前の道路がその県道であるが、ここは55年前まで路面電車が走っていた



さて、墳丘上には諏訪神社が鎮座しているのだが、鳥居が破損していたり、石段の段が崩れかけていたりと、だいぶ荒れてきてしまっているのが惜しいところ
手前の庚申塔は江戸期寛政年間に建てられたもの



墳丘上にはいくつかの巨石が見受けられたが、石質を見る限り、石室材ではなさそうな感じ
綜覧には「石槨アリシトイフ」と記載されているのだが・・・



2008年7月21日(月)22:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第5号稲荷山古墳

群馬郡総社町第5号稲荷山古墳
現在の前橋市問屋町にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ51尺(約15.4m)、高さ8尺(約2.4m)とある



近年、あちこちに改修がなされたらしく、古墳の面影はあまり感じられないうえに、説明看板でも古墳については全く触れていない
群馬県遺跡台帳では「水田中にある。墳丘はほとんど平坦化され、その中央部のみが、径10数m、高さ2m程残っている」とあり、綜覧記載の規模とあまり変わらないように思える
もちろん水田は今ではまったくなくなってしまったが、この書き方だと昔はもっと大きい古墳だったように受け取れる



あれこれ見て回ったが、「古墳」として書かれているのはこの石碑だけだった
この稲荷社、丁間稲荷と呼ばれているのだが、総社町史ではなぜか町見稲荷と記載されていた



おそらく、ここが古墳であるということよりも、墳丘上に移設された笠塔婆のほうが遥かに知名度がありそうな感じ
ちなみにこの傘塔婆、前橋市指定文化財だったりする



2008年7月8日(火)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第14号大神宮様古墳

群馬郡総社町第14号大神宮様古墳
現在の前橋市桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある



群馬県文化財情報システムでは、プロットされた位置が非常にずれており、本当にここでいいのか不安になったが、総社資料館で聞いたところ「総社の植野で大神宮と言ったらここしかない」とのこと
群馬県遺跡台帳では、残っている盛り土の「南面するその中腹には、石室の石材らしきものがみられる」ということであるが、こんな現状ではどうしようもない



本古墳の南側にある墓地(道は直接繋がっていない)
どうもこれは怪しいな・・・と思って、これまた総社資料館で聞いたら「これは古墳だと聞いている」とのことであった



遺跡台帳の本古墳の項には「付近には4カ所古墳の跡がある」と記されており、これがそのうちの1基と思われる
本古墳と綜覧群馬郡総社町第15号薬師塚古墳はすぐそばなので、「薬師塚古墳東30m」、「北300m」の2基もこれに含まれるものと仮定して計3基
残りの1基はどこにあったのだろうか



2008年7月7日(月)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第13号一本木塚古墳・群馬郡総社町第15号薬師塚古墳

群馬郡総社町第13号一本木塚古墳
現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ77尺(約23.3m)、高さ7尺(約2.1m)とある



総社町史によれば「植野の稲荷神社の附近にも十二塚の名が示すように、相当古墳があつたことと思われるが利根川に欠落され」たということである
現在の利根川の流れは、古墳時代とは違うものなのだが、確かに地図で見ると、総社古墳群を、利根川を越えてそのまま南東方向に伸ばしていくと前橋市街地の古墳に突き当たる



この崖の南東にもかつてはいくつかの古墳が見受けられたのであろう
その先は綜覧前橋市第11号古墳(前橋城内)や綜覧記載漏れ龍海院裏古墳、綜覧前橋市第9号古墳(前橋八幡宮)と繋がっていき、やがて広瀬古墳群に行き着く



群馬郡総社町第15号薬師塚古墳
現在の前橋市総社町桜が丘にある円墳で、綜覧では大きさ71尺(約21.5m)、高さ8尺(約2.4m)とある



綜覧には「石槨有」と記載されているが、確認できなかった
総社町史によれば、本古墳の東30mと北300mにもそれぞれ円墳のあった跡があるとのことだが、そのうち前者はどうやら道路を挟んで東側にある百庚申のことであるようだ
その百庚申も、墳丘の名残と思われる高まりは見受けられない
なお、綜覧群馬郡総社町第6号遠見山古墳の南側にも「薬師塚」と呼ばれる古墳跡があるとのことで、群馬県遺跡台帳では両者を混同してしまっている



2008年7月6日(日)22:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第7号大小路山古墳・群馬郡総社町第12号稲荷山古墳跡

群馬郡総社町第7号大小路山古墳
現在の前橋市総社町総社にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ53尺(約16.1m)、高さ7尺(約2.1m)とある



墳頂部には熊谷稲荷神社が建っている
神社境内には石が多数見られ、群馬県遺跡台帳でも「石塔や頂上部に散在する石、及び石片は石室に使用されたものとみられる」とあるが、現状そんな感じに見られずちょっと古墳の面影が薄い



しいて挙げれば、この高まり程度だろうか
神社の説明看板にも、古墳については何も触れていない



群馬郡総社町第12号稲荷山古墳
現在の前橋市総社町総社にあった円墳で、綜覧では大きさ110尺(約33.3m)、高さ16尺(約4.8m)とある



土地の所有者のお宅にある稲荷社
元は本古墳の墳頂部にあったもので、削平時にここへ移設したもの
古墳自体はこの背後にあったが、削平前の状況は「墳丘は大部分破壊され、横穴式石室の石材も、一部露出している」状態だったようだ
土地の所有者によれば25年ほど前に削平、その際に錆びた刀が出てきたとのことで、学校に寄付したものの、管理が移ったとかで現在は所在が分からないとのこと
なお、跡地にはアパートが建っている



2008年7月5日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳その2

石室入口
かなり狭くなってしまっているが、それが探検にちょうどいいのだろう、近在の子供の遊び場にもなっているようだ
いつぞや訪れたときは、何人かの子供たちが探検ごっこをしていた



石室内部より入口を見る
ごらんのとおり、かなり埋まっている



家形石棺
盗掘の跡がしっかりと確認できる



石棺内部はもちろんもぬけの殻
さて、どんな副葬品があったのやら



2008年7月4日(金)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳その1

群馬郡総社町第10号愛宕山古墳
現在の前橋市総社町総社にある方墳で、上毛古墳綜覧では大きさ180尺(約54.5m)、高さ約26尺(約7.9m)とある



綜覧では円墳とされているが、近年の調査で方墳と判明している
周囲は数年ほど前までは桑畑が広がっていたのだが、中学校が移転したり、宅地化が進んだりと、だいぶ景観が変わってしまった



石室入口と説明看板
二段構築の基壇部にある
周りは墓地となっており、江戸期の年号が刻まれたものもかなり見受けられる
割と新しい墓も建っているのだが、墓を建てた人に連絡がつかないために、市指定の史跡になり損ねたとのことである



説明看板
ちなみに、墳丘には登れなくもないが、藪が多いうえに東側で足を踏み外したりすると、すぐ脇を流れる天狗岩用水に真っ逆さまに転落する危険があり、おすすめしない



2008年7月4日(金)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

前橋市第3号唐櫃山古墳石棺

前橋市第3号唐櫃山古墳石棺
前橋市文京町にあった帆立貝式古墳で、上毛古墳綜覧では大きさ120尺(約36.4m)、高さ10尺(約3.0m)とある



説明看板
ステンレスだと、文字が見づらい・・・
唐櫃山古墳自体は、古くに削平されており、現在宅地になっているが、出土した石棺が唐櫃山古墳の所在した場所から北西に約900m離れた中川小学校の校庭に展示されている



石棺自体は風化が進み、苔むしてしまっている
蓋の部分は所在不明だが、高崎市不動山古墳(綜覧群馬郡岩鼻村第15号不動山古墳)のように、覆屋でもかけられないものだろうか
現物を見る限り、長さはかなり短いもので、現代人と古代人の身長差はそんなにあったのだろうかとも考えてしまう



比較的古い家形石棺とのことだが、これを見ると確かに総社愛宕山古墳(綜覧群馬郡総社町第10号愛宕山古墳)の家形石棺を彷彿とさせるものがある
手前には石室材と思われる石があり、もしかしたら石室の側壁あたりに収まっていたものなのかも知れない
何となくだが、榛名山二ッ岳由来の角閃石安山岩のように見える



反対側には、石棺と同じくらいの大きさの巨石も置かれている
これらの石については説明看板でも触れていないが、楔を打ち込んで割った加工痕がはっきりと見てとれる
これも古墳の石室材なのだろうか



2008年7月3日(木)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


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