勢多郡粕川村第36号古墳 |
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勢多郡粕川村第36号古墳 現在の前橋市粕川町月田にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ95尺(約28.8m)、高さ15尺(約4.5m)とある
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説明看板
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現在、壇塚古墳と呼ばれているが、これは綜覧にも「墳丘二段アリ」と記されているように、基壇部と二段目がはっきり分かることから付けられた古墳名であると思われる
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石室入口 綜覧には、そういった記述がまったくないので、それ以降に開口したのだろう
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西より見る
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Oct.22.2008(Wed)21:28 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市古屋敷古墳 |
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前橋市古屋敷古墳 前橋市馬場町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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昭和40(1965)年8月に群馬大学史学研究室によって発掘調査されているが、結果は非常に破壊の進んだ状態であった 墳丘北側は大半を道路で削り取られ、石室も前橋市新山1号古墳のように天井石などが失われていたとのこと
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現在、前橋市宮城地区に於いて唯一墳丘の残る古墳であるが、現状とは裏腹に、墳丘・石室ともに大きなもので、羨道部西壁の長さは調査時で2.22mに達していたという 状態がよくなく、石室は羨道部のみの調査であったが、この羨道部からは、鉄鏃を中心に50点以上の遺物が出土しており、刀子、刀の吊り具、鯉口なども出土している なお、埴輪は破片すら一切見当たらなかったとのことである
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発掘中、石室東壁裏から上部にかけて、中世の五輪塔が3基分出土している また板碑も本古墳のすぐ東から出土しており「宮城村の古墳」では墳頂部は中世の頃にすでに破壊されたと推定している この五輪塔が、本古墳の東側にある石造物の中に混じっているのかも知れない
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本古墳のすぐ東にある前橋市指定重要文化財の板碑と石仏 この板碑が、上記の板碑と思われる 扱われ方を見ても、本古墳よりこちらのほうが有名なようだ
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Oct.19.2008(Sun)22:09 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市新山1号古墳 |
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前橋市新山1号古墳 前橋市馬場町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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標柱は県道沿いに立ってはいるが、古墳自体はもう少し奥まった場所にある といっても、墳丘自体は昭和33(1958)年の発見時点で完全に破壊されてしまっていた そのため、本古墳は円墳であったと推定されている
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横穴式石室の下部のみが現存しているが、訪問時はこのような状態 古墳がここにあると分かっていなければ、気づかないで通り過ぎてしまいそうだ 本古墳から北へ35mの地点には前橋市新山2号古墳が所在しているが、今回はまったく確認していない
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Oct.18.2008(Sat)23:20 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市白山古墳 |
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前橋市白山古墳 前橋市苗ヶ島町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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昭和29(1954)年に発見された古墳で、円墳と推定されているが、規模などのはっきりとした数字は分かっていない 昭和40(1965)年に勢多郡宮城村村史編集委員会が発行した「宮城村の歴史」には、群馬大学の尾崎教授によって本古墳の発見時の顛末が詳しく記されている その顛末は、古墳と認識されていなかったことによる悲劇とも言える内容であった
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かくして、現在は石室の奥壁と左右壁がわずかに残るのみであるが、8枚の和同開珎、そして佐波理の鋺などが出土している
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Oct.17.2008(Fri)21:08 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市M-6号古墳 |
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前橋市M-6号古墳 前橋市西大室町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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南東より見る 主体部の辺りが陥没しており、盗掘痕と思われる この陥没が細長く続いていることから、主体部は横穴式石室であると推定される
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東から見ると、墳丘のかたちがよく確認できる
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前橋市M-2号古墳があったと推定される位置より見る これほどの至近の位置にありながら、M-2号の主体部は竪穴式であったということで、これらの差異は、年代の違いだけが理由なのかどうなのか、気になるところだ
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Oct.4.2008(Sat)21:41 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市M-4号古墳 |
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前橋市M-4号古墳 前橋市西大室町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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葺石付きで復元するのはいいけど、整備を怠るとこうなるという例 何だか近寄りたくない雰囲気がしてくる
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せっかく復元したのなら、説明看板くらいはあってもいいのではないだろうか
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石室入口のつもりらしい箇所 これも、古墳や遺跡に造詣が深くない人には気付いてもらえないと思うのだが・・・
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金属製と思われる復元埴輪が並んでいる
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Oct.3.2008(Fri)21:19 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市M-3号古墳 |
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前橋市M-3号古墳 前橋市西大室町にある古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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木の下にひっそりと残るが、中二子古墳の調査概報では墳形不明とある 現状保存されているようだが、大室公園内では全体模型やその周辺にある説明看板に位置が載っているだけで、詳しいことは何も分からない
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概報では、「地形と占地位置を考えた場合、M-3、M-10(後二子)、M-11(小二子)の順番性はM-3→M-10→M-11といった構築順番が想定される」とある 後二子に先行する時期の築造ということになるが、こう書かれているということは、円墳ではなく前方後円墳もしくは帆立貝形墳であった可能性もあるということなのだろうか
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西から見る あまりに自然に木の下に入り込んでおり、言われなければまったく気付かないレベル
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でも、東から見ると「あれ?」と思えるかたちをしている
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Oct.2.2008(Thu)21:16 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市M-1号古墳 |
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前橋市M-1号古墳 前橋市西大室町にある帆立貝形古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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説明看板
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北より見る 大室の前方後円墳群をじっくり見て回ったあとに本古墳を見ると、後円部を非常に大きく感じてしまうのは気のせいではないはず
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後円部より前方部を見る 子供の遊び場となっており、復元墳丘とはいえ改変著しく、目も当てられない状況である
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後円部 古墳名のM-1というのは、前橋市教育委員会でつけた番号と思われる 1995年発行の中二子古墳調査概報によれば、大室公園内にはM-1からM-11までがプロットされている このうち前橋市M-7号古墳は本古墳の南南東350m、五料沼の底に沈み、また西北西100mにあった前橋市M-5号古墳の位置は駐車場となっている。また、前橋市M-6号古墳のすぐ北東にあった前橋市M-2号古墳も消滅しているようだ なおM-8以降は、綜覧前勢多郡荒砥村第51号二子古墳がM-8、綜覧勢多郡荒砥村第229号中二子古墳がM-9、綜覧勢多郡荒砥村第55号後二子古墳がM-10、綜覧勢多郡荒砥村第56号小二子古墳がM-11となっている
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Oct.1.2008(Wed)21:33 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市大室公園その3 |
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大室公園の南には、三棟の古代住居が復元されている
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定番ともいえる竪穴式住居
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高床式建物
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こちらから見ると、ちょっと趣が違う感じ
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平地式住居 休憩所としても使われている
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Sep.30.2008(Tue)20:56 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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前橋市大室公園その2 |
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大室公園、上毛古墳綜覧勢多郡荒砥村第55号後二子古墳の南にある全体模型 4つの前方後円墳のほか、前橋市M-1号古墳から前橋市M-6号古墳までの6基の古墳も位置がしっかり載っている 右側のおびただしい方形状のものは住居跡を示している また、綜覧勢多郡荒砥村第55号後二子古墳のそばの赤い立方体は、現在位置を示している
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全体模型を囲む柵の前に据えつけられている説明看板その1
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説明看板その2
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説明看板その3
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説明看板その4
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Sep.29.2008(Mon)22:11 | Trackback(0) | Comment(0) | 前橋市 | Admin
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