厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



前橋市

勢多郡南橘村第35号古墳

勢多郡南橘村第35号古墳
現在の前橋市田口町にある円墳で、上毛古墳綜覧では径50尺(約15.2m)、高さ8尺(約2.4m)とある



橘神社の奥、雷電神社の社殿裏に墳丘があるとのことだが、どうにも分かりづらい


綜覧で高さ約2.4mとあり、しかも山の上では・・・


綜覧には「秋葉社有」と記載されており、右奥に見える石祠がそれかもしれない


2009年3月15日(日)20:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第2号王山陪塚其一跡・群馬郡総社町第3号王山陪塚其二跡

群馬郡総社町第2号王山陪塚其一跡
現在の前橋市大渡町にあった円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ30尺(約9.1m)、高さ6尺(約1.8m)とある



群馬県遺跡台帳によれば、昭和47年滅失したとのこと
その直前の頃には「墳丘は大部分崩され、その中心を僅かに残すのみ」であったようだ
綜覧には石碑の存在が記載されているが、その後の状況は不明である
群馬県文化財情報システムにプロットされた位置はちょうどこの店舗の辺り。利根川を挟んだ向こうには、綜覧前橋市第11号古墳、龍海院裏古墳、綜覧前橋市第9号古墳と、古利根川に沿って古墳の造営が続いていた



群馬郡総社町第3号王山陪塚其二跡
現在の前橋市大渡町にあった円墳で、綜覧では大きさ35尺(約10.6m)、高さ8尺(約2.4m)とある



台帳では「盛土は平坦化され、周囲は削られ現存する部分はその中心部のみである。墓地に利用されている」とのことだが、現在その墓地すらも残っていない
綜覧群馬郡総社町第1号王山古墳の説明看板にはこれらの陪塚の存在も書かれておらず、ここに古墳が存在したことすら忘れられてしまった



2009年1月12日(月)22:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第1号王山古墳その4

後円部に建てられた記念碑


前方部東側


前方部西側


駐車場もあるので、安心して見学できるのがありがたい


2009年1月11日(日)22:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第1号王山古墳その3

貴重な積石塚ということで、復元墳丘の下に2箇所、オリジナルの石積みが見学できるように保存されている


こうした保存・展示のしかたも、あまり見かけない気がするので貴重なものだ


近付いて見てみると、石自体はとても扁平なものだと言うことが分かる
普通の古墳だと、盛り土の上に葺石を敷くのだが、その葺石と比べると、全体的に幅が広い感じ



後円部より前方部を見る


前方部より後円部を見る


2009年1月10日(土)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第1号王山古墳その2

墳丘の整備の際、特徴ある横穴式石室は、保存のために埋め戻されてしまった


しかし、墳丘の石室真上にあたる部分に石を並べ、石室の寸法を知ることは出来る


非常に細長い羨道部
ここに立って見てみると、大人一人がようやく通れそうなほどの幅しかない



玄室部も細長い構造をしている
実際の玄室部の壁面では、赤い顔料が塗られているのが確認されたとのことである



奥壁にあたる位置から羨道部を見る
全長16.37m、現在確認されている群馬県内の横穴式石室で最長を誇る石室であった



2009年1月9日(金)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

群馬郡総社町第1号王山古墳その1

群馬郡総社町第1号王山古墳
現在の前橋市大渡町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長235尺(約71.2m)、前方部の高さ13尺(約3.9m)、後円部の高さ15尺(約4.5m)とある



綜覧記載時は、上記のようにかなりの高さが残っていたが、その後かなり削平が進んだようで、群馬県遺跡台帳が発行された頃には「前方部は大半を平夷されている。後円部も大分平坦化され」てしまった


説明看板
何段築造だったか分からなかったのかも知れないが、後円部の段はいくら何でも多すぎないか・・・?



前方部


後円部


2009年1月8日(木)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡下川淵村第3号古墳

勢多郡下川淵村第3号古墳
現在の前橋市公田町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では全長不明、前方部の高さ不明、後円部の高さ9尺(約2.7m)とある



神社の社殿裏に後円部が残っているが、前方後円墳集成では「現利根川の浸食により後円部崩壊、墳丘一部現存」とある
集成の記述を見る限り、径約8mの後円部の南側に長さ2m、高さ0.5mの造り出しを設けた帆立貝形墳だったとのことで、そうすると社殿が載っかっている辺りがそれにあたるようだ



綜覧では「明治初年発掘、石槨ヲ崩壊シ石垣トナス 後円部湟阯存ス」とあるが、墳丘のあちこちに見られる河原石の石積みがそうなのだろうか
また、集成では埴輪なし、河原石の葺石あり、そして馬蹄形の周濠ありと記載されている



2008年11月16日(日)22:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

前橋市塩原塚古墳

前橋市塩原塚古墳
前橋市田口町にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



説明看板


南西より見る
土のうで埋め戻されたという石室は、入口の場所すら分からない状態になってしまっている



北より見る
なぜ本古墳が綜覧記載漏れになったのか分からない
国道17号線を挟んで西側には、綜覧勢多郡南橘村第24号観音山古墳などの冠木古墳群が存在していたのに・・・(冠木古墳群は現在消滅している)



墳丘上は草木が生い茂り、登ることは困難であった


2008年11月4日(火)22:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡桂萱村第56号古墳跡

勢多郡桂萱村第56号跡
現在の前橋市上泉町にあった前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ83尺(約25.1m)、高さ10尺(約3m)とある



綜覧では円墳として記載されているが、前方後円墳集成東北関東編(山川出版社刊)では「猫見塚古墳」の名で載っており、「前方後円墳(帆立貝形?)」とされているので、そちらに倣った
現在はほぼ完全に削平された状態で、古墳としての痕跡はまったく見受けられないが、近所のお年寄りから興味深い話を聞くことができた



前方後円墳集成では、周濠あり埴輪あり葺石あり竪穴式石槨ありと記載されているのだが、お年寄りの話をまとめると、話が全然違っていた
杖で指し示すほどの比高があったにもかかわらず、土取りの際に調査したところ、石ころすら出てこなかった。これだけの高さがあるから刀でも出てくるかと思っていたのに、何も出なかった。石槨の石も出なかったから、古墳じゃなくて別の何かの塚だったのだろう。土はダンプがどこかに持っていった
さて、このお年寄りの話はどこまで本当なのだろうか。同じ旧勢多郡桂萱村内の綜覧勢多郡桂萱村第51号新田塚古墳の名や旧勢多郡荒砥村に数多くの古墳が存在すること、そして石槨という言葉をご存知だったことから、ある程度古墳に関する知識はお持ちのようであったが・・・



2008年11月3日(月)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理

勢多郡荒砥村第355号古墳・前橋市富田の宝塔

勢多郡荒砥村第355号古墳
現在の前橋市富田町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ165尺(約49.9m)、前方部の高さ7尺(約2.1m)、後円部の高さ16尺(約4.8m)とある



現在残っている墳丘は後円部であるらしい
説明看板と標柱が見えるが、残念ながら本古墳のものではない



墳丘上より前方部を見る
群馬県遺跡台帳では「前方部は水田となっている。前方後円墳で、前方部の一部の土がとられている」とあるのだが、その残りがこれだろうか



本古墳の墳丘上には「赤城塔」と呼ばれる宝塔が立っている


宝塔の説明看板
古墳自体は市指定文化財でも何でもないようだ



2008年11月2日(日)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 前橋市 | 管理


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