佐波郡茂呂村第25号古墳続編その4 |
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| 今年6月に群馬県埋蔵文化財調査事業団の主催で開かれた調査遺跡発表会で、伊勢崎市教育委員会の方が 「石室材に番号を付けてあり、どこかで移築復元出来ればいいなと思っている」旨を語っておられたのが、印象に残っている
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| そして墳丘は消えた
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| 三累環頭大刀などの貴重な遺物が出たことは喜ばしいが、それでもやはり墳丘が消えることに関しては寂しい感じがある
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| 標柱だけがぽつんと残る 「七世紀」と書かれていたこの古墳は、調査の結果6世紀後半の前方後円墳と推定されることとなった
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2010年10月29日(金)20:36 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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