山梨県甲府市証文塚古墳その2 |
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| 本古墳の名称の由来について、所在地である称念寺の住職に話を伺ってみたが、はっきりとは分からない様子であった 甲府市教育委員会にも問い合わせてみたが、こちらでも把握していないらしい
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| 南側の石垣は、明治24、5(1897、8)年頃に作られたものだと、住職は話しておられた 一度崩れたことがあり、その際にいくつかの出土品が見つかっており、それらは道路向かいの千塚小学校の先生方がまとめて持っていったらしい
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| 葺石や埴輪の有無についてはまったく分からないが、こうして石垣を見ていると、これらの石のどれかは葺石だったのではないかと思ってしまう・・・
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2009年11月3日(火)22:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山梨県 | 管理
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