新田郡九合村第69号男体山古墳その4 |
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| さすがは東国最大の前方後円墳、墳丘全体をきれいに見渡せる場所はあまりない この位置から見ると、前方部と後円部の比高差がよく分かる
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| きれいに見ようと思ったら、墳丘南東にある東武鉄道の陸橋に出るしかない しかし、これも桜の散る頃にはすでにここまで緑が萌え揃ってしまうので、今ぐらいの時期が一番お勧めである
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| 鞍部の南裾には怪しい石が転がっているが、これも落ち葉に埋没してしまいそうだ
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| これがよく言われる「長持型石棺の破片」だと思われるのだが、何となく石材が違うようにも見える 周辺にはこれ以外の石は顔を見せておらず、本当に石棺材なのか確証は持てない
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| 後円部墳頂部より見る周溝とA号陪塚
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2011年1月14日(金)20:47 | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡九合村第69号男体山古墳その3 |
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| 墳丘の外には、周溝が非常に良く残っている
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| ただ、周溝自体はまだ私有地であるようで、耕作が行われているようだ
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| 墳丘の北端には、周溝を分断するようなかたちで群馬県道2号前橋館林線が走っている もう少し、歴史に配慮した建設はできなかったのだろうか
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| 周溝の北側は、緩やかなカーブを描いている
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| 一部にくぼんだ箇所があり、雨のあとは水が溜まりやすくなっている
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2011年1月11日(火)20:53 | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡九合村第69号男体山古墳その2 |
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| 後円部より見る前方部
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| 前方部より見る後円部
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| 鞍部
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| その鞍部には、現在の古墳名の元となった天神様が祀られている
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| 後円部墳頂部
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2011年1月7日(金)20:38 | コメント(0) | 太田市 | 管理
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新田郡九合村第69号男体山古墳その1 |
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| 新田郡九合村第69号男体山古墳 現在の太田市内ヶ島町にある前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ693尺(約209.9m)、前方部の高さ40尺(約12.1m)、後円部の高さ86尺(約26.1m)とある
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| 説明看板
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| 古墳が好きな人には、言わずと知れた東国最大の前方後円墳である ・・・が、どうもそういったことが、あまり一般の人にまでは伝わっていないような感がある
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| 前方部
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| 後円部
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2011年1月4日(火)21:08 | コメント(0) | 太田市 | 管理
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太田市飯田古墳群 |
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| 太田市飯田古墳群 太田市飯田町にある古墳群である
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| ・・・が、現存するのは上毛古墳綜覧記載漏れの本古墳のみであるらしい その本古墳も、雷電神社の社殿裏に半壊状態で現存している
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| 群馬県遺跡台帳にあるとおり、「市道のために北側半分が削りとられ」たというのがよく分かる
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| 裏に回ってみれば、まるで断面図のようなかたちで、墳形がくっきりと浮かび上がっている
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| 墳頂部 台帳には「墳丘上に石棺が祀られる」とあるが、それらしき巨石は見あたらなかった 「石室材」のように見受けられる石であれば、何となく納得できそうなものはあるのだが・・・
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2010年12月31日(金)07:44 | コメント(1) | 太田市 | 管理
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伊勢崎市上原古墳跡 |
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| 伊勢崎市上原古墳跡 伊勢崎市三和町にあった古墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
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| 詳しい資料がなく、古墳の規模は不明
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| 現在、墳丘は全く残っていないが、石室材とされる石がいくつかまとめられて、所在していた場所付近で個人宅の庭石となって残っている
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| 個人宅の方の話では、かつては小さな池があり、その周辺を囲むように石を並べていたということであるが、明らかに他所から持ってきた石も混じっており、どれが本来の石室材であるのか、特定は難しい状況
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| この石あたりは、かなりそれっぽい印象 なお、古墳名は群馬県埋蔵文化財調査事業団が2008(平成20)年に発行した「本関町古墳群」付録の古墳分布図に拠った
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2010年12月28日(火)20:43 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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佐波郡殖蓮村第76号古墳 |
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| 佐波郡殖蓮村第76号古墳 現在の伊勢崎市本関町にある円墳で、上毛古墳綜覧では規模不明とある
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| 新沼の中にぽっかりと浮かぶ小島が、実は古墳であるらしい 綜覧には現状について「沼底」とある
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| 本古墳からは「刀二口」の他に「石棺出シトイフ」とも記載されているのだが、沼の中に取り残される前に盗掘でもされたのであろうか
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| 本古墳のすぐ北、沼の北岸には綜覧佐波郡殖蓮村第75号古墳もあったようだが、現在その痕跡は見いだせない
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2010年12月24日(金)22:12 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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佐波郡采女村第49号古墳 |
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| 佐波郡采女村第49号古墳 佐波郡境町を経て、現在の伊勢崎市境下渕名にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ84尺(約25.5m)、高さ11尺(約3.3m)とある
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| 群馬県文化財情報システムには、「田端山古墳」の名で載っている 古墳名は所在地名の小字に拠るものであるが、大字のほうは綜覧期の上渕名から、現在は下渕名に移ったようだ
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| 墳丘は樹木に覆われているものの、近付いてみればそれと分かるほどには残存している 群馬県遺跡台帳には埴輪片の存在が記録されているが、目につくのは瓦の破片ばかりであった
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| 非常に見づらいが、墳頂部には石祠が祀られている
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2010年12月21日(火)19:30 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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佐波郡采女村第11号雙児山古墳跡 |
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| 佐波郡采女村第11号雙児山古墳跡 佐波郡境町を経て、現在の伊勢崎市境上渕名にあった前方後円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ276尺(約83.6m)、前方部の高さ23尺(約7m)、後円部の高さ28尺(約8.5m)とある
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| 群馬県道2号前橋館林線がまっすぐに貫くこの位置に、かつて大きな周溝を持つ前方後円墳が所在した 土地のお年寄りが「太田新道」「太田県道」と呼ぶ道の脇には戦後間もない頃まで、墳丘が小さく残っていたそうである
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| 現在、墳丘はまったく残っていない状態ではあるが、地図や航空写真で見ると、ここに古墳が存在していたことが、今なお分かる
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| 「幅六〇尺」と綜覧に記載されたこの周溝は、今も地割りに緩やかなカーブを描いて、その痕跡をはっきり残している
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2010年12月17日(金)21:47 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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佐波郡采女村第4号古墳 |
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| 佐波郡采女村第4号古墳 佐波郡境町を経て、現在の伊勢崎市境上渕名にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ78尺(約23.6m)、高さ6尺(約1.8m)とある
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| 群馬県遺跡台帳ではそれらしきものが載っていなかったが、群馬県文化財情報システムにも古墳として登録されている
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| 境町史にも出てこない、文字通り忘れられた古墳ではあるが、土地のお年寄りはこれが古墳であるとしっかり覚えておられた
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| かつてこの近くには綜覧采女村第11号雙児山古墳が所在し、地図で見る限り本古墳はその主軸延長線上にあるように見受けられる さらに、本古墳のすぐ北東からは、1986(昭和61)年に三筆古墳群がほぼ削平された状態で見つかっている
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| 墳頂部
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2010年12月14日(火)21:35 | コメント(0) | 伊勢崎市 | 管理
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