厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



桐生市

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その7

玄室部左側壁その1


玄室部左側壁その2


玄室部右側壁その1


玄室部右側壁その2


奥壁


2012年5月11日(金)18:53 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その6

玄室部より見る羨道部


羨道部より見る玄室部


その境界には、梱石(しきみいし)らしきものが残る


冠石・・・というか、楣石(まぐさいし)?


墳丘上より見る


2012年5月4日(金)18:54 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その5

それでは改めて、の石室入口


羨道部


羨道部天井石


羨道部左側壁


羨道部右側壁


2012年4月27日(金)21:36 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その4

2年前の調査の際、石室内部は一旦きれいに清掃されている


だいぶ埋没していた石室入口も、いくらか顔を覗かせた


玄門部の冠石付近


冠石と奥壁


こうして見ると、奥壁の石はずいぶんと角が丸い感じである


2012年4月20日(金)00:00 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その3

写真は2年ほど前のものだが、だいぶ石室周りが傷んでいる様子が見てとれる


残存する天井石には、過去に割られかけた痕跡がはっきりと残る


その後ろには、恐らく同じようにして割られ、持ち出される際に石室内に転落したと思われる天井石が見える


それにしても、持ち出された他の天井石はどこへ消えてしまったのだろうか


現存する石室も、状態はあまりよくない状態で、一部の側壁からは石室材がせり出し、玄門部の冠石の中央にはクラックが入ってしまっている


2012年4月13日(金)22:19 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その2

石室入口


雪の日


墳頂部より見る石室


玄室部右側壁


玄室部左側壁


2012年4月6日(金)20:58 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第46号長者塚古墳その1

勢多郡新里村第46号長者塚古墳
現在の桐生市新里町関にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ119尺(約36.1m)、高さ10尺(約3m)とある



・・・のであるが、石室などを中心に本古墳全体の損壊状況が著しく、写真で見ての通り、中央の主体部が陥没してしまっていることが分かる


近年、本古墳の石室保全も兼ねた発掘調査がなされており、その結果、発見された周溝から「どうやら円墳でも方墳でもなく、五角形墳であったらしい」と判断されたようである
なお余談ながら、群馬県史に於いては、径約20m、高さ2mの円墳とされている



雪の日その1


雪の日その2


2012年3月30日(金)20:00 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第47号道安塚古墳その2

赤城山麓の古墳としてはかなり高い標高に位置する古墳である


雪の日


別アングル


2011年9月27日(火)21:03 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第47号道安塚古墳その1

勢多郡新里村第47号道安塚古墳
現在の桐生市新里町板橋にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ23尺(約6.9m)、高さ2尺(約0.6m)とある



群馬県遺跡台帳では平安期の墳墓となっているが、桐生市教育委員会の方に伺った話では、「やはり古墳である」という可能性は残っているらしい


墳頂部
古墳名の由来となった道安庵主の墓が建っている



2011年9月23日(金)22:31 | コメント(0) | 桐生市 | 管理

勢多郡新里村第45号古墳

勢多郡新里村第45号古墳
現在の桐生市新里町大久保にあった円墳で、上毛古墳綜覧では規模不詳とある



現在、墳丘は完全に失われてしまっているものの、石室の奥壁とされる石材のみがぽつんと現存する


周辺は河川の氾濫によりだいぶ埋まっているらしく、平成13(2001)年頃の新里村教育委員会の調査では、周溝が検出されなかったものの、埴輪片が出土している


周溝について、報告書では「調査範囲外で回るか、すでに後世の削平によって消失している可能性」に言及されている


2011年9月20日(火)19:28 | コメント(0) | 桐生市 | 管理


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