厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



渋川市

渋川市金井東裏遺跡その1

渋川市金井東裏遺跡
渋川市金井にある古墳時代の遺跡である



現地説明会が行われた際に、見学してきた


遺構外に堆く積み上げられた、榛名山からの噴出物
これだけでも、どれだけ深く堆積したかがうかがい知れる



お目当てはこの列の先にある


並ぶ途中、ちょっと振り返ってみる
現地表の下から遺構の部分まで、軽石が厚く堆積しているのがよく分かる



2013年3月1日(金)21:55 | コメント(2) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第31号稲荷塚古墳その2

石室内部


いつも気になるのだが、この石垣部分はいつ頃改変されたものなのだろう・・・


同じ角度で、雪景色


群馬県内の、雪景色の見られる古墳としては、本古墳はけっこう大きい古墳ではなかろうか


昨年4月12日の記事の一枚目の画像と対比してみるのもいいかも知れない


2009年4月3日(金)20:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第31号稲荷塚古墳その1

勢多郡横野村第31号稲荷塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町樽にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ36尺(約10.9m)、南北の大きさ48尺(約14.5m)、高さ15尺(約4.5m)とある



説明看板
昨年4月12日の記事の改訂版ということで、改めて撮り直してみた
以前は「赤城村指定史跡」とあったのが、現在では「渋川市指定史跡」となっている



石室入口
構造的に、羨門部の天井石が失われているように見えるが、実際のところはどうなのだろうか



鉄柵の脇の側壁を見ていると、いかにもそんなふうに思えてくるのだが・・・


上から見てみると、明らかにそんな感じである


2009年4月2日(木)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第29号古墳その2

裾部
方形に整形されてしまっている



その反対側
墳丘が崩れてしまっているのが分かる



その西側


墳丘中程には石祠が並ぶ
そのうちの1つは子宝の神様だそうで、昔はここで祈願した後に子供ができた女性がお礼参りにきていたそうだ



2009年4月1日(水)21:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第29号古墳その1

勢多郡横野村第29号古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町樽にある円墳で、上毛古墳綜覧では径72尺(約21.8m)、高さ18尺(約5.5m)とある



綜覧では土器、直刀が出土したとあるが、所有者の方の話では所在不明らしい


所有者の方に許可をいただき、敷地内から見学
残念ながら、だいぶいじられている印象だ



墳頂部


2009年3月31日(火)21:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第27号弁天塚古墳

勢多郡横野村第27号弁天塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町樽にある円墳で、上毛古墳綜覧では径24尺(約7.3m)、高さ8尺(約2.4m)とある



この塚の頂部には弁天様をはじめとする石造物が立ち並び、これが弁天塚古墳かと思ったが、群馬県文化財情報システムでプロットされた位置と違っていた
さらに、群馬県遺跡台帳には「第27号墳は石置場頂は石祠」とあり、見学時に非常に混乱した



これはおかしいと思い、周囲を見回したところ、塚の北西に怪しげな石祠を発見。巨石の上に載っかっているあたりが、遺跡台帳の記述そのままだ
さっそく渋川市教育委員会に確認したところ、非常に興味深い話を伺った



この辺りは早くに圃場整備がなされ、調査をする前に弁天塚古墳をはじめとする古墳群のほとんどは消滅してしまい、原位置の特定すらできない状態であるとのこと


そしてこの巨石、弁天塚古墳の石室材(大きさからみて、奥壁であろうとのこと)であるとは100%断定できないものの、間違いなく古墳の石室材であり、弁天塚古墳のものである可能性は極めて高いとの話であった


2009年3月30日(月)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第24号権現塚古墳その2

墳丘西側には石室材が露出している


中央上には、手首が突っ込める程度の穴があった
渋川市教育委員会で伺った話では、この奥に横穴式石室が現存しているとのこと



上毛古墳綜覧では、周辺には綜覧勢多郡横野村第23号古墳と綜覧勢多郡横野村第25号古墳の2基の存在が記録されているが、どちらも消滅
特に綜覧勢多郡横野村第25号古墳はつい近年まで残っていたようだが、土地の所有者の話では、宅地化で完全に消滅したとの話であった



2009年3月29日(日)21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第24号権現塚古墳その1

勢多郡横野村第24号権現塚古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町宮田にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ24尺(約7.3m)、南北の大きさ45尺(約13.6m)、東の高さ6尺(約1.8m)、西の高さ18尺(約5.5m)とある



墳頂部には石祠が祀られており、地元の人たちは口を揃えて「権現様」と呼んでいた


現在、段々畑の端にわずかにこんもりと残るだけだが、綜覧記載の数字を見ても分かるとおり、かつてはもっと規模が大きかったようだ


この段々畑も利根川の河岸段丘で、墳丘の向こうに利根川が流れている


2009年3月28日(土)21:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第20号古墳その2

墳丘上には、石室材らしきものがわずかに露出している


こちらは葺石だろうか


向こうに山が見え、右手には河岸段丘
見ていて何となく落ち着く景色だ



その河岸段丘の下から見上げてみる


2009年3月27日(金)22:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡横野村第20号古墳その1

勢多郡横野村第20号古墳
勢多郡赤城村を経て、現在の渋川市赤城町宮田にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西の大きさ24尺(約7.3m)、南北の大きさ22尺(約6.7m)、高さ6尺(約1.8m)とある



現状を見る限り、綜覧記載の規模とあまり変わっていないようだ


かつてこの周辺には、他に何基かの古墳があったようだが、群馬県遺跡台帳によれば綜覧勢多郡横野村第19号古墳は昭和22(1947)年の水害(カスリン台風と推定される)で消失したとのこと


さらに墳丘北側にも綜覧勢多郡横野村第21号古墳と綜覧勢多郡横野村第22号古墳が所在していたが、どちらも削平されたようだ


2009年3月26日(木)21:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理


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