厩橋どんぶり塚古墳
 
上毛古墳綜覧(昭和10年群馬県下一斉調査・昭和13年発行)をベースに巡る古墳ブログ    群馬県外の古墳にも浮気しつつ、ゆるゆると更新停滞中
 



渋川市

渋川市中筋遺跡

渋川市中筋遺跡
渋川市行幸田にある古墳時代の遺跡で、榛名二ッ岳の噴火で埋没している
古墳時代の遺跡として復元されてはいるが、縄文期から平安期の複合遺跡でもある



復元された竪穴式住居
背景の現代の家並みに溶け込んでいるように思えるのはおいらだけだろうか



古墳と平地型住居
規模がやたら小さいが、実際にこの大きさだったわけではなく、次の画像にある絵のように、それなりの規模だったようだ
中筋遺跡の発掘調査概要報告書によれば、背後の生け垣のあたりを中心として、これの2倍ほどの面積を占めていたようだ



その復元図
そこそこ大きい規模で描かれているのが分かる
この図は第二次発掘調査概要報告書に載っている古墳時代遺構全体図と同じもの



個人的には、夏と冬で住み替える生活というのが面白いと思った
また、この生活様式はアイヌとも共通するというところがますます興味深い



2008年8月10日(日)18:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市金井古墳その2

前庭部は広い印象がある
封土と天井石がないせいだろうか



羨門部の石
閉塞石の一部だろうか?



玄門部
楣石も残っているが、開口部は非常に狭い



玄室部を奥壁側から見下ろす
天井石がないので、この辺の構造がよく理解できる



玄室部の側壁と奥壁
周囲はコンクリで固められている



2008年8月1日(金)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市金井古墳その1

渋川市の金島小学校の南からぐねぐねと曲がる山道に入り、十字路に行き当たったら西へ曲がって100m


右手に見えるこの細い坂道を登ったところにあるのが・・・


渋川市金井古墳
渋川市金井にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ
昭和31年に群馬大学の尾崎教授によって発掘調査されている



説明看板
追記された跡がはっきりと分かるが、これは見る人によってはいたずら書きされたようにも受け取れるのではないだろうか



さて、あらためて古墳の正面に立ってみる


2008年8月1日(金)21:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市中ノ峯古墳その2

何となくだが、墳丘の裾部自体はもう少し下の方に掘り下げられそうな気がするのはおいらだけだろうか・・・


石室入口


石室内部


2008年7月31日(木)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市中ノ峯古墳その1

渋川市中ノ峯古墳
北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市北牧にある円墳で、上毛古墳綜覧記載漏れ



説明看板には、被葬者の数を修正した跡がある


説明看板とは別に石碑も建っている


こちらからみると、軽石層に埋まっていたというのがよく分かる


2008年7月31日(木)21:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

渋川市黒井峯遺跡

渋川市黒井峯遺跡
北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市中郷にある遺跡
まずは説明看板を読んでいただいて・・・



長いので、右側も・・・


少し離れた場所にある別の説明看板
とても読みづらい・・・



遺跡自体は埋め戻されて保存されている
しかし、それだけだとただ単に広い空間にしかならないので、資料館なり復元施設なり建ててもらいたいところだ



訪問時は天気もよくなく、二ッ岳は見えなかった・・・


2008年7月30日(水)21:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡長尾村第14号大塚古墳

群馬郡長尾村第14号大塚古墳
北群馬郡長尾村、北群馬郡子持村を経て、現在の渋川市吹屋にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ72尺(約21.8m)、高さ18尺(約5.5m)とある



墳丘上は稲荷社となっており、そこへ至る階段の脇には石碑が建っている
綜覧では円墳と記載されているが、現状は方墳状になっているためか、この石碑では方墳と書かれている
また、この石碑にはしっかりと「古墳」と書かれているのだが、渋川市教育委員会で伺った話では、どうも古墳ではなく塚である可能性があるといった見方が出ているとのこと
実際に発掘調査をしたわけではないので確定はできないとも聞いた



まぁ、そう言われてみれば確かに規模が大きいような気もしてくる
本古墳の築造年代がいつ頃と想定されているのかどうかは分からないが、6世紀には榛名二ッ岳が噴火しており、それ以降の築造ではあると思われる



この旧子持村周辺はその二ッ岳爆裂の際の降下物が非常に厚く堆積しており、黒井峯遺跡や中ノ峯古墳などの存在がよく知られているところでもある


それらを踏まえて考えても、6世紀の半ば以降にこの地域に有力な豪族がいた形跡はあまり伝えられていないようなので、やはりこれは塚なのだろうか・・・


2008年7月29日(火)21:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡渋川町第1号虚空蔵塚古墳

群馬郡渋川町第1号虚空蔵塚古墳
北群馬郡渋川町を経て、現在の渋川市渋川にある円墳で、上毛古墳綜覧では大きさ60尺(約18.2m)、高さ12尺(約3.6m)とある



説明看板には、石室の実測図も併記されている


石室入口
ここでも、前庭部に庚申塔が建っている



石室内部
虚空地蔵尊が鎮座している
平成の大合併前の渋川市内に於いて、石室があり封土もちゃんと残っている古墳は、これしかない



2008年7月28日(月)21:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

群馬郡豊秋村第1号十二山古墳

群馬郡豊秋村第1号十二山古墳
北群馬郡豊秋村を経て、現在の渋川市中村にある円墳で、上毛古墳綜覧では東西66尺(約19.9m)、南北33尺(約9.9m)、高さ10尺(約3m)とある



墳丘上には大谷神社が鎮座し、墳丘もだいぶ改変されているが、綜覧記載の数字を見る限り、高さがいくらか下がったほかは、昭和10年当時と規模があまり変わっていないようである


石垣の積まれ方を見ても、そこらにある小さな神社といった趣で、古墳としての面影はあまり感じられない
すぐ南を東西に走る県道35号線は結構知っている道だったりするので、「え、そこに古墳があったの?」といった気分でもある



とはいえ、歩道の向こうに、木々に隠れるようにして存在するので、言われなければ気付かないレベルでもあったりする・・・


2008年7月27日(日)18:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理

勢多郡北橘村第70号朝日塚古墳・勢多郡北橘村第71号将軍塚古墳

渋川市北橘町箱田に鎮座する木曽三柱神社
ここの境内に、2基の古墳が存在している
このあたりは木曽義仲の家臣が、義仲討伐後に落ち延びてきたとされる場所で、神社名も古墳名も義仲にちなむものばかりである
所在地名の箱田も、それにまつわるという説がある



勢多郡北橘村第70号朝日塚古墳
現在の渋川市北橘町箱田にある円墳で、上毛古墳綜覧では径54尺(約16.4m)、高さ9尺(約2.7m)とある



昭和58(1983)年、多目的集会施設の建設に伴い発掘調査、その後大部分が削平された
発掘調査報告書によれば「削平範囲は前庭部と羨道の一部とすることとなり、石室の大半と墳丘の一部は危険防止の措置を取ったうえ残されることとなった」とあり、また実測図を参考に見ていくと、建物裏のこの部分は、墳丘の残存部位である可能性が高い
また、建物の土台部分の一部も同様であると思われる



勢多郡北橘村第71号将軍塚古墳
現在の渋川市北橘町箱田にある円墳で、綜覧では径69尺(約20.9m)、高さ13尺(約3.9m)とある



現在、木曽三柱神社の社殿裏にあり本殿が載っかっている
ところで、朝日塚古墳発掘調査報告書の巻末に、こんな文があった。歴史や文化財保護の観点からみても、大いに同意するところである
「現在本県に残っている古墳は2000基とも3000基ともいわれるが、これ以上古墳をなくすことはできない」



2008年6月22日(日)22:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 渋川市 | 管理


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